——— 望の逮捕から2か月が経った。
これまでの間、弁護士だけしか面会することが叶わないまま時間が過ぎた。
裁判当日。
望の両親と俊、そして裕介の4人は傍聴席に座った。
刑務官に連れられるように望が入廷した。
望の母親はその姿を見るとボロボロと涙を流した。
粛々と進む裁判。
結果は《有罪》
罪名は外患誘致罪。
外国の工作員と共謀し、日本の現政府を崩壊させることを計画したとされ、望には死刑が求刑された。
不自然なほどに揃いすぎている証拠の数々。どれも望が国家転覆を企てたテロリストとしての動かぬ証拠だった。
判決が下された瞬間、望の両親と俊は声をあげて泣き崩れた。
裕介も悲しさや悔しさなど様々な感情が溢れてきた。
望が残した手紙のことは俊にも伝えていない、書かれている内容がわかってから伝えるかどうかを判断するつもりだ。
まだ暗号は解けていないが、望が何かを伝えようとしていることは間違いない。
望と会える機会は恐らく今日が最後だろう。
望もそれを理解しているはずだ。
何かのサインを送るとしたら今日しかない。
一挙手一投足を見逃さないように、涙を浮かべながらも目を逸らさなかった。
そんな中、ある違和感を覚えた。
望はどんなに不利な証拠が出されても一切動揺していないように見えた。
まるであらかじめ裁判の行方を知っているかのように。
しかし、判決が下され、母親の泣き声が響くと同時に望の肩が震えていることに気付く。
そして望が刑務官に連れられ退廷する際、僅かな時間だが確かに目が合い、そして頷いたように見えた。
まるで何かを託すかのように。
不思議とその目には力強さを感じた。
その目を見て、裕介は望の無罪を確信した。
裁判が終わり、望の家族に別れを告げると、その足で作業場のマンションへと向かった。
大家さんからは退去するように言われたが、それでは望の帰る場所がなくなってしまう。
望の物はもう何も残っていないが、望と生活をしていたこの空間だけはなんとか守りたい。
その思いから望の両親と話し、裕介の名義で借りなおすことにした。
大家さんも国家転覆を謀った男が住んでいた事故物件、借り手がつくことはないと思っていたようで、名義も変わるならと渋々納得してくれた。
今回の事件がきっかけでこのマンションに住んでいた人たちの一部は退去してしまった。
しかし、大家さんからはそのことによる損害賠償などの話はまったくなかった。
俊からもそういった類の話は聞いていない。
今回の一件に関して、不可解なことが多すぎる。
不利益を被った大家さんや、映画化が既に決まっているにもかかわらず、それらに関する損害賠償等の請求がないこと。
不自然なほどに揃いすぎている証拠の数々。
最もおかしいのは、ほぼ共同生活を送っていた自分への事情聴取が一切行われないこと。
そして極め付けは、逮捕されることをあらかじめ知っていたかのようなタイミングで残された暗号。
結局、家宅捜索によってシステム手帳もすべて押収されてしまった。
つまり、家宅捜索が行われるよりも先に、俺が暗号に気付くという確信がなければ、あのタイミングで用意しておくことはできない。
Eau de Vieで飲んだあの夜に何も伝えてこなかったのは、それができない何らかの理由があったということ。
......もしかして監視されていた?
このキナ臭さを解消するための糸口はやはり、暗号を解く他ない。
裕介は一度整理して考えることにした。
様々な角度から盤面を見たが、何らかの陰謀に巻き込まれたという仮説を立てるとすべての辻褄が合うように思えた。
その場合、警察もしくはそれ以上の大きな力が絡んでいるとみて間違いない。
そうでなければ俺に事情聴取がおこなわれないことの説明がつかない。
そして重要なのは、なんらかの方法で事前に自分が逮捕されると知ることができたため、暗号を残すという対策をとれたこと。
更に鍵がないと解読できない、アナログな暗号を用意したということから、スマホなどはハッキングされている恐れがあるということ。
暗号の鍵は俺ならわかるもの。
逆にいえば、俺でないとそれにたどり着くことができないものが、鍵として使われているはず。
そしてあの大量の文字数ということはそれなりの文章量でなければならない。
カンマで区切られている数字の大きさからいってセオリー通り《ページ、行、文字》を表すはずだ。
ただ、ページ数を表す数字の中で、一番大きいのが189。
一般的な小説のページ数は少なくとも300はある。
仮に189ページの小説があったとしても、2人の共通項として考えられるものはなかった。
全300ページの小説の189ページまでしか使用していない可能性も0ではないが、ページ数を表す数字はご丁寧に1からどんどんと大きくなっていっている。
極端なことを言えば、1~3ページくらいでも暗号の文章は十分に作れる。
もしも急いで暗号を作るならそっちの方が効率的だ。
しかし、それをしなかったということは、このページ数も俺に対するヒントの一つということになる。
【昼下がりの満月】の4作目の書きかけの原稿ならもしかするとこれぐらいのページ数かもしれないが、
望は普段から未完成の作品は誰にも見せたことがなかった。
発売前にサンプルが出版社から送られてきたタイミングで、いつも世間よりも一足早く読ませてもらっていた。
望の性格を考えると、書きかけのものを鍵にするとは考えにくい。
そもそもそれが鍵だった場合、家宅捜索よりも前に俺がその原稿を勝手に見るという可能性の方が圧倒的に低い。
そうなるとこれは小説ではない可能性すら出てきた。
しかし望がインタビューを受けた雑誌はそこまでのページ数がない。
あと少しで鍵を絞り込めそうなところまで着ているはずが、あと一歩届かずにいた。
マンションにも望の実家にも望の私物は何一つ残っていない。
恐らく暗号まで残すほどなので、家宅捜索で自分のものを全て持っていかれることは想定していたはず。
つまりここにはないもの。
しかし暗号を作成するときには必ず手元にあったはずだ。
手元にあって、今はもうない。
それでいて俺ならわかるもの......。
......あった。
一つだけこれらの条件を満たすものがあった!
