——— 研修期間を終えた斎藤。
同期で、後にオペ室室長となる酒井とともにオペ室へと配属される。
2人は研修中も同じ班で活動しており、同い年ということもあってすぐに打ち解けた。
DPAのエースと呼ばれる天才エージェントと、オペ室室長の若かりし頃だ。
ルーキーにはそれぞれ指導係としてシニアオペレーターが1人つくことになっている。
オペ室の新人は、ヘッドホンで先輩オペレーターとエージェントのやりとりをリアルタイムで聞き、
先輩オペレーターが必要としたときには、その情報が既に手元にあるように先を読んで動くことを求められる。
斎藤の指導係となった
彼の求めるクオリティは新米に求めるレベルを遥かに越えていた。
しかし、新人だからという理由で、担当エージェントを危険にさらして良い理由にはならない。
そのため斎藤は一日に幾度となく叱責される。
多い日には午前中だけで、30回以上怒鳴られたと本人は言っている。
だが、その厳しさに負けまいと食らいつく姿勢と努力の甲斐もあり、斎藤はメキメキと力をつけていった。
そしてオペ室配属からわずか6ヶ月で、シニアオペレーターとして認められ一人立ちすることになる。
自身の指導係からの推薦があれば、期間にかかわらず昇格が認められる。
昇格には平均で1年半~2年ほどかかるのが一般的で、かつて皇が成し遂げた8ヶ月でのシニア昇格がこれまでの最短記録だったが、それを大きく塗り替えた。
そしてその2ヶ月後には、酒井もシニアとして認められることになった。
2人がオペ室配属になってから1年半後、ルーキーとして一人の女性が配属され、斎藤が指導係として任命された。
「きみの指導係をすることになった斎藤だ、よろしくな」
爽やかで万人受けするキャラクターで挨拶を交わす。
「五十嵐由美です、ご指導よろしくお願いします」
整った顔立ちで愛嬌がある。
斎藤よりも4つ下の21歳。
斎藤はどこかで彼女に亡き妹の姿を重ねていた。
皇の後任育成力は組織の中でも群を抜いていた。
しかし斎藤もそれに負けないほどの能力を持っている。
それを見抜いた皇は、2年目にもかかわらず斎藤にルーキーの指導係を任命した。
人に教えることで斎藤の更なる成長にも繋がると見越してのことだった。
斎藤の卓越したコミュニケーション能力と的確な指示は、皇とは違った指導方法であるが、
五十嵐を9ヶ月で立派なシニアオペレーターへと育て上げた。
DPAは秘密結社だが、仕事後に飲みに行くのは一般企業となんら変わりはない。
ただ、彼らは決して酒に飲まれることはない。
酔って判断力が鈍り、機密事項をポロっと口にしてしまうなんてことを防ぐために、アルコール摂取時はDPAが開発した錠剤を服用している。
秘密結社の科学力を惜しみなく使ったこの薬は、どんなにアルコールを接種しても即座に分解してくれる。
仮にワインをボトル1本飲んだ直後に運転しても、飲酒検問で一切引っかからない優れものだ。
斎藤はよく五十嵐と飲みに行っており、二人の距離は日を追うごとに近付いていた。
しかし、斎藤は五十嵐の好意には気付いていたが、一切手を出すことはなかった。
あるとき、店を出た直後に五十嵐が斎藤に詰め寄った。
「ねぇ、斎藤さん!私ってそんなに魅力ないですか?」
「どうしたの突然⁉︎もしかして由美ちゃん、あのありがた~い錠剤飲んでないでしょ?」
おちゃらけた雰囲気で誤魔化そうとするが、今日の五十嵐は本気だった。
「そんなの関係ないです!質問に答えてください!」
斎藤は煙草に火をつけ、優しく五十嵐の目を見ながら答える。
「とても魅力的な女性だよ、それは間違いない。だけど俺はどうしても、きみと妹の姿が重なるんだ」
そう言って今は亡き妹のこと、そしてDPAに入った経緯を話した。
話し終える頃には五十嵐は涙を浮かべていた。
「すいません、辛いことを思い出させてしまって。あの、実は私今日ちゃんと錠剤飲んでます。ただ、お酒の力を借りて聞いてることにしちゃえと思って…」
斎藤は優しく微笑みながら答えた。
「気付いてたよ、酔ったフリをしてることも、もちろん好意にもね。
ごめんね、嬉しいけどその想いにはこたえることができない。でも妹の件は、信頼してるからこそ話そうと思ったんだ」
——— 五十嵐の涙が落ち着くのを待ち、再び歩き出した。
不思議と気まずさはなく、いつもの2人の空気感にもどっていた。
別れ際、斎藤が五十嵐を呼び止める。
「実は今朝辞令が来て、来週からエージェントとして配属されることになったんだ。あと一週間だけどよろしくね!」
五十嵐はまた涙を浮かべて斎藤に抱きついた。
「2分間でいいから黙って頭ぽんぽんしててください、それで切り替えますから!」
泣きながら怒鳴るように命令した。
斎藤はにこっと笑いながら黙って命令に従う。
——— 3分ほど経った頃、五十嵐が顔を上げる。
「2分で良いって言ったのに、斎藤さん時計読めないんですか?せっかく切り替えたのに、余計な1分でまた好きになりました」
五十嵐はいじらしく笑った。
困った様に苦笑いをする斎藤
「冗談ですよ!ありがとうございます、すっきりしました。あと一週間よろしくお願いします!」
そう言って手を振り帰っていった。
斎藤は五十嵐とわかれたあと、煙草を吸い、夜風を感じながらのんびりと歩いていた。
「あの笑顔は反則だ」
ぼそっとつぶやき涙と鼻水でぬれたシャツを乾かしながら帰った。
翌日、オフィスで五十嵐と顔を合わせる。
「おはようございます!」
いつもの五十嵐だが、少しだけ距離が近く感じるのは気のせいだろうか。
「あぁ、おはよう」
恋する中学生男子じゃあるまいし、思わず素っ気ない対応をとってしまった。
女ってすげぇな。
泣きながら抱きついといて、昨日の今日でよく切り替えられるな...
こうしてオペ室で過ごす最後の一週間が始まった。