「つまらんなあ」
剣二郎は倒れ伏したグリンサを前にそう言った。雪の降る往来の真ん中、積み重なった車がバリケードのようだった。
「骨のあるやつを連れてこい。お前は殺し甲斐がない」
彼女は罵倒を受けて、立ち上がりたいと思った。しかし不可能だ。右膝から下がないのだ。彼の右腕に握られた刀は血に濡れ、その成したことを雄弁に語っていた。
「グリンサ!」
バリケードを飛び越えて、イルケがやってきた。煙管の先から熱線を放つも、結界に弾かれた。反射して戻ってきたそれを躱すイルケは、ゴス・キルモラで結界の性質を見抜き、理解した。
「一人か?」
「あら、大勢と遊びたかったのかしら?」
「そうだな、一人一人潰していくのは面白くない」
「油断は死を呼ぶわよ」
イルケは再び熱線を放つ。同じことに──ならなかった。剣二郎の展開した結界に触れる直前、イルケ自身が反射結界を生成して、攻撃の軌道を変えたのだ。3度反射されたそれは敵の背後に回り込み、頬の皮膚を焼く。一撃で脳を射貫けなかった、その事実にイルケは舌打ちした。
「面白いことをするな」
笑みを浮かべる剣二郎。
「反射結界を一度で学ぶ。その素質は素晴らしい。ニェーズとやらでなければ同志として迎えたかった」
「犯罪者は嫌いなの」
煙管から炎の龍が放たれる。それを真っ向から突破した剣二郎を待っていたのは、破壊術だった。刀を持つ右腕を掴まれ、吹き飛ばされる。一瞬の動揺に付け込んで、身体強化を乗せた蹴りをイルケは喰らわせた。
「クク……」
バリケードにぶつかった彼は笑っていた。
「素晴らしい。お前は殺し甲斐がある」
剣二郎の右腕が、見る見るうちに再生されていく。イルケは冷汗を流した。ここまでの回復魔術の使い手は御伽噺にしか存在しないものと思っていた。だが、違う。現実にいるのだ。
「簡単に死ぬなよ」
彼は駆け出す。右拳を握りしめ、腰のあたりに構える。それがフェイントであることはイルケも見抜いていた。本命は左手で抜いた脇差。イルケは左手でそれを掴んで、そのまま圧し折った。
離脱しながら打刀を拾い上げ、剣二郎は高揚の息を漏らす。
「
「ヨウマちゃんが相手にするまでもないわ。貴方はここで死ぬもの」
「気の強い奴は嫌いじゃないぞ。見せてみろ、お前の全力を!」
再び剣二郎が距離を詰める。イルケは煙管で刀を受け流し、腹に膝蹴りを入れる。そうしてできた一瞬で、上方と左右、3方向から炎の龍をぶつけた。しかし結界。攻め切れないことにイルケは焦りを感じていた。
防御を素早く解いた剣二郎が刀を振るう。その切っ先が胸元を引っ掻く。
「魔術戦だけでなく肉弾戦も可能。どんな鍛錬を積んだ?」
「天才なのよ」
「奇遇だな、俺もだ」
剣二郎は左手を開く。
「響き鳴れ! 蒼穹を打ち砕く確かなる輝きよ! 崩天!」
チリチリと音を立てる雷の球がそこに現れて、落雷のような音の後、光線が放たれた。すんでのところで防御に動いたイルケだが、結界は破られて、威力の弱まった光が服に穴を開けた。
イルケは怯むことなく龍を向かわせる。正面から放った、わかりやすい攻撃。彼はその横を通り抜けようとする。が、それこそが狙いだった。楔状の結界弾が炎の向こうに隠れていたのだ。両腕を同時に切断される彼。丸腰になったところでイルケは止めを刺そうとする。
しかし、叶わない。口の中から発射された水の針に牽制された。回避に費やした刹那が、再生の余裕を与える。
「思った以上の強さだ」
刀を握った剣二郎が、目を見開いて言う。
「だが……サシでやるのは終わりだな」
バリケードを超える、人影。振り下ろされたのは黒い刃。ヨウマだ。奇襲は簡単に防がれ、見合う形となった。
「お前がヨウマか?」
「そうだけど、何?」
「楽しめそうな奴と聞いた……失望させるなよ」
彼は怖気づくこともなく、敵に向かう。イニ・ヘリス・パーディの力を存分に発揮し、剣二郎を防戦に追い込む。右から左から柔軟に襲う斬撃だ。それでも剣二郎は笑っていた。
