「どうしてその呼び名を知っているんだ!」
「近寄るな、このバケモノ!」
それは、そう遠くない過去の記憶。
目の前には、恐怖に怯えて震える男の子。
信じられない、そう言いたげな彼の執事。
ジュースを頭から被せられ、びしょびしょになってしまったドレス。
慌てふためいている周囲のメイドたち。
アメリアは、自分が何を言われたのか理解するまで固まることしかできなかった。
――バケモノ。
たった四文字のその言葉は、アメリアを殻に閉じこめるには十分すぎるものだった。
直接目と目が合ったら、その瞬間。
意思なんて関係なく、そのひとの考えていることを読み取ってしまう。
伯爵令嬢のアメリア・コリンズは、そんな能力を持って産まれてきた。
それがアメリアだけの特別なものだなんて、幼い彼女は知る由もなかった。
何の悪意もなく、考えていることを言い当ててしまって、突然バケモノ呼ばわりされたアメリアは酷く塞ぎ込み、それ以来、人前に出る時は必ずベールを被るようになっていた。
彼女の秘密を知るのは、家族と限られた使用人、そして唯一の親友・エマのみだった。
アメリアが顔を隠し続けて、もう十年以上経った。
十九歳になった今も変わらず、それは続いている。
「コリンズ家の娘の素顔、知ってるか?」
「なんでもとんでもない美人だって聞いたことはあるが」
「ああ、おとぎ話のお姫様も逃げ出すレベルだってな」
「いや、俺が聞いたのはこの世のものとは思えない程の醜女だって噂だぜ」
「ギャハハ、それなら顔を隠してるのも頷ける」
荒れくれ者の集う酒場では、下世話な話題がメインディッシュ。
時折、アメリアの素顔が話題に上がることもあった。
自分が人々の噂の種になっているなんて露知らず、艶々ときらめく金髪を風になびかせ、美しく成長したアメリアが自室の窓から顔を覗かせた。
青いビー玉のような瞳に澄んだ空の色が映える。
信頼できる限られた者のみと交流しているアメリアにとって、そんな些細な噂に心を砕くよりも、日課の小鳥たちへの餌やりの方がよっぽど有意義で大事なことだった。
「いつか私にも素敵な出逢いがあるかしら……」
そんなアメリアの独白を聞いた小鳥たちは、彼女を慰めるように囀りを返す。
「ふふっ、慰めてくれてるのね。ありがとう。私もそろそろ行かなくちゃ」
小鳥たちにお別れを告げたアメリアは、うきうきと出掛ける準備を始める。
今日はエマと街に遊びに行く約束がある。
今流行りのお店でケーキを食べるのだ。
遅れるなんてことがあってはいけない。
彼女の親友は、時間と甘いものにうるさいのだから。
「アマンダ、ちょっと手伝ってくれないかしら」
窓を閉めて、レースカーテンをシャッと閉じたアメリアは、着替えのために彼女のメイドを呼びつけた。
◇◇
そんな彼女を見守る影がひとつ。
「素敵な出逢い」という言葉にショックを受け、真顔でぴしっと固まっている屈強な男。
彼こそが、侯爵騎士のルーカス・ウォード。
密かに重たい愛を抱え込んでいる爆弾だ。
普段のルーカスは常人である。
むしろ仕事にも真面目に取り組み、周囲からの評判も高く、美男で、エリートで完璧な騎士だった。
国内外問わず、結婚の申し込みが絶たないというが、彼は丁重にお断りするばかり。
誰か心に決めた女性がいるのではないか。
彼に想いを寄せる若い女性の間で、そんなことがまことしやかに囁かれている。
結論からいうと、その噂は真実だった。
「アメリア……素敵な出逢い……」
屋敷を囲む塀に凭れかかり、項垂れて頭を抱えるこの男。
不審な者がいないかと見回りをしていたにも関わらず、自分が不審者に成り下がっているこの男こそ、アメリアのことになると、たちまち狂人に変貌する厄介な男だった。
今のルーカスは気が気でなかった。
業務中にも関わらず、人目を気にせずに固まってしまうぐらいには脳内が爆発していた。
(アメリアに素敵な出逢い、だと?
彼女がそれを望んでいるというのか?
…………このままではまずい。
俺の! 天使が! 何処の馬の骨ともわからない他の男に奪われるなんてことがあってはいけない!
万が一、否、億が一、そんなことが起きれば、俺はそいつを丁寧に切り刻んだ後、燃えたぎる炎の中に投げ入れてしまう。
だが、そんな血に汚れた手で純白の天使に触れるなんて、たとえ大天使アメリア様、神様が赦しても俺は自分を許せない……!
