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06《嵐の前の静けさ》

先輩がくれた縁により、俺の付き人生活が始まった。



炊事洗濯掃除等はもちろん、その他にも小説の資料をまとめるなどの仕事を与えられた。


働いてみてわかったが、本当にこちらから促さないと、食事どころか水分すらもとらない。


これはマジでいつ死んでもおかしくない。


裕介が身の回りのことをやるようになってから、より一層執筆に集中できるようになり、

更に健康も維持できており、裕介という存在に感謝し始めるまでにそれほど時間はかからなかった。




——— 裕介が付き人になってから2年後、望は【昼下がりの満月】という推理小説で直木賞を受賞した。



裕介は今までの業務もこなしつつ、受賞後に取材等で多忙になった望のスケジュール管理などを行う、秘書としての役割も担っていた。


自身も多忙になったが、合間を見つけてはデビューに向けた執筆作業も忘れていない。


通勤時間が惜しいため、空いている部屋をもらい、ほぼ住み込みに近い状態へと働き方を変えた。


望は受賞した翌年、【昼下がりの満月】の2作目を発表。

こちらも発売前日の深夜から、書店に行列ができるほどの人気ぶりだ。


小説に興味がない人がiPhoneの新作が出ると勘違いし、一時Twitterで誤情報が流れるほどの騒ぎになっていた。



更にその翌年、2017年の夏に【昼下がりの満月】が映画化することが決定し、まさに飛ぶ鳥を落とす勢いの活躍を見せていた。




この日は、映画化決定のお祝いのため、近所の居酒屋にてひっそりと2人で祝杯をあげる。



くだけた雰囲気で飲み始めるが、やはり小説家が2人揃えば話す内容は自然とそちらに偏る。



裕介はずっと聞きたかったことを質問した。


「何で次から次へとヒット作を生み出せるんですか?」


こんな素人みたいな質問をしたら幻滅されると思い、ずっとできずにいたが、今日は酒の力を借り、思い切って聞くことにした。


すると望は裕介の心配を他所に、上機嫌でそれに応じた。



「面白い作品の共通点は何だと思う?」


それがわかれば苦労しないと思いつつも、これまで望の作品を読んだときに感じたことを羅列する。


「魅力的な登場人物と、それに感情移入させるような文章力でしょうか?」



さあ、ここから望に火が付きレッスンが始まる。


「それも大切だが、もっと根本的なことだ。アイディアや着眼点が面白ければ、文章なんか最低限でも十分面白くなる。逆に、文章力が高くてもアイディアがポンコツならヒットしない。まずはアイディアだ」



気付くと裕介は正座して聞いていた。


酒が入った状態で聞くべきでなかったと後悔したが、一言一句聞き逃さないよう集中する。



「ただ、下手な文章だと面白くても違和感が生まれて気が散ってしまう。最低限というのは、プロの小説家として、読者を引き込める最低限の文章力って意味だからな」



「はい!」


真剣な眼差しで頷く。


望もそんな裕介の姿勢に応えるようにさらに熱を帯びていく。


「アイディアは必ず閃いたものじゃなきゃいけない。打算的に作ったものではハネることはない。最初の一歩は必ず閃きじゃないとダメだ。その後、頭を使って生み出した登場人物が面白く展開してくれる。作家が展開を決めるというより登場人物たちが導いてくれる。そんな感覚を得られる作品は間違いなくヒットする」



裕介の顔に『その面白いアイディアが浮かばなくて困ってるんだよなぁ…』とハッキリ書いてあることに気付いた望は更にヒントを与えることにした。


「人それぞれ閃きが生まれやすいタイミングってのがある。俺の場合はシャワーを浴びているときと、バーで飲んだ帰り道だ。考えることをやめた瞬間、頭がスゥーっと冴えてくる。ピカッと光るように出てくるというより、元からそこにあったけど、見えていなかったものに気付く、そんな感覚が近い」


