剣二郎の産まれは、なんてことのない下級武士の家だった。だが、10の時、藩の言霊術
元服の頃には幕府の有する愛された魂といくつかの契約を交わし、お抱え術師の一人となった。
当時の幕府はあまり権力が強くなく、地方では度々叛乱が発生していた。その鎮圧の先頭にはいつも剣二郎がいた。そうやって数々の武勲を立てた彼は20になると術師筆頭となった。
その中で、ある女性を愛した。トメという桜色の着物が似合う美しい女だった。彼女と共に生きること。それが彼にとって何よりの幸せだった。
おそらく、その頃までは彼は幕府に忠誠を誓った優秀な戦士だったのだろう。だが、その力を恐れた幕府はトメを人質に取るという行動に出た。
それが、幕府の運命を変えた。
募る不信。いや、正確には不信を抱かれたことに傷ついたのだ。トメと会うことに特別許可が必要であったようなことはない。ただ、常に監視されているだけだった。
そんな彼女は時折不安を漏らす。大丈夫だ、とその度に彼は言った。確信などどこにもなかった。自分が少しでも不穏な動きを見せれば容易く奪われる命だ。
ある時向かった戦場で、彼は子供を相手にした。見逃せば妻子が殺される。だが殺せばヒトとして大事なものを失う。その葛藤の末、彼はその子供を殺害した。自然と笑いが込み上げてきた。
その親が復讐にやってきた。強かった。彼は両腕を失い、胸を刺された。このまま果てるのか──そう思った時、彼は己の中で脈動するものを感じ取った。魂だ。魂の形を認識したのだ。その瞬間、全ての傷が癒えた。魂に眠るあらゆるエネルギーを自在に行使できるようになった。そうなれば、一瞬で勝負はついた。
ここから、史上最強と呼ばれる彼の伝説が始まった。
単独で500人ほどの規模の一揆を鎮圧した。いや、皆殺しにした。そこで彼は己の本性に気づいた。命を奪うことこそが、至上の楽しみなのだと。
帰ってきた彼を待っていたのは、左遷だった。失望した。家族と共に出雲に送られた彼は燻り続けた。
幸い、食事に困るようなことはなかった。彼がいるというだけで抑止力となり、出雲は安定した。だが、力を振るうことができないストレスが彼の心を押し付けていた。
数年後、病が流行った。トメも子もあっさり死んだ。彼はそこである決断を下した。2振りの刀と途方もない魔力を以て、全てを破壊するのだ、と。
その後のことは伝承に語られる通りである。幕府の総力を挙げた攻撃の前に封印され、数百年眠っていた。そして、ヨウマと対峙する今に至る。
「──なあ、ヨウマ」
血濡れの戦場で、彼は呼びかける。
「殺し合いを楽しんでいるか?」
「別に」
「強者は孤独なものだ。故に戦いそのものに意味を見出す。お前だってそのはずだ」
「僕は孤独じゃない」
その裏で、イルケがキジマを連れていく。
「……終わらせよう」
ヨウマはそう呟くように言って、敵に向かった。刀と刀は1秒間に10回はぶつかり合う。それが数分間続いた。どちらも鈍ることのないエネルギーを纏った刃だが、やはり徐々に消耗する。両者ともに、止めを刺さなければと思い始めていた。
「空高く、果てなく舞い上がれ、我が心!」
剣二郎が声高に詠唱しながら突きの構えをとる。
「無窮剣光!」
白刃が首を傾けたヨウマの頬を掠めた。傷は消えない。雷滅と同じ再生阻害魔術。
彼は突き出された右腕を切り落とし、蹴り飛ばした。
「天空の向こう側、雄々たる雷刃よ、命に刃向かい終焉を呼べ」
駆け寄りながら呪文を唱え、刀に雷を纏わせる。
「雷滅」
津波のような結界弾の群れが押し寄せる。高く跳躍してそれを越え、頭頂部を見下ろした。これで最後だ──その決意の叫ぶままに、得物を振り下ろした。
パキン。硬質な音。ヨウマは地面に落ちた銀色を見た。剣二郎の刀が折られたのだ。上体を逸らしたことで致命の一撃を避けた剣二郎だが、武器を失ってはどうしようもなかった。ただ、高笑いをする。
「俺より先に刀が駄目になるとはな」
中程で断ち斬られた得物を剣二郎は投げ捨てた。
「しかし舐めるなよ」
「わかってるよ」
切っ先を向けるヨウマ。それを構えたところで、剣二郎が来た。
「鋼体!」
叫びと共に繰り出されたストレートを斬ろうとする──が、まるで甲殻に当たった時のような音がした。パンチは逸れて空を突く。
(肉体を硬くする術?)