嗚呼、でも心配しないで、愛しのアメリア。
君を置いてはいかないよ。
もしそうなったら、君を殺して、俺も共に逝こう。
たとえ天国でも、俺たちならうまくやっていけるさ。
大丈夫。死ぬのが嫌というなら、俺の手を切り落としてしまおう。
君を抱き締める腕がなくなるのは正直辛いが、君から抱きついてもらえばいい。うん、それはそれで最高だ。むしろそっちの方がいいのでは……。
……ゴホン、しかし、それは最悪の場合だ。
そんな未来、今から俺が壊してみせるとも。
待っていておくれ、最愛のアメリア。
美しい瞳に浮かぶ涙も宝石のようにきっと綺麗なのだろうけれど、君を悲しませることはしないよ。
他の男なんて目に入らないぐらい、俺が君を愛するから。
もしそれでも君が他の男に目を奪われるようなら、その愛らしい瞳をくり抜いて食べてしまおう。
安心しておくれ、その時は俺が君の瞳になるよ。
そのままどこにも行かないように閉じこめて、二人きりで幸せに暮らそう。
だから、アメリア、まずははじめましてから始めよう。
今日こそ、君に認知してもらうぞ。
君にはじめましてと言ってもらえたなら、今日という日は記念日だ。国民の祝日にしてもらえないか、皇帝陛下に掛け合ってみることにしよう。
……嗚呼、兎にも角にも、今は君の危険を排除することが先決だ。
こうしちゃいられない、君との眩い未来はこのルーカス・フォードが救ってみせる……!)
アメリアと顔も知らない誰かの“素敵な出逢い”を阻止するべく、目に光を取り戻したルーカスはロングコートを翻し、足早に屋敷の前を立ち去った。
今日こそは彼女の知り合いにランクアップするのだと、息巻いていたルーカス。
初恋を拗らせに拗らせた男が行き着いた先は、彼女を影から見守るストーカーだった。
好きな人にどうアプローチしていいのか、わからない。
常人の皮を被った、救いようのない狂人である。
◇◇
約束の時間通り、待ち合わせ場所の時計広場に到着したアメリアは、エマはどこかしら? と辺りをきょろきょろと見回す。
「アメリア、こっちよ!」
すると、先に到着していたエマが、ぴょんぴょんと飛び跳ねながらよく通る声で名前を呼んだ。
今日は執事を連れてきていないらしい。
(きっとエマの執事がいたら、淑女らしくないって叱っていたに違いないわ)
無邪気な親友の姿を視界に入れたアメリアは、アマンダとくすりと笑いあった。
いつも変わらないエマの底抜けの明るさ。
アメリアがどれだけ彼女に救われているか、当の本人はきっと考えたこともないだろう。
駆け寄りたい気持ちを抑え、お淑やかなレディを演じるようにエマの元まで歩みを進めると、アメリアはほっと息を吐いた。
「昨日からずっと楽しみにしてたのよ、早く行きましょう」
「ふふ、そうね。エマがそこまで言うんだもの、私も楽しみだわ」
仲のいい二人は楽しそうに笑い合いながら、女性客で賑わうカフェに入っていった。
入口近くのショーケースには、まるで芸術作品のように綺麗に飾り付けられた色とりどりのケーキがずらっと列を成している。
真っ赤な苺が乗った生クリームたっぷりのケーキが一番人気で、その隣にどっしり構えるチョコレートケーキも美味しそう。フルーツたっぷりのタルトは、ツヤツヤにお化粧されていて一際目を引く。
見ているだけでワクワクする。
席に案内されてメニューを眺めるけれど、アメリアもエマも優柔不断でなかなか決めることができない。
「あぁ、もう全部食べた~い」
「太るわよ」
「わかってるわよ。エイミーったら、いつからそんな意地悪言うようになったのかしら」
やれやれと首を傾げて、お姉さんぶっているエマは放っておいて、アメリアはメニューをぺらぺらと捲り、さっさとどれにするか決めてしまう。
「よし、決めたわ」
「えー、早いよ! もうちょっと悩ませて」
「はいはい、ごゆっくりどうぞ」
まるで姉妹のようなやりとりに、アマンダがにこにこと嬉しそうに微笑む。
(お嬢様が楽しそうで何よりです)
一時期はこの先どうなることかと不安になるぐらい人を寄せ付けず、深く傷ついたことのあるアメリアを最も近くで見てきたからこそ、彼女が楽しそうに過ごしていることがアマンダにとっては涙を浮かべるほど嬉しかった。
長年面倒を見てきた彼女は、誰よりもアメリアの幸せを願っていた。
そんなアマンダにアメリアは声をかける。