「それでこそ!」
剣二郎は1歩下がって刀を躱す。そこから攻撃と攻撃の間に突きを差し込んだ。回避。
ヨウマは斬撃を飛ばすかどうか僅かな間悩んだ。確かに当たればリターンは大きい。だがイルケとの連携を考えるとそうもいかなかった。
イルケからの援護が来る。炎の縄が剣二郎の右腕に纏わりつき、その動きを止める。
「雷滅を使いなさい!」
それを聞いたヨウマは詠唱に入る。
「天空の向こう側、雄々たる雷刃よ──」
だが、それを遮るように結界弾の雨。炎の縄も断たれ、剣二郎は自由になった。
「再生を封じる術でもあるのか?」
「さあね。自分で考えなよ」
今度は剣二郎の手番だ。莫大な魔力量が可能にする、イニ・ヘリス・パーディにも匹敵する身体強化。ヨウマはそれに押されていた。どうにか隙を見つけられないかと思うが、イルケの放つ術も防ぎながら剣戟を振るう相手を前に、何もできないでいた。
ヨウマの背中がバリケードに付く。舐め腐ったような大上段からの振り下ろしを彼は避けて、背後に回り込もうとする。それには成功したが、背中に目がついているように剣二郎は防御する。積み上がった車が崩れる爆音が、殺し合いの舞台となった血みどろの街に響いた。
「まだやるか?」
「もちろん」
ヨウマは果敢に挑み続ける。だが剣二郎の笑みが崩れることはなく、どんな角度から攻めても簡単に防いでしまうのだ。ヨウマの息が上がってくる。
だが状況は少しずつ変わっていた。イルケがグリンサを担ぎ上げてその場を離れたのだ。これで何の遠慮もなく術を使える。その確信を得た彼は少し離れて斬撃を飛ばした。全くの予想外の攻撃に結界は間に合わず、剣二郎は左腕を失う。
「悪くない術だ」
再生。
「何の手加減もなく、ただ殺すためだけの術。戦士に相応しい」
その口角はどんどん吊り上がっていく。
「だが魔力の消費も軽くないはずだ。持久戦なら俺が優位だぞ」
「だったらとっとと勝負を決める。それだけだ」
撤退という選択肢は、ヨウマにはない。ここは居住区までおよそ500メートルの地点。相手の魔力をゴス・キルモラで見た彼は、奴なら容易く結界を打ち破るだろうというところまで推測できた。
この男ならイニ・ヘリス・パーディの本質を見破っているかもしれない、という心配も顔を出してきた。あくまで強化は一時的なもの。通常の身体強化以上に消耗するのが現実だ。地球で言語魔術の身体強化を学ぼうとした彼は、軍属でないことを理由に拒否された。
その結論と回顧を含めておよそ2秒。その間に剣二郎は切っ先をヨウマに向けて詠唱を始めていた。
「おらはゆうい。てくれるはさし。てんくりさ」
不可解な呪文。
「天墜」
上空から雷が何条も降り注ぐ。走り回って被弾を避けつつ、ヨウマは刀の間合いに入る。しかしそれは敵も同じこと。剣での戦いは互角だった。
「雄撃!」
剣二郎の叫びに合わせて、氷の針が無数に現れる。結界を使ったヨウマ。どうにか凌いだところを、熱線が襲った。結界を打ち破られてできる刹那の間隙。そこに爆風を喰らい、空に踊った。
追いついてきた剣二郎に掴まれ、地面に向かって投げ飛ばされる。受け身をとって素早く起き上がり、心臓を貫かれることは回避した。
「煌」
炎で作られた5羽の鷹がヨウマに襲い来る。雷の槍と飛ぶ斬撃で撃ち落としたが、意識がそちらに向いている間に、脇腹から胸にかけて大きく斬られてしまった。仰向けに倒れかけたところを、何とか踏みとどまる。
「中々楽しめたぞ」
剣二郎は笑っている。見下すように。
(もっとだ)
ゆっくりと近づいてくる敵を睨めつけながら、ヨウマは願う。
(もっと寄越せ、僕の魂)
流れ出ていく血液。震える脚。それでも立たねばならない。
(寿命でもなんでもくれてやる)
剣二郎の拳で、彼は後方へ吹っ飛ぶ。コンクリート壁にめり込んで止まる。
(だからくれ。あいつを殺せる、力を!)