結論はすぐに出た。なら一つ試したいことがある。刀を熱した。久しぶりだった。
「熱を持たせる術か! 悪くない!」
正拳が顔面目掛けて飛んでくる。ヨウマは冷静にそれを見切り、潜り抜けると同時に右腕を切り落とした。やはり熱で断てる。その認識が共有された瞬間、剣二郎は鋼体を解いた。
「熱されれば硬度が増す金属……なるほど、魔術で製錬されたものだな」
注意深く相手を観察しながらヨウマは汗を拭った。元通りになった右手を開いて握って、剣二郎は確かめている。
「這焔」
剣二郎は小さな声で術の名を呼ぶ。すると地面の中から火柱が立った。だがヨウマの方が早かった。魔力の流れを感じ取った彼はすでに攻撃の体勢に入っている。逆袈裟、一文字。どちらも当たらない。振り抜いた一瞬の隙をつかれて、剣二郎に殴り飛ばされる。着地を狙い澄ました炎の槍が、左腕を消し炭にした。それもすぐに癒える。
(もう1発、いけるか?)
ヨウマは自分の魂に問いかける。燃え盛る魂が返事をするわけではない。だが信じた。外せば終わる、その一撃を。
「楽しませてもらった」
剣二郎が両手の間に炎の球を生み出しながら、笑って言った。
「殺すには惜しいが……俺の全力を以て葬ってやる」
彼は空に火球を掲げる。
「魂を知覚した者の殺し方を教えてやろう」
火球は時と共に大きくなっていく。赤子が育っていくように。
「即死だ。頭を一撃で潰すのだ。少しでも意識が残っては駄目だ、その間に修復できてしまう」
太陽と見紛うほどの輝きが、雪を溶かす。
「震えよ、怯えよ、我が行く。森羅万象焼き尽くせ」
一気に収縮した火球はその光を増す。ヨウマは最早直視できなかった。
「愛天不可逆!」
拳銃のような形を作った右手から、ピンポン玉ほどの大きさの弾丸が発射された。無詠唱での結界展開が可能か、ヨウマは思考する。試す余裕はない。そんな賭けをするくらいなら、使い慣れた術こそ使うべきだ。その0.1秒の判断に従って、彼は雷の槍を投擲した。ありったけのケサンを込めた。
爆煙。極限にまで凝縮されたエネルギー同士の衝突だ。その余波は結界を震わせ、半径50メートルの建物を半壊させた。
やがて晴れる。そこに残ったのは、左上半身を消し飛ばされて倒れたヨウマと、自身は結界でやり過ごした剣二郎だった。
「死に損なったな」
再生の遅いことに、ヨウマは自身の限界を知る。ケサンは枯渇。視界はぼやけている。指1本動かす気力もなかった。落ちた刀を握ろうと思っても、体が言うことを聞かない。
「今止めを刺してやる。動くなよ」
生きる意味。そんな言葉が彼の脳裏を過った。待っている者がいる。会いたい者がいる。守りたい者がいる。わかっている。
「ア……」
ヨウマは無意識に声を発していた。
「ほう、まだそんな力があるとはな」
粉雪が彼の顔に降り掛かる。
「ゆうか……」
「女の名前か?」
剣二郎は痰を吐き捨てた。
「戦いの中で女の名前を呼ぶ時は二種類。瀕死の人間が甘ったれて言う時。もしくは、勝利を確信して褒美を持ち帰ろうという時。お前はどちらだ?」
想い人が頭に浮かべば、少し腕を伸ばせた。柄に指先が触れる。
(死ねない)
朦朧とする意識の中でそれだけははっきりしていた。
「僕は……」
刀を握る。
「僕は! 死なない!」
一気に再生が終わる。
「雷! 滅!」
完全なる、不意打ち。致命の光を纏った剣は深々と剣二郎の心臓に突き刺さり、鮮血が流れた。彼はそのまま斬り下ろす。
「クク……ハハハ……!」
剣二郎は笑い出した。
「よくやった。お前の勝ちだ」
膝をつく剣二郎。立ち上がったヨウマは見下ろす格好だ。
「最後に一つ教えてやる」
