辺りに広がるのは血の海。その中心で、一人の右腕を無くした少女が膝をついていた。まさに満身創痍、しかしその目の光は消えることなく、世界に生えている化け物としか形容できない者を睨んでいた。
「さすがの私も、びっくりするわねぇ」
この状況にはそぐわない、おっとりとした声で告げる少女は周囲に魔力の矢を無数に形成すると化け物に向かって発射する。
矢が化け物に殺到し、化け物の数多の顎や触手に突き刺さり、紅蓮の炎になる、その炎は龍のように化け物を締め上げ燃やし尽くす。
しかし化け物には効いておらず、数多の頭部がその炎を食らいつくす。
少女は続けて魔力を周囲に巡らし、そこから炎の槍を打ち込む。今度は串刺しにした瞬間、炎の槍が爆発。空間を震えさす衝撃を伴い、どんな相手でも粉微塵にする威力の爆発、しかし化け物はそれすらも食らいつくす。
「やっぱり魔法じゃあ分が悪いわよねぇ」
幾度となく攻撃を重ねてきたが、その全てが化け物に食らいつくされた。
「分が悪い? 違うな、無駄なんだ」
まるで世界から響いてくる声だった。少女は温度の無い目をそんな世界に向ける。
「あらぁ、化け物のくせして意思疎通ができるなんて、生意気ねぇ」
化け物の言う通り、化け物にはいかなる魔法も、数多の顎が食らいつくしてしまう。
そして、おかしいことが一つ。少女は先程から、食われた右腕を再生しようとしているのだが、どれだけ魔法をかけても再生することは無く、噴き出す血すらも止まらない。このままでは失血死してしまうのだが、少女は引けなかった。
理由は単純、逃げる場所が亡いのだ。
◆
少女の住んでいた世界は、突如襲ってきた化け物の軍勢に殺された。
世界にはその世界そのものである神が存在している。
この世界で最強の、神に匹敵するほどの強さを持つ魔法使いだった少女は、この世界の神と共に世界を守るため、化け物の軍勢と戦った。
化け物は魔法に耐性を持っていたようだったが神や少女の相手ではなかった。化け物の残骸で一瞬にして山ができる、終始二人が優勢だった戦いは、もはや一方的な蹂躙だった。
そしてそのまま戦いが終わると思ったとき、それは現れた。
無数の顎が二人を食らおうと殺到する、少女は完全に不意を突かれた形だった。しかし、神はそれに気づいており、避けられたはずだったのだが。
なぜか神は咄嗟に少女を助けた。
神に押されたと同時に、神と少女の右腕は化け物に食われていた。
神を失った世界は死んだ世界、急速に色を失い、朽ちてゆく世界に、その化け物は入り込む。
少女に世界と干渉するすべはない。
◆
「ワタシは世界になったのだ。いや、この世界はワタシだ」
「訳の分からないことを言わないでくれるかしらぁ」
そういいながらも少女は炎、氷、風、あらゆる魔法を化け物に打ち込み続ける。
「ハハハッ、魔法は無駄だと言ったはずだが?」
「うるさいわねぇ。話し相手ができてはしゃいでるのかしらぁ?」
少女はなおも魔法を放ち続ける、しかし狙いは化け物にではなく、世界に向けてだ。
「貴様では世界に干渉はできんよ」
「あまり舐めないでもらえるかしらぁ!」
世界に干渉する方法をしらない少女はそれでも、一縷の望みにかけて世界に向けて魔法を放ち続ける。
「闇雲に打ち続ければいいわけではない。こうするんだ」
化け物がそう言うと、少女の右腕に、肉が引き裂かれる痛みと熱が走る。
「――っ⁉」
唇を噛んで痛みに抗う少女だったが、無い腕の痛みなどどうすることもできない。
「ハハハハハッ、面白い! ワタシが貴様に干渉しても耐えるか!」
「ほんっっとうにあなたの言っていることが分からないわぁ」
なにかが腕を食い破って出てこようとする痛みが襲うが、少女は耐えながらもその時を待つ。
やがてその時が来た、なにかが右腕を食い破って出てくる瞬間を狙って魔法を放つ。少女の右腕から表れたのは化け物の顎だった。