「アマンダも決まったの?」
「私は……、」
「いつも遠慮しないでって言ってるじゃない。ほら、早く選んで」
「では、これを……」
「うん、それを選ぶと思っていたわ」
おずおずとメニューを指させば、アメリアはお見通しといったご様子で満足気に頷いた。
お嬢様……! とアマンダが感激に震えている間に、頭を抱えて悩んでいたエマもどれにするか決めたらしい。
ウェイトレスを呼んで注文すれば、途端に手持ち無沙汰になってしまう。
「こうして会うのも久しぶりね」とエマに話しかけようとしたとき、アメリアの耳にひそひそと押し殺した声が聞こえてきた。
いくつかの好奇の色に満ちた視線も感じる。
「あの方って、例の……」
「そうよ、残念な容姿をしているから顔を隠して過ごしてるって聞いたわ」
「まぁ可哀想に」
「だからもうすぐ二十歳になるっていうのに、結婚の申し込みも一切ないらしいわよ」
「コリンズ家も残念でしょうね」
さすが流行最先端の人気店。
流行りものが大好きな女性客が九割以上を占めるこのお店には、噂話が大好きなマダムやミーハーな若い令嬢たちが多くいるらしい。
わざとアメリアに聞こえるように話すあたり、他人を蹴落として、見下すことが趣味なのだろう。
そんな心の醜い人たちを相手するアメリアではなかったが、聞いていて気分のいいものではない。
聞かないように意識するけれど、逆に耳に入ってきてしまう。下卑たくすくす笑いの声が、ぞわぞわと背中を擽る。
ちくちく、心臓を針で刺されているような痛みに、せっかくの楽しい気持ちが萎んでしまった。
「ごめんね、エマ」
きっとエマにも嫌な思いをさせた。
小さな声で謝ると、エマはにっこりと綺麗な微笑みを作った。
そして親指でぐっと後ろを指差すと、笑顔を作ったまま目をかっぴらいた。
「ちょっと行ってきていいかしら?」
……エマのよくないところだ。
アメリアのことになると、誰彼構わず喧嘩を売ってしまう。
駄目よ、と言い聞かせて抑え込んでも、一言言ってやらないとエマの気は収まらないらしい。
「アマンダも止めて」
「いいえ、お嬢様。私もエマ様に加勢します」
「振りかざした拳は途中で降ろせないのよ」
「ええ、この日のために私は鍛えてきました」
私ひとりじゃ止められない。
そう思ってアマンダに助けを求めるも、彼女も溺愛するお嬢様が小馬鹿にされているのが許せないらしく、瞳を怒りに染めていた。
エマに加勢する気満々だ。
アメリアを溺愛するオタクふたりは、少々愛が過激になりがちである。
「やめて、問題を起こしたらもうここに来れなくなっちゃうじゃない。そんなの、私嫌よ」
「……しょうがないわね、今回は見逃してやるわ」
「次はありません」
貴女たちとこれから何度だってこのお店に来たいのに。
暗にそう伝えると、エマとアマンダはようやく怒りを沈めることにしたらしい。
自分の代わりにこんなに怒ってくれるひとがいる。
それだけで、アメリアは言葉のナイフで傷つけられた痛みが癒える気がした。
その後、陰口を話していた令嬢たちは荒れ狂うエマとアマンダを視認したせいか、居心地悪そうにそそくさと退散していた。
「自分の言葉に責任を持てないひとは、最初から口に出さないことね。悪口なんて軽々しく言うものじゃないわ。いつか自分に帰ってくるもの」
その様子を未だに怒り冷めやらぬ瞳で見つめながら、エマは呆れたように言った。
(楽しくなるはずの休日だったのに、私のせいで台無しにしちゃったな……)
落ち込んだアメリアが表情を曇らせていると、ワゴンに乗せられたケーキたちが仰々しく登場する。
エマが悩みに悩んで決めた王道ショートケーキ、コーヒーが好きなアマンダにぴったりの大人なティラミス、そしてアメリアが一目で気に入ったキラキラなフルーツタルト。
白いテーブルの上がカラフルに飾り付けられる。
下降気味だった女子三人組のテンションも、ケーキのお陰で上昇する。
いただきます、とドキドキしながら口に含む。
途端に口の中いっぱいに幸せが広がって、三人の周囲にはふわふわとお花が飛んでいた。
いつもならこのままお互いの近況を話しながら、ケーキを食べ、優雅に紅茶を飲む時間は、アメリアにとって何よりも至福の一時になるはずだった。
だけどなんとなく、あんな噂話をされた後だからだらだらと長居するのも居心地が悪い。