しかし世界は無情だ。体は重いまま。
「ヨウマ!」
キジマが到着した。来てほしくなかった。剣二郎に殴りかかった彼は簡単にいなされ、腹を刺された。その傷に蹴りが入り、彼はあっという間に倒れてしまう。その首に刀が迫る──。
「やめろ!」
ヨウマの口から柄にもない大声が出た。次の瞬間、彼はキジマと剣二郎の間に入っていた。
「魔力量が増したな! 土壇場で得たか! 魔術の神髄!」
斬り結んだ二人。押しているのはヨウマだ。ついに弾き飛ばし、首を狙って突きを繰り出す。外れこそしたが、数センチもないところを黒い刃は過ぎ去った。
「傷が治っているな」
剣二郎の言い方は成長した我が子にかけるようなものだった。ヨウマは答えない。
今、彼の中で心臓ではないもう一つの何かが脈を打っている。胸のあたりに存在する重石のようなもの。そこで確かに蠢いているもの。己の真の形をしているもの。
剣二郎が離れた。それを追いかけて、ヨウマは詠唱することなく左手から光線を放つ。終閃だ。結界を容易く貫通したそれは、肩肉を抉っていった。
「陽炎!」
数本の炎の槍がヨウマに向かって飛ぶ。彼はそれら全てを切り裂いて、剣二郎に迫った。飛び上がり、顔面に蹴りを入れる。そのまま顔を足場にして跳躍。脳天を狙って刀を振り下ろした。カァーン、と激しい音がする。防がれたのだ。
だが剣二郎が刀を構え直した時には背後に回っていた。心臓が一撃で貫かれるも、意識が消えるまでのほんの僅かな時間で彼は再生を終わらせていた。ヨウマを蹴り飛ばし、彼は汗を拭った。
(雷滅じゃなきゃだめだ)
獰猛な思考の中、それだけが言語になってヨウマを動かす。
「天空の向こう側、雄々たる雷刃よ、命に刃向かい終焉を呼べ! 雷滅!」
刀が雷を纏う。飛翔、というべき踏み込みだった。狙うは首。確実に殺す。しかし左腕を掠っただけだ。
「再生阻害! 面白い!」
剣二郎は離れながら刀から炎の弾を飛ばす。コンクリートに凹みを作るほどの威力だ。上手く回避して、ヨウマは自分の間合いに敵を捉え続ける。
雷滅の魔力消費は重い。イニ・ヘリス・パーディとなってなお1日1発の制限は避けられない。だがデス・ファリーベに足を踏み入れた彼は、もう1撃があることを確信していた。
「天空の向こう側──」
その詠唱が始まったところで、ヨウマの右腕が崩壊した。腐食されたように穴だらけのフレームが、ゴトリと落ちた。
「え……?」
言葉にならない声が漏れた。
「お前が俺を斬ったその一瞬の内に、仕込ませてもらった」
剣二郎が言う。
「右手に魔力を流し込んだ瞬間破壊されるように俺の魔力を与えたのだ。しかし、まだ終わりではないだろう?」
絶望はしない。左手はある。戦える。ヨウマはそう思うしかなかった。
「お前は魂の形を知覚しつつある」
話を聞きながら、彼は左手に魔力を集めた。
「後数分もすればお前はまだ成長できる。それまで待ってやろう」
「何を!」
無詠唱での穿岩。腹部に突き刺さるが、やはりすぐに治されてしまう。
ボコリ、右肩で不思議な感覚がした。視線をやると、肉が盛り上がっていた。そこから筋繊維、骨、血管と右腕が生み出されていく。
「魂の形に肉体を合わせる。回復魔術の極致だ」
完全に右腕を取り戻したヨウマはすぐさま刀を拾い上げ、構えた。
「死の淵に立った者にしかわからない、崇高な力」
剣二郎は長年探し求めた美術品を前にしたような表情で話す。
「懐かしいな、あれは俺が28の時──」