爆炎が少女の右腕で爆ぜる。数瞬経って顎は爆炎を食らいつくすが、食らう前の爆炎が生えている化け物に襲い掛かる。化け物の半身が吹き飛び、ドロドロとしたものが滴り落ちる。
「あらぁ、無様な姿になったわねぇ」
額に汗を滲ませた少女は嘲笑する。
しかし、化け物は嬉しいのか、声を弾ませながら爆ぜた顎と触手を再生させる。
「やはり面白い! まさかワタシに干渉するとは、その腕はワタシからのプレゼントだ」
「はあ? あなた馬鹿にしているのぉ?」
「なにを怒っている。ワタシは遊ぶことができて嬉しいんだ」
少女は右腕を切り落とそうと左手に魔力を纏うが、右腕の顎が左腕の魔力を食らう。
「……面倒ねぇ」
少女は頬を引きつらせる。
「似合っているではないか」
「どういうつもりなのかしらぁ」
◆
「ストップストップ。なげえよ」
「む、なんじゃと」
二人掛けのテーブルで向かい合っているのは、波打つ杏色の髪を持つ深碧の瞳の少女……のような背格好だが美人系統の大人びた顔つきのラロックという女性と、口ひげを生やしたダンディなおじ様だった。
「男の姿になるのはやめてって言ったでしょう? 局長さん」
おっとりとした声の主は二人の後ろでココアを入れている、透明感のある純白の髪を持つ気品のある隻腕の女性、ティネケだ。
「まったくもう、結構気に入ってるんじゃがな」
局長と呼ばれたダンディなおじ様は猫の姿になるとテーブルの上で丸くなる。
「あたし猫アレルギーなんだけど」
「わーがーまーまーじゃーのー」
ヤギの姿に変わった局長は床にお座りする。
「えーと、どこまで説明したかしらぁ?」
湯気の立っているマグカップを二人分持ってきたティネケはラロックの前の席に座る。マグカップを受け取ったラロックはココアを一口飲んで口を開く。
「あんたの腕が生えてきたとこ」
「おいティネケ、ワタシの飲み物はないのか?」
びちゃびちゃ、と
「ワタシ神じゃよ?」
「右腕がねぇ、化け物の顎になっちゃたのよ」
「治んねえんだったよな?」
「本当に困ったわぁ、顕現させると魔法は使えないし、顕現させなくても私に回復魔法とか補助系統の魔法が効かなくなってしまったし」
肩を落としたティネケにつられて、ラロックも少し肩を落とす。
「そりゃあ戦える人材が必要だよな」
「ラロックちゃんが来てくれて助かったわぁ」
「改めて、ようこそ、異界探偵局へ」
水を飲み終えた
「探偵局ねえ……」
「ただ、ワタシが困った人間を助けたいだけじゃよ」
「私の目的も探偵局への依頼の一つよぉ」
「報酬としてティネケに働いてもらっているんじゃよ」
「はあ、そのティネケの目的ってのが」
「ティネケの世界を殺した、なおかつティネケの腕を奪った化け物の軍勢――魔界からの敵をぶちのめすことじゃな」
「魔界からの敵、どこにでも湧く奴らだな」
「本当にふざけた連中よねぇ」
「奴らの行動原理なんて理解することはできんよ、ただ確かなのは君たち人間の敵ということじゃな」
ラロックは首を捻る。なんで話が終わってんだ? と。
「なあ、新人に対する説明の途中だったよな?」
のんきにココアを飲んでいるティネケに聞いてみるが返って来たのは。
「そのうち慣れるわよぉ」
慣れるもクソもない、なにをすればいいのかを聞いていないのだ。そもそも説明すらも十分にされていない。自分も少し脱線してしまうのを手伝った気もするけど。
「あたしが長々と聞いていた話はなんだったんだよ!」
「でもぉ、ラロックちゃんがストップしたじゃない」
「いやまあそうだけど! 要するに⁉ 結構話の結末気になってんだけど⁉」
「私がここにいるから、もう気にしなくていいわよぉ」
「気になるわ!」
ラロックがテーブルに乗りあがると。
カラン――と、ドアの開く音がした。
「依頼人じゃな」
「ラロックちゃん、初仕事よぉ」
「……嘘だろ」
詳しいことはいまいちというかほとんど分からなかったラロックだったが、大人しく一人と一匹に従うことにするのだった。
ここは異界探偵局。依頼解決に奔走するのは各世界で最強の魔法使い達だ。