自意識過剰なのかもしれないけれど、周りのお客さんがアメリアに好意的ではない視線を送っているように感じてしまう。
人の目を気にしがちなアメリアにとって、それは仕方のないことだった。
せっかく美味しいケーキを食べているというのに、だんだん萎縮して笑顔がなくなっていくアメリアを見かねたのか、食べ終わるとエマがすぐに立ち上がった。
「そろそろ行きましょう」
「え?」
「今日は天気もいいし、お話なら噴水前のベンチでもできるもの」
それを聞いたアマンダも「そうですね」と立ち上がり、荷物をまとめる。
(いつも気にしてもらってばかり……)
胸がいっぱいになったアメリアが優しい二人に「ありがとう」と言うと、「何のことかしら」とはぐらかされた。
この二人がいてくれてよかった。
アメリアはじーんと胸の奥が熱くなるのを感じながら、先を歩くエマの姿を追いかけた。
◇◇
広場には街のシンボルともいえる時計塔と、決められた時間で仕掛けが発動する噴水がある。
舗装された石畳の道は馬車が行き交い、人々が休めるようにと設置されたベンチは、カップルからお年寄りまで多くの人に利用されている。
アメリアとエマは、ちょうど空いていた噴水前のベンチに座り、近況報告に花を咲かせた。
思い出話から最近あったおかしなことまで話のネタは尽きなくて、あっという間に時間は過ぎていく。
そろそろお別れの時間かしら、とアメリアが残念な気持ちになっていると、頬を染めた若い令嬢たちがとある場所を見つめてこそこそと話しているのが目に入った。
「騎士団の皆さまに出会すなんて……」
「見てるだけで幸せですわ」
「ああん、レオナード様の色気がこんなところまで……」
「一度でいいからランハート様に抱かれてみたいわ」
「ルーカス様ったら、今日も無表情なのね。笑ってるところが見てみたいわ」
皇帝陛下の名のもとに、国のために闘う誇り高き騎士団。
その団員が数名、この近辺の見回りを行っていたらしい。
頬に傷のある団長のレオナード・ロバーツは、若い頃に武勲を立ててその地位まで登りつめたという。
強さで彼の右に出るものはいない。間違いなく、この国で最も強い男である。
長髪をかきあげて、豪快に笑う姿は男女問わず虜にさせる。彼に憧れて騎士団を志す男子も多いという。
目をハートにした令嬢たちに囲まれて、楽しそうに笑っているのはランハート・ロペス。
女性とトラブルを起こしがちなところは玉に瑕だが、剣の腕前は随一だという。
そして、最後はルーカス・ウォード。
周りの人間なんて知らんぷり、常に無表情で他人に興味のない男。切れ長の目がより一層クールに見せる。
無愛想なのに人気があるのは、生まれ持った顔の良さのお陰だろう。
アメリアも他の令嬢に倣って、彼らをじっくり観察する。
何度も街に来ているけれど、騎士団に遭遇するのは初めてだった。
(私が普通の女の子だったら――あの子たちみたいにときめいて、恋をしていたのかな)
そんな、まさか。
ないものねだりを打ち消して、アメリアはベンチから立ち上がった。
「エマ、そろそろ帰りましょう」
「そうね、この辺りも騒がしくなってきたし。暗くなる前に帰った方がいいわ」
「じゃあ、ここでお別れね」
またねとエマに手を振ってアメリアが道路を渡ろうとすると、数メートル後ろにいた馬車が突然暴走し始める。
「危ねぇ! 退いてくれ!」
何かにびっくりして興奮しきった馬が言うことを聞いてくれないらしい。
必死に御者の男が叫んでいるけれど、咄嗟のことにアメリアの身体は恐怖で固まってしまう。
自分より何倍も大きなものが、どんどんスピードを上げて迫ってくる。
それがわかっているのに強力な接着剤を付けられたみたいに、地面に足が引っ付いて離れない。
「エイミー!」
エマの悲壮な叫び声も聞こえてくる。
もう駄目かもしれない。
アメリアはギュッとベールの下で目を瞑った。
――ふわっ。
すると、不意に体が宙に浮いている感覚がして、凄まじい音を立てて馬車が通り過ぎていく。
「もう大丈夫ですよ」
落ち着いた低い声で囁かれて、恐る恐るアメリアは目を開けた。
至近距離にルーカスの顔があって驚くと同時に、彼に抱え上げられていることに気がつく。
――無表情だ。感情のない冷酷な男だ。
さっき令嬢たちがそう噂するのを聞いたけれど、アメリアはそれは嘘だと思った。
だって、信じられない。
