「グリンサ」
爆風に飛ばされたヨウマは、起き上がりながら呼びかけた。
「一撃で決めなきゃだめだ」
「オッケー」
ガスコを挟んでのやり取りはそれで終わった。彼の右上腕と左太腿には穴が空いている。それでも生命活動には何ら支障がないようだった。
「ところでヨウマ」
彼がゆっくりと口を開いた。
「ニーサオビンカを壊滅させた栄誉の味はどうだ」
「さあね……そういうの興味ないから」
「つまらんやつだ」
彼の左手に炎の球が生み出される。
「俺は地球人を舐めていた」
球を持ち上げ、燃え盛らせる。
「ヘッセなど使わずとも勝てると思っていた……だがそうではないようだ。ヨウマ、お前は俺の全力に値する。その上で……死んでもらう」
炎は鳥の形を取ってヨウマに襲い掛かる。躱せども追尾され、彼は舌打ちした。雷の槍で相殺した瞬間、ガスコが剣を振るった。危ないところで弾き返し、斬り返そうと思えば離れて炎を浴びせてきた。横っ飛びに回避して、睨み合う。
その一瞬の拮抗にグリンサが付け込んだ。が、結界が彼女を止める。
「今はヨウマと戦っているのだ。邪魔をするな」
彼女の両手首両足首に桎梏のような結界が現れ、拘束したのだ。その間にヨウマは駆け寄り、下から上へ得物を振り抜いた。カキン、と金属のぶつかる高い音。それが続いた。時折ガスコは距離を置いて炎を放つ。回避しながら突っ込むヨウマに、彼は刺突を繰り出すのだった。
そうして、15分。状況はどちらの優勢に傾くわけでなく、攻撃と防御、そして回避が繰り返されていた。ガスコが口角を上げて炎の鳥を放つ。それを斬り裂いた斬撃が飛来する。結界で防ぎ、炎の向こうにいるヨウマを見た。
「いつまでこうするつもりだ?」
「どっちかが死ぬまでだよ。言わなくたってわかるでしょ?」
「いい覚悟だ。それくらいでなければ張り合いがないというもの」
彼は切っ先をヨウマに向けた。
「飛ぶ斬撃、見切らせてもらった……いくぞ!」
それを振る。すると蒼い刃の形をとったケサンが走り出して、飛んでいった。それを同じもので打ち消すヨウマ。その頬を冷汗が流れた。
「もしかして天才?」
「ヘッセには魂に刻まれた得意不得意がある……たまたま俺は飛ぶ斬撃への適性を持っていた。それだけのことだ」
「そっか。勉強になったよ」
ヨウマは汗を拭う。魂の戦いであるから、肉体的疲労は問題にならない。しかし、ヘッセを使うことで魂が疲れていくのを感じていた。持久戦なら負ける。そう確信していた。
しかしグリンサを解放する手段もなければ、一手で現状を覆すとっておきがあるわけでもない。結局、また分身に頼るのだった。
「今更下らん術を!」
3人の連携を完全に見抜いたガスコは、一つを炎の鳥で焼き、一つを刺す。そして残った本体が刀を振り上げているのを見て、その腹に蹴りを入れた。分身は消え、地面に倒れた一人のヨウマだけが残される。
「以前のようにはいかんぞ。俺も馬鹿ではないからな」
起き上がりながらヨウマは敵を睨む。届かない。遠くないはずなのに。刀をしかと握りしめ、歯軋りして構えた。
「諦めて俺の肉体にならないか?」
「なるもんか」
「本当に惜しい男だ」
自分からは仕掛けず、ヨウマは慎重に機を伺う。唾を呑み込む。このままでは埒が明かないことはわかっていた。それでも逃げ道がない以上向き合い続けなければならない。勝つ以外に手はないのだ。
正眼に構えた刀の切っ先が僅かに揺れる度、彼は襲われないかとヒヤヒヤする。
(何かしなきゃいけないけど……)
何をすればいいかわからない。それが現状だった。
「王雷!」
術の名前だけを呼ぶ簡易詠唱で術を発動した。左手から発せられた光線は、当然というべきか結界に受け止められ無為に消えた。彼は一度深呼吸をした。
一つ、賭けをしてみることにした。刀を納める。
「どうした、諦めたか?」
「逆だよ」
スウッ、と息を吸う。
「ベルザ・ハバス、龍の継承。形無きものに形を。決して見捨てられぬ一つの輝き。回転する空の果て」
右手を龍の頭が包む。
「轟く雷鳴、嵐中の一閃。稲光の果てに待つ者よ。この手に一撃を齎せ」
左手に雷の球体を作り出す。
「穿岩!」
飛び出したそれはガスコの結界を容易く破壊した。
「王雷!」
間髪入れず、術を放つ。右肩を吹き飛ばす。一瞬遅れて、青白い壁が現れた。
「ククク……」
ガスコは笑い出す。
