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決戦 火増

「鄭目と妖狐が死んだ」


 屋敷の離れで会合を開いた鉄傑は、開口一番そう言った。


「じゃあ予備案に移行するのかい?」


 陽議の質問に彼は頷いた。


「だが封印の解除には3日ほどの時間が必要だ。その間、火増にはフロンティア7で陽動をしてもらう」

「わかったにゃ」


 単独での任務。捨て駒も同然だ、と陽議は思った。


「やり方は任せる。我々が動けないことを悟られなければそれでいい」

「偽装符は残ってるにゃ?」

「妖狐が1枚残してくれた。『彼』もサポートに回る」

「なら十分にゃ。隠密の方がいいにゃ?」

「好きにしろ」


 火増はいつもの大袈裟な敬礼で応えた。


「陽議」


 鉄傑は覚悟の秘められたしっかりとした声で名前を呼んだ。


「契者様と冥道衆を守ってくれ」

「ああ、そのつもりだよ」


 陽議にとって、居場所は最早ここしかない。勤務していた病院を焼かれ、その復讐として亜人殺しを重ねてきた。それを果吉に拾われて今影術師団にいる。それは冥道衆も含めて同じようなことだ。


(重いねえ)


 新たな影術師団の選定のことを考えると憂鬱になる。冥道衆も育てなければならない。そこに通常の医療業務も重なる。未来は明るくなかった。


「名簿は貰ってるから何とかなるとは思うが、亜人殺しを続けられるかはわからないよ」

「ならば機が熟するまで待つほかないな」

「簡単に言うねえ……魔術符の生産だって維持できるか不透明なんだよ」

「妖狐は後進をよく育てていた。認識阻害結界も維持される。そう暗い見通しばかり立てるな」


 彼女にしてみればそんなことを言っている精神的余裕はなかった。


「火増、これを」


 と鉄傑が一枚の紙片を渡す。


「潜伏先の住所だ。ここを拠点として動くといい」


 そして彼は離れを出た。


「陽議ちゃん、ウチ、不安だにゃ」

「連絡は取れる。寂しくなったら電話するといい」


 陽議は眼鏡の奥で目を細めた。


「私はいつでも帰りを待っている。怪我をするんじゃないぞ」


 その言葉を聞いて頷いた火増。陽議も本心を言ったつもりである。だが、単独で向かって生きて帰る確率は決して高くない。できることなら同行したいくらいだった。


「じゃ、行ってくるにゃ」


 立ち上がった彼女を陽議は目で追う。


「今までありがとにゃ」


 言い残して、走り去った。


「いいのですか」


 沈黙を貫いていた高禍が口を開いた。


「……身の振り方を考えようかね」





 次の晩のこと。フロンティア7の隅の方にある古アパートの暗い1室で、火増はベッドに腰掛けて陽議と連絡を取っていた。


『まだ捕捉されてないにゃ』

『そうかい くれぐれも無理はしないようにね』

『わかってるにゃ おやすみなさい』

『おやすみ』


 携帯電話を傍に置いて、横になる。目を閉じたところで、通知が鳴った。


「何にゃ……」


 呟きながら開けば、『彼』からメッセージが届いていた。


『ヨウマを排除しろ。さもなくば、協力を打ち切る』


 『彼』は情報を統制し、火増の発見を遅らせている。それがなくなれば、彼女はあっという間に追い詰められるのだ。


『いきなりそんなこと言われても難しいにゃ』

『明日、ヨウマは自宅にいる。偽装符で潜り込んで殺せ』


 ノー、とは言えない。


『その保証はどこにあるにゃ?』

『オパラを動かしてヨウマに自宅待機を命じる。何としても消すんだ』


 数々の強者がヨウマに挑んでは散っていった。それを鑑みれば、単独での殺害は難しいと判断せざるを得ない。


『やるにゃ。撤退ルートの確保をお願いするにゃ』

『承った。それではな』


 布団に包まる。死の恐怖を既に感じていた。


 朝になった。乱暴に置かれたリュックから一枚の札を取り出す。コゥラを偽装する札。チャンスは一度切り。


(陽議ちゃん、ごめん)


