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11《エージェント》

——— オフィスの前に立つ周平は緊張しながらノックし、ドアを開ける。



部屋の奥でソファに腰かけ、ローテーブルに靴のまま足を投げ出すように座り、コーヒーを飲んでいる男が視界に入った。



目つきが鋭く、オールバックで無精髭を生やし、黒いシャツを第三ボタンまで開けたイカツイ男だった。



どう考えても酒井が説明していた斎藤と、同一人物とは到底思えない。




もし周平がヤマにバディはどんな人物かを聞かれたらきっとこう伝えるだろう。


チンピラの模範解答みたいな男。



…いやいや、人間性が見た目通りとは限らない。

中身は凄く優しい人なのかもしれない。


説明との差が激しすぎて、部屋に入ってから少しの間呆然としてしまっていたことに気付き、慌てて自己紹介を始めた。


「は、はじめまして!本日より斎藤さんとバディを組むことになった松m、、、」



周平が挨拶を始めた途端、斎藤はスクっと立ち上がり部屋を出る。



「挨拶は後だ、ついて来い」


そう言って周平を置いてスタスタと歩いていく。

ドアの前で唖然としていると



「早く来い!」


急に怒鳴られ、慌てて後を追った。



オフィスから3分程歩いた所にある喫煙所へとやってくると、くしゃくしゃになったタバコを取り出し、凄いペースで吸い始めた。


1本、2本とあっという間に斎藤の肺にすべての煙が吸い込まれていく。


そして同時に周平の肺を副流煙が汚していった。




「おい、何ボーっとしてんだ。挨拶したかったんだろ。ホレ、さっさとしろ」


...礼儀知らずにも程がある。

この偉そうな生き物に早くも拒絶反応が出始めていたが、平静を装い自己紹介をした。



周平の挨拶を最後まで黙って聞くと、斎藤は煙草の火を消し、シャツのボタンを2つほど閉めると、思いの外丁寧に自己紹介をはじめた。



先ほどまでとは全くの別人かのように雰囲気が一変した。

あまりの変わりように、思わず二度見してしまった。


タバコじゃなくて精神安定剤か何かの類か?

それとももしかして多重人格?と脳内がプチパニック状態になった周平を見て斎藤は笑いながら続けた。



「お前の考えていることはわかる。そう仕向けたんだ。俺らはターゲットと接触することもある。そんな時に相手の警戒を解き、必要な情報を相手が自ら話したくなるような人物を演じることも必要になってくる」



気付くと斎藤によるレクチャーが始まっていた。



「変装はなにもカツラやサングラス等の小道具でするだけが全てじゃない。相手に植え付けた先入観の裏に潜むのが真の変装だ。そうすればこの身一つで全ての状況に対応できるようになる」



この男は超難易度のことをサラッと話した。


言っていることは理解できても真似できる気がしない。

DPAのエースであり天才と称される男の技術レベルの高さに唖然としていた。



目の前で、鳩が豆鉄砲を食ったようなツラで、金魚の様に口をパクパクさせている新人を他所に斎藤は続ける



「人は、こんな人間はこんな行動をするはずといった決めつけを無意識のうちにする。そんな習性を利用するだけだ、簡単だろ?」



「…べ、勉強になります」


そこら辺にいる中学生捕まえて東大の講義を聞かせても、もう少しまともな感想が返ってくる。


斎藤は少し呆れながら


「お前にも1年でこの変装をモノにしてもらう」


サラッと課題を与えると、目の前の金魚鳩は、もう一発豆鉄砲を食らっていた。



本人は自覚していないが、このときの周平の目からは、先程までの苦手意識や警戒心が消えていた。


むしろそれは尊敬の眼差しへと変わっていた。




「アナ室から現場に来たばかりの新人君に少しカマしてやろうかなと思ってな」


そう言いながら斎藤はナイフを取り出し、その場で髭を剃り、身なりを整えた。



恐らく重心の位置や背筋の伸ばし具合も変えているのだろう。

明らかにさっきとは別人にしか見えなかった。



歩き始めた斎藤の後ろ姿を目で追っていたが、先ほどまでとは歩幅もリズムも異なるため、目の前にいるにもかかわらず見失いそうになりながら慌てて追いかけ尋ねた。



「こっちが本来の斎藤さんですか?」



立ち止まり、少し考える素振りを見せたあと、振り返り答えた。


「まぁ、ひとまず今は後輩に尊敬されるタイプの俺ってことにしておこうか。改めて現場へようこそ、よろしく」


そう言って2人は握手を交わす。




こうして周平のエージェントとしての最初の一日が幕を開けた。

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