裕介はリュックからノートを取り出し、必死にメモを取る。


少し間を置いた後、少し不機嫌そうに望は続けた。


「ただ、世の中には天才がいる。松長明星って作家がいるだろ、アイツはありきたりのネタを神がかった文章力で最高傑作に化けさせる。だから俺はアイツのこと嫌いなんだよ」


そう言いケラケラと少年の様に笑っていた。


その後も小説談義は続き、深い時間まで飲み続けた。



裕介は住込みで付き人をしているが、365日常に一緒にいるわけではない。


3〜4日に一度は自宅に帰り、もらったアドバイスや、日々の考えや気付きをまとめる時間として休みをもらっている。


休みの前日に作業場で夕食を共にしてから自宅へと帰る。


翌日は丸一日、自分のために時間を使い、その翌日の昼前に作業場へと戻るという流れだ。


いつも休みをもらう時はカレーを多めに作り置きしておく。


望には毎回、人参が固いと言われるが、

こっちは一生懸命長時間煮込んでいるのに、それでも柔らかくならない人参が悪いと開き直っていた。



きっと今 鍋に入っているカレーも、頑固な人参が偉そうに存在感を示していることだろう。


人参とは、そういうものだった。



ふと時計を見るとそろそろ夕飯の時間が迫っていることに気付く。


今晩のメニューは望の好物である唐揚げ。


今日は朝も昼も食べずに作業していたので、きっといつもよりも食いつきがいいだろうと思い、いつもより多めに準備した。


19時になり、望の部屋をノックして夕食の時間を告げる。


少しすると望が食卓へとやってきた。


望の「おはよう」という挨拶に「こんばんは」と返す。

こんなヘンテコな挨拶がこの作業場では日常茶飯事だ。



他愛もない話をしながら夕食を終える。

その後、望に誘われて行きつけのバー、Eau de Vie(オードヴィー)へ飲みに行くことにした。



暖かい室内から寒空の下へ出ると、先ほどまでの様子から一変して、2人とも急に口数が少なくなる。


3月に入り、日中は徐々に気温も上がってきたが、夜になるとまだ冬の余韻の中にいるかのように身体が芯からが冷えていく。


しかし、そんな中でも桜の木には蕾がつき始め、春の到来を今か今かと機会を窺っているかのようだった。




店へ着くといつもの席へと腰掛ける。

カウンターの奥から3番目が望の定位置だ。


この席はバックバーが一番良い角度で見える一等地だという、望なりのこだわりがある特等席だった。



望は席へつくときに、カウンターの端に座る老紳士に会釈をする。

彼はそれにグラスを軽く掲げて応えた。


端の席はこの紳士の指定席だ。

いつもあの席で本を読みながら静かにウイスキー楽しんでいる。


一度も話したことはないが、いつ来てもその席にいる。


こんな、ほんの数秒の無言のやり取りに裕介は奥深さを感じた。


バーで良く一緒になる名前も知らない顔なじみの客同士。

その2人の人生がひょんなところで絡み合うストーリー。


そんなのも小説としては面白いかもしれないと、裕介にインスピレーションが湧いてきた。



望とともに行動していると、何故かいつもよりも閃きに出会うことが多くなる。


そんなことを思いながら席につき、小説談義に花を咲かせた。


——— 時計を見ると既に日付が変わっていた。

少し飲みすぎたなと、2人は笑い合い店を出た。


望は来た道を歩いて帰り、終電を逃した裕介はタクシーへと乗り込み別れた。



タクシーの中で裕介は、思った通り唐揚げの日はいつもより上機嫌だったな。

そんな"迷"推理にニヤリとしながら、今日話した内容を反芻していた。



望と酒を飲むときは、思った以上に大切なことが聞ける。


いつも聞き洩らさないようにと、酒を飲みすぎないよう注意しているが、今日は楽しさから思わず飲みすぎてしまった。


それらの記憶がアルコールとともに消え去る前にスマホに書き起こす。


いつの間にか寝落ちしてしまい、運転手の声で目が覚めた。



そのまま風呂も入らず布団へとダイブする。


酔いと日頃の疲れが重なり、まるで毒リンゴを食べた白雪姫のように深い眠りへと落ちていった。


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