勝手に『こういうものだ』と思い込んでいたその思考の壁が視野を狭くしていた。
それはページ数だ。
小説にしてはページ数が少ないなんてことはなかった。
189ページの小説を俺は知っている。
それに気付くきっかけは行数を示す数字だった。
一般的な小説の1ページあたりの行数は、本のサイズにもよるが20〜30行程度なのに対し、暗号では行数を示す数字が最大45ということ。
これらの条件から当てはまるものは一つだけ。
裕介が初めて望に会ったあの日、厚かましくも読んでくれと手渡した、裕介作の小説だった。
小説家としてデビューしていない裕介の作品は製本されていない。
Wordで書かれ、そしてA4用紙にプリントアウトされたものだった。
——— あの日受け取ってくれた俺の作品。
それをまだ持っていてくれたことが嬉しく、涙が溢れてきた。
望の残したメッセージ、それを解読することはまさにパンドラの箱を開けることになるかもしれない。
だが、望への感謝と恩がそれらの不安や恐怖に打ち勝った。
裕介は急いでパソコンを開きすぐにプリントアウトした。
全てが印刷し終わり、裕介の手には大量の原稿が抱えられていた。
書籍化された小説で189ページは少ないが、原稿の状態であれば話は別だ。
これはページではなく枚数を表す数字だった。
そしてこれは世に出ていない作品であり、2人しか持っていない唯一のもの。
これなら鍵として相応しいといえる。
そこから裕介は暗号の解読にとりかかった。
鍵さえ見つけてしまえばあとは単純作業。
解読までにそれほど時間はかからなかった。
やはり鍵はこれで間違いなかったようだ。
望からのメッセージが浮かび上がってきた。
漢字に変換し、句読点を打って読みやすく整えた。
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裕介へ
これを読んでいるということは、俺が逮捕された後だろう。
この手紙はそれを見越して残している。
俺が逮捕されているということは、この手紙の内容が真実だということの証明になる。
俺はある組織の陰謀により、罪を捏造され逮捕される。
俺は無罪だ。
だけどそれについて戦うつもりはない。
それほど強大な力が絡んでいる。
俺に残された時間はもうない。
次に会うのは恐らく裁判所、その後は会えてもせいぜい夢の中ぐらいだろう。
お前に託すのは2つ。
1、この件を追及するな
2、この内容は他言無用
この件に首を突っ込むな、真実を追及しようとすれば、裕介やその家族、そして残された俺の家族にも危険が及ぶ。
同様にこの内容を誰かに話すと、その人のことも危険にさらしてしまう。
組織は巨大。
どこにでもいる。
警察、弁護士、マスコミから隣人にいたるまで誰も信用できない。
皆を守るために残した手紙だ。
この件は忘れろ。
これが伝えたかった。
追伸
あのときの小説、粗削りだが面白い。
感想遅くなってごめん。
裕介の小説が世に出ることを楽しみにしている。
書くことを楽しんで。
今までありがとう。楽しかった。
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裕介の仮説は正しかった。
手紙にははっきりと『陰謀』と書かれている。
しかし、なぜ自身が陰謀に巻き込まれ、逮捕されるという結末を知ったのかまでは書かれていなかった。
この暗号を作るために、自分に残された貴重な時間を使った。
全ては俺や家族などの残された人の安全のために。
裕介はその気持ちを踏みにじってまで真実を追及する気にはなれなかった。
——— 翌年2月、異例の速さで望の死刑が執行された。
控訴することなく、望は第一審での判決を受け入れた。
例の手紙を読んでから、望の両親とは徐々に疎遠になり、時々連絡を取り合っていた俊とも、望の死刑執行後は連絡を取ることは一度もなかった。