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25《最後の朝》


——— 午前5:38


今朝はアラームが鳴るよりも早く目が覚めた。


まだ外は薄暗い。



身支度を整え、家を出ようとしたときにキッチンから『ピー』という音が響いた。




そういえば昨日、裕介が炊飯器のタイマーをセットしてあると言っていた。


「まぁ、あんま急いでも仕方ないか」



望はカレーを温め直し、薄暗いリビングで一人朝食を取ることにした。


「固ぇ…」


人参は相変わらず、生き生きとした固さを維持して皿の上で存在感を示していた。



だが、これまで食べたどのカレーよりも美味しかった。



押さえ込んでいた感情が、頬を伝って静かに溢れ出す。




——— その後、家を出る直前に裕介に電話をかける。



電話越しに寝ぼけた声が返ってきた。



多くを話すと声が震えてしまうため、淡々と無機質に話す。


「3〜4日取材に行って来るから、あとはよろしく」


そう言い一方的に電話を切った。




家族にも電話をしようとスマホを再度手に取ったが、声を聞いたら決意が揺らいでしまう。


もしかしたら助けを求めてしまうかもしれない。



絶対に家族を巻き込むわけにはいかない。

心の中で別れを告げ、望はマンションを後にする。




しばらく電車で移動し、小さな港へと向かう。


昔から海を見ることが好きだったが、最近は忙しくてゆっくり海を見ることもできなかった。



水面が穏やかに揺れ、太陽の光をキラキラと反射させる。


望は無言のまま、しばらく水平線を眺めていた。





すると、そこに3台の黒いバンが猛スピードでやってきて、望の周りを取り囲む。



2台のバンから、警官の制服を着た男達が勢いよく降りてきて、瞬く間に望を押し倒し、顔を地面に押し付けるような形で取り押さえた。




普通に生きていたら、大の大人4〜5人に押さえつけられるなんてことは、まず経験することはない。



望は抵抗する気など毛頭ないが、そんなの知ったこっちゃないと言わんばかりに、強い力で押さえつける屈強な男たち。




逮捕術の類なのか、一人の男は肘で的確に背中のツボを押さえており

暴力とは無縁の望に、これまで感じたことのない痛みを味わせた。




そこに、もう1台のバンからダークスーツに身を包み、サングラスをかけた女性が降りてきた。



「中山望、外患誘致の容疑で逮捕する」



呼吸もままならない状態で押さえつけられていた望は、なんとか目線だけでその女の姿を捉えた。



目が合ったかと思うとニコっと笑顔を見せたと同時に望の首筋に注射器を刺す。


すぐに目の前が真っ暗になり、望は意識を失った。




その後、意識がないままDPAの研究施設へと運ばれ、そこでM適性研究のために、丸一日かけて様々な検査が行われた。




そして、望の逮捕が世間に知れ渡ったのは、翌日の昼過ぎのことだった。



今大注目の若手作家が外患誘致罪の疑いで逮捕。




どの番組もニュース速報として、この大事件を報道した。


瞬く間にその情報は広がり、テレビや号外新聞、SNSの力も加わり一気に日本中へと知れ渡った。





更に、夕方頃にはYou Tubeに

『荒井端望の過去作品に隠されたメッセージ』などの根拠のない考察動画が多数あげられ


あっという間に望は、天才作家という仮面を被った犯罪者として吊し上げられた。





数週間はこの話題でもちきりとなり、望の無罪を信じる者は日を追うごとに一人、また一人と減っていった。


そして世間の注目は、約2ヶ月後に行われる裁判へと集まっていた。








——— 望は研究施設の一室で目を覚ました。


見慣れない天井。



ここはどこだろう。


頭が重い、記憶が混濁している。



確かエージェントを名乗る男と出会って、陰謀がどうとか、、、



そうだ、陰謀に巻き込まれて、その二日後、港で拘束されて首に注射を打たれたんだ。


まだ記憶がごっちゃになっているが、徐々に思い出してきた。



刺された首を確かめようとしても手が動かない。

それどころか起き上がることすらできない。


どうやらベッドに拘束されているようで、一切の身動きがとれなかった。




ボンヤリする中で、ハッと気付く。




目が...覚めた?



拘束されてすぐに洗脳されることを覚悟していたが、どうやらまだ中山望でいられるらしい。


これを良かったと捉えていいものなのか、ぼんやりした頭で考えていた。





その時、白衣を着た男が2人、部屋に入ってきた。


男たちは無言のまま、ベッドごと望を部屋から連れ出し、別の部屋へと移動した。



すると突然、フッと身体が軽くなったように感じ、その直後には手足が動くようになっていた。



ベルト等で拘束されているのかと思っていたが、どうやら何か別の理由で動かせなかったようだ。




白衣の男はベッドのリモコンを操作し望の上体を起こし、説明を始めた。


彼が言うには、あの港での出来事から約2ヶ月が経過しているという。




その証拠に、自身の手足は別人の様に痩せ細っており、動くようにはなったがうまく力が入らなかった。



更に髪や髭も伸びていることに、鏡を見せられて初めて気がつく。


どうやら彼の言うことは真実のようだ。




身体は動かすことはできるようになったが、依然として声は出すことができない。


まるで声の出し方をすっかり忘れてしまったかのようだった。




その後、いくつかの検査を受け、それらを終える頃には自分の足で歩けるようになっていた。



「これに着替えるんだ」


言われた通り、手渡された服に着替える。


これまでの院内着のようなものからシャツとスラックス姿になり、ヒゲと髪も整えられた。



悲しいほどに痩せ細っていたが、身なりを整えると、少し人間らしさを取り戻すことができた気がする。




それを見計らったようなタイミングで、スーツ姿の男性が入ってきて望の前に立ち、冷たい口調で淡々と話し始めた。




「15分後に裁判が始まる。とは言っても有罪が確定している形だけの"見せ"裁判だ。

お前は出廷し、ただ立っているだけでいい。

余計なことをすれば、傍聴席に座るお前の家族も拘束せざるを得ない。いいか?お前に選択肢はない。そして質問も受け付けない。黙って頷くだけでいい」



あの夜の出会いから覚悟を決めていた望だったが、この期に及んで家族を盾に取られ脅されると、怒りが込み上げてきた。



思わず男に掴み掛かろうとしたが、突然身体が動かなくなった。



スーツの男は望の無言の問いに答えるかのように話し始めた。




「お前の体はナノマシンで制御している。勝手な動きは許可していない。そもそも考えてもみろ、2ヶ月間寝たきりだったヤツが、目覚めて僅か数十分で歩ける訳がないだろ」




ナノマシン...さすがの望も、30年前に使い古されたSF映画の設定みたいな目に合うなんてことは想定していなかった。




「もちろん声も制御の対象だ。お前は裁判が終わるまでの間、こちらが許可した言葉しか発することができない」



ここまで何でもアリな状況だ。

仮にこの後、青いたぬきがピンクのドアから出てきたり

胡散臭い白髪の老人が、改造したデロリアンに乗って現れてももう驚かない。




その後、部屋の外に待機していた制服姿の男二人に引き渡され、彼らに連れられるように法廷へと入っていった。

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