 それをジーンズのポケットにしまい、壁に立てかけられた直刀を竹刀ケースに入れて背負う。


(生きて帰れそうにない)


 決断的に扉を開けた。冬晴れが出迎えた。


 武器携帯許可証はない。即ち武器を見られれば捕まる。それを避けるための竹刀ケースだった。あくまで剣道をする一般女性の振りをする。


 居住区の看板の前に立った。唾を飲む。行かねばならぬ。行きて帰らぬ。その決意の下に、彼女は一歩を踏み出した。


 走る。地図は頭に叩き込んだ。もはや隠す必要もないと、竹刀ケースから刀を取り出した。


 ウゥゥというサイレンが聞こえてくる。偽装が解けて、侵入が露見したのだ。それでもやることは変わらない。ヨウマの住むアパートの前に立った。


「限りなき黒。満たされぬ器。虚ろなる心。現れよ、呪怨の黒猫」


 影から猫が現れる。


「完全解除。ロロ、第3形態」


 ロロはバキリバキリと不穏な音を立てながら体を膨張させる。


(ヨウマの家には純粋種がいる)


 故に建物ごと破壊するべきではない。ロロに耳を劈くような咆哮を上げさせた。狙い通り出てくるヨウマ。


「影術師団?」


 2階から見下ろしたまま彼は尋ねる。


「そうにゃ。戦わないならこのアパートごと潰すにゃ」


 天秤にかける余地もなく、彼は目の前に飛び降りてきた。その瞳に映るのは、怒りや憎悪ではなく困惑だった。


「丁寧なことだね。わざわざ呼び出すなんて」


 ヨウマは刀を抜きながら言う。


「純粋種を巻き込むわけにはいかないにゃ」

「じゃあここじゃ狭いね。広場に行く?」

「その必要はないにゃ」


 ロロが前足を振るう。しかし空を殴っただけだった。飛び上がったヨウマがロロの脳天を斬りつけるも、表面に傷をつけるのみだ。


 着地のタイミングに合わせて、火増も動く。直刀を脇に構え、斬り上げる。隙を突いたつもりでも、ヨウマは対応する。イニ・ヘリス・パーディの齎す、様々な恩恵。それを理解しているとは思っていたが、想像以上のものだった。


 剣戟と、時折繰り出されるロロの攻撃。それら全ては無意味に終わり、一つの傷もヨウマに与えられないでいた。時間を稼がれている。その考えはあった。だが何ができる? 実戦経験も少なく、切り札は既に見せている。目が4つあるようだ、と彼女は思った。


 火増も身体強化を使っている。だが、それ以上にヨウマの反応速度が異常だった。


「炎矢!」


 左掌を突き出して叫ぶ。術の名前の通りのものが飛翔するも、結界に当たって爆発した。その煙の中に駆け出したが、読まれ切った動きだった。上段に振りかぶって隙だらけの脇腹に、蹴りが突き刺さる。内臓が潰れたのではないか、と思えるほどの衝撃を受けた彼女はアパートの外壁に衝突した。


 咳き込む。圧倒的な実力の差。ぼんやりとする意識の中で体を起こし、ロロを動かす。その剛腕はアスファルトを叩き割り、破片を散らした。


 焦燥が彼女の首を絞めていく。グリンサであれイルケであれ、七幹部が合流してくればその時点で撤退すら不可能になりかねない。それまで仕留めなければ、『彼』からのサポートも受けられなくなる。