こんなに優しく、慈愛に満ちた瞳で綺麗に微笑んでいるひとが、冷酷だなんてありえない。
しかもその表情を向ける先が、多くの人が毛嫌いしているアメリアなんて尚更。
(騎士様は今何を考えているのかしら)
どうか向けられた感情が好意的なものでありますように。
そんな馬鹿げたことを願いながら、アメリアは彼に見惚れてしまった。
「あ、ありがとうございます」
安全な道の端で降ろされて、ハッと我に返ったアメリアは慌ててお礼を言う。
すると、ルーカスは白魚のような手を取って、服が汚れるのも気にせず、その場に跪いた。
「騎士として、貴女をお守りするのは当然です。怪我はありませんか?」
異性にこんな風に扱われるなんて、初めてだ。
レザーグローブ越しに手の震えが伝わっていないか、気になってしまう。
ドキドキ、胸の高鳴りは止まる気配がない。
アメリアが小さく頷くと、ルーカスは「よかった」と心底安心したように呟いた。
(今日初めてお会いしたのに……)
なんとなく昔から知っているような、そんな不思議な感覚がある。
もしかすると、気づいていないだけですれ違ったことがあるのかもしれない。
どこかでお会いしたかしら。
アメリアが記憶を辿っていると、ルーカスはそれを遮るように声をかけた。
「親愛なるアメリア様、私の名はルーカス・ウォード、以後お見知り置きを」
騎士らしく頭を垂れたルーカスは、恭しく手の甲に口付ける。
途端にアメリアの心臓が飛び出してしまいそうなほど、早鐘を打つ。
動揺したアメリアは返事を返すこともできず、全身を朱に染めることしかできなかった。
嗚呼、ベールを被っていてよかった。
顔が真っ赤に染まっていることに気づかれなくて済むから。
(ルーカス様……)
騎士団長の元に戻っていく後ろ姿を、ぽーっと見つめるアメリア。
心の中にぴょこんと恋の芽が生えたことには、まだ気がついていなかった。
◇◇
(死ッッ!)
背を向けたルーカスは、間近で見るアメリアの威力に死にかけていた。
しかし、長年培ってきたポーカーフェイスを崩すことなく、街の人たちの賞賛の声を一身に受けている。
「さすが騎士様だわ」
「ルーカス様って、寡黙でかっこいいわね」
ただ、本人に聞こえるように囁かれた声は、天に召されるかのような気分を味わっているルーカスの耳には残念ながら全く入っていなかった。
(ははははははじ、はじめて! はじめてはなしてしまった……!
あの愛し子に触れてしまった……!
毎日のように夢見ていた、アメリアの目に映ることを。
こんなにも騎士でよかったと思ったことはない。
今なら何百人が束になって襲ってきても返り討ちにできるぐらい、パワーが漲っているのが自分でもわかる。
貴女はどんな匂いで、どんな感触がして、俺に対してどんな風な態度をとるのだろう。そんなことをずっと考えてた。柔らかな優しい春の香り、筋肉隆々な自分とは全く違う、触れたらすぐに折れてしまいそうな華奢な身体。…………嗚呼、思い出すだけで興奮して、今夜は眠れそうにない。
我が愛しきひとよ、これからも永遠に私は貴女だけの騎士で在り続けます。)
◇◇
「アメリア! いつか必ず貴女を……!」
興奮しきった身体を鎮めようとルーカスが夜な夜な剣を振って汗を流している頃、同じようになかなか眠りにつくことができずにいたアメリアは、自室の窓から三日月を眺めていた。
「はぁ……」
重たいため息。まるで、恋煩い。
ベール越しに見た彼のことを思い出すだけで、胸の奥が震えて、焦がれてしまう。
夕飯も喉を通らなくて、せっかくシェフが美味しいご飯を作ってくれたのにほとんど残すことになってしまった。
苦しい。心臓が痛い。
(だって、私じゃ駄目だわ……)
嫌われ者のアメリアが想いを寄せても、それはきっと彼にとっては迷惑。
彼の築き上げた人気に傷をつけてしまうから。
彼の重荷にはなりたくない。
(もう、会わない方がいいわ)
会わなければ、きっと忘れられる。
そんな決意とは裏腹に、つーっと勝手に涙が溢れてくる。
するとその気配を察したのか、幼い頃からの友人・ハスキーのハリーが近寄ってきて心配そうにアメリアの手を舐める。
小さく微笑んだアメリアは「大丈夫よ」と頭を撫でて、共にベッドに戻った。
(目が覚める頃には、この痛みが消えていますように)
そんなことを願いながら、アメリアは瞳を閉じた。