「何?」
「穢れた裏切者は殺しておいた」
「そっか。じゃあね」
刀が振り上げられる。それが、剣二郎の首を断った。転がる頭。再生の気色はない。
「これで、終わりか……」
ぐずつく心。力なく空を見上げた。黒い雲の向こうに、光がある。届かないと知っていながら手を伸ばした。
◆
「さて、どうするかね」
冥道衆からの報告を受け取った陽議は高禍に向かってそう言った。
「まずは戦力の回復に重点を置くべきかと」
「その通り。フロンティア7からは手を引くかねえ」
「当分は活動できませんね」
「召喚術をまともに使える人間が10人集まるってのは滅多にないからねえ。暫くはお休みだ」
畳の上に倒れた彼女は、揺れる電燈のスイッチを眺めた。ここは離れ。障子に囲まれた空間は静謐だった。
「よ、陽議さん!」
障子が男の手によって開けられる。と思えば銃声と共に男は倒れた。その背後から、短機関銃を構え、防弾チョッキとヘルメットを着用した軍人が現れた。
「いたぞ!」
彼が引鉄を引く直前に、陽議は結界を展開する。だが。横から来た銃弾に頭を貫かれ、高禍もろとも即死した。
この村を襲ったのは皇国陸軍だ。頭頂高5メートルの二足歩行兵器、陸式魔道兵器がその右手の魔力砲で住民ごと民家を吹き飛ばす。出てきた者は歩兵に撃ち殺される。凄惨な虐殺が行われていた。
このような事態になったのは、剣二郎復活時に発せられた膨大な魔力を国が検知したからだ。それ以前から政府は村の存在を察知していた。だが、剣二郎を復活させる可能性がある以上積極的には動けない。その脅威がなくなった時点で、国は素早く行動を開始していた。
殺戮は1時間ほどで終わった。結界の外に逃げ出した村民も徹底的に追撃され、森の中にはところどころに血痕があった。
上空からやってきたヘリコプターが、兵士を収容して飛び去っていく。親の死体の下から這い出てきた少年がそれを睨む。拳を突き上げる。そして泣き叫んだ。少年は知った。力こそ全てなのだと。
◆
それから2年。最年少、そして初の地球人七幹部となったヨウマは出かけていく優香を見送った。
「じゃ、僕も行ってくるよ」
振り返って深雪に声を掛ける。優香は東皇大の情報工学部に合格した。人工知能の研究に携わりたいのだという。
「は、はい。いってらっしゃい、です」
小さく手を振る彼女に同じ動作を返して、歩き出す。小鳥の群れが空をザアッと過ぎ去っていく。再びやってきた夏は、半袖の腕にじっとりとした汗をかかせる。だが彼は嫌いではなかった。
「よっ」
信号を待っていると、キジマに声を掛けられた。
「やっほ。元気?」
「おう、いつも通りだぜ。お前はいつも通り訓練か?」
「うん、みんな動きがよくなったよ」
今のヨウマはグリンサと共同で何人かの弟子に稽古をつけている。七幹部の重要な職務の一つだった。
「キジマは弟子取らないの?」
「もう少し出世したらだな。今のところ手柄は全部お前に取られてるしよ」
「でもキジマがいなかったら僕は死んでるよ。ゴーウェントにやられてた」
「じゃあわけてくれよ」
「それとこれとは別だよ」
「手厳しいぜ」
信号が青に変わる。歩き出す二人。
「オパラ、何がしたかったんだろう、って今でも思うんだ」
「結論は出たろ。ユーグラスへの復讐だ」
「でも僕らにとって有利になる情報も渡してきた。本当に目指していたのは、正義も悪もない、ドロドロとした血みどろの世界だったのかもしれない」
「今更死人の考えてたことなんてわかりゃしねえよ」
「そうだね、その通りだ……」
空は青い。彼の心に残ったのは蟠り。吐き出した息は、遥か彼方へ消えていく──。