「そうかそうか……お前も成長していたのだな」
そんな彼とは対照的に、ヨウマは肩で息をしていた。次はない。その確信は両者にあった。
ガスコは跪く。
「お前のような強者に左腕で立ち向かうのは侮辱だろう……殺せ、そうすれば外に戻れる」
「先にグリンサを解放して」
「ああ、構わん」
虚空に彼女を縛り付けていた結界が消え、自由になった。
ヨウマはガスコに近寄って、その隣で刀を抜いた。
「じゃあね」
首に向かって、振り下ろした。
◆
魔力もケサンも使い切ったヨウマは、自室のベッドで横になっていた。
言語魔術の師曰く、彼はケサンと魔力の混じった複合エネルギーと呼ばれるものを行使する癖がついているのだという。分身術などはそれが顕著で、故に分身を後から言語魔術として習得していない雷の槍に変化させられるとのことだった。
(そんなこと言われてもわかんないよな)
それを切り離し、純度の高い魔力を取り出す訓練もしたが、途中でタイムリミットが来てしまった。
寝返りを打つ。
(また訓練に行かなきゃかな)
今使える言語魔術は幽影の双、王雷、雷滅、穿岩の四つ。それを極めていくのか、手数を増やすのか。どちらにせよ今のままではいけないことはわかっていた。
(結界、使えるようになりたいな)
できれば詠唱のいらない、対応力に優れたヘッセで。
(今度イルケに聞いてみるか)
七幹部への太いパイプ。父親の齎した最大の武器。それを腐らせておくほど彼も馬鹿ではなかった。できることはしなければならない。全ては──
(──深雪、いや、優香? わかんないな……)
彼の中では、二人の女性が天秤に掛けられている。それがどちらかに傾いているのか、彼自身はっきりとしていなかった。ただ一つ言えるのは、感情の質が違うということ。それでもどちらかを蔑ろにしようという思いはなく、できることなら3人で幸福になりたかった。それが叶うかどうかは、別にして。
重い上体を起こす。頭がくらくらする。その時ちょうど、深雪が器を持って入ってきた。
「お、お雑炊です」
「ありがとね」
盆ごとそれを受け取る。卵雑炊だ。匙で一口。優しい味が広がった。
「おいしいよ」
「う、うへへ……」
デスクの方から椅子を引っ張ってきて、彼女は座った。
「お、大きな怪我がなくて、安心しました」
「まだちょっと脇腹が痛むけどね」
それからは無言の中で彼は食事を進めた。5分ほどで完食して、器を深雪に返した。彼女はそれをサイドテーブルの上に置いて、彼の手を握った。
「ゆ、優香さんのこと、どう思ってますか?」
「……多分、好きなんだと思う」
握る手に力が籠った。
「わ、わかってます」
深雪がぽつりと言った。
「じゃ、じゃあ私はどうなんですか」
「大事だよ。それは間違いない」
ヨウマは真っ直ぐ顔を見て言った。恥じらいを見せた深雪の手を、強く握り返す。
「ど、どこかに行ったり、しませんか?」
「しない」
「ゆゆ、優香さんと一緒に出て行ったりしませんか?」
「しない」
未来のことは誰にもわからない。それでも彼は誓った。
「……ししし、信じます。だから、裏切らないでください」
「わかった。これは約束だ」
それを聞くと、彼女はすっと立ち上がって、扉の方に歩いていった。
「これからも、帰ってきてくださいね」
残された言葉が彼の中で熱を持つ。決して破ってはならない、誰でもなく己に対する誓い。それが今、生まれた。
再び横になる。布団は少し重いくらいが心地よい、というのが彼の持論だった。サイドテーブルの携帯電話が震える。見てみれば、キジマからメッセージが来ていた。
『生きてるか?』
『なんとかね』
『見舞いいるか?』
『キジマも仕事があるでしょ』
『ダチのためならいくらでも融通してやるさ』
『そっか』
そこで少し彼は考えた。
『大丈夫だよ』
『そうかい じゃあ元気になったらな』
『うん ありがと』
そこで会話は終わった。スマートフォンを持ち上げる腕すらも怠い。息を深く吐いてから元の場所に戻した。
眠ろうと思うと、インターフォンが鳴った。深雪が出ていく小さな足音が聞こえてくる。二言三言訪問者と会話する声がしたかと思えば、部屋の扉が開かれた。
「やっほ」
グリンサだった。パーカーの下に『
「仕事は?」
「お休み。だから来ちゃった」
「ま、いいけどさ」
椅子に座った彼女はナイフで果物を切り始めた。8等分したそれらの皮に手