 一世一代の賭けをする。炎矢を連続して放ち、動きを制限させながら接近する。刀を納め、小声で詠唱を始めた。その間にロロが背後に回ってヨウマを拘束する。


「──破天!」


 右掌の上に小さな火球を生み出し、突き出す。展開された結界も打ち破り、あと1メートル。勝った──その確信が彼女の最後の思考だった。


 上空より飛来した、半透明の弾丸。無数のそれらが火増の体を貫いたのだ。


「何とか間に合いましたね」


 ダバラだった。


「やるじゃん」

「これでも七幹部ですから」


 彼は解放されたヨウマを引っ張り起こし、柔らかく微笑んだ。


「怪我はないですか?」

「ちょっと腕が痛いかな」


 と言って右腕を抑える。笑えないジョークにダバラの微笑みは苦笑に変わった。


「ダバラが来なかったら頭が吹き飛んでたよ。ありがとね」


 ハイタッチ。


「これで影術師団は7人消しました。後3人……何を仕掛けてくるんでしょう」

「なんだっていいよ。殺すだけだ」


 刀を納めるヨウマは、無残な死体を一瞥した。まさに蜂の巣。


「ヨウマ!」


 上から優香の声がした。


「下は見ない方がいいよ」


 その助言は遅く、火増の亡骸を見てしまった彼女は口を押えて引っ込んでいった。


「言わんこっちゃない……」


 少し離れたところからパトロールカーのサイレンが聞こえてきた。


「報告書出しに行かなきゃね」


 死体の回収を担当者に任せ、二人はその場を去る。


「一人、というのが気になりますね」


 車中、ダバラが口を開く。


「そう? よく一人で襲ってきてたよ」

「最初から一人でいるのは珍しいんです。何か別の計画が動いているのではないでしょうか」

「今更何をするっていうの?」

「それはわかりかねますが……奥の手があるやもしれません」

「奥の手、ねえ」


 ヨウマは窓の外を見た。雲が出始めた。


「それと、内通者の件ですが」


 その言葉を聞いて彼は視線をダバラに向けた。


「ヘイクルが口を割りました」

「長かったね。誰?」

「オパラです」

「……嘘だ」

「事実です」


 固まった彼を、ダバラは見据える。


「しかし行方がわかりません。現在総力を以て捜索中です」


 そこで車が急停止する。


「どうしたの?」

「前見てください。年寄が立ってて──」


 そう話す運転手の顔面をウォーターカッターのような高圧水流が切り裂いた。慌てて降りたヨウマが見たのは、杖をつき、雨も降っていないのにレインコートを着ている老人だった。


「ヨウマさん」


 老人はフードを降ろす。その皴の刻まれた顔はオパラだ。


「……なんで裏切ったの」


 ヨウマはすっと刀を抜いた。


「かつて、私の家族が人質に取られたことがあります。ユーグラスはそれを救ってはくれなかった。だから壊したかったのです。全てを」

「そう。それで?」

「ヨウマさんが死ねば団長はユーグラスを崩壊させてでもニーサオビンカと戦うだろうと思い、どうにか貴方を殺せないか手引きをしました。フランケを覚えていますか? あの男のいるところに貴方を派遣するよう指示したのも私です」

「でもそうはらなかった」

「ええ。貴方も、七幹部も、私の想像以上に強かった。故に、フロンティア7に影術師団を呼び込みました。それでも貴方は生きてしまった」


 オパラは杖の中から剣を引き出す。


「私の体では貴方を殺せません。ですが、影術師団が見せる最後の足掻きを成功につなげることはできます」

「死ぬ前にその足掻きについて教えてくれない?」

「サプライズ、と言えば納得してくれますか?」

「無理」

「残念です」


 ダバラとヨウマは同時に敵に迫った。オパラは逃げる。水の弾丸を飛ばしながら、ひたすら逃げる。袋小路に追い詰め、さあ首を刎ねよう──という瞬間、体が崩れた。水で作られた分身だった。では、本体はどこか……。





 コツン、杖の音がする。冥道衆の村の地下、古墳の石室のような空間を、オパラは訪れていた。


「王鎖剣二郎様」


 彼は目の前で起き上がった鉄傑の顔をした男にそう声を掛けた。


「誰だ貴様は」

「オパラと申します。鉄傑の記憶の中では『彼』と呼ばれている者です」

「ああ……」


 剣二郎は身長で勝る相手を、下から侮蔑の目で見た。


「それで、何をしに来た」

「コゥラ──居住区の結界に入るための資格を、と思いまして」

「いらん」


 鼻で笑う剣二郎に対しても、オパラはにこやかな顔で対応していた。


「俺に破れん結界などない。帰れ」

「仰せのままに……」


 深々と頭を下げてオパラは踵を返す。その瞬間、光線が彼の脳を貫いた。


「鉄傑よ、これでいいのだろう?」


 剣二郎は込み上げる笑いを押し殺そうともしない。そのまま、死体を踏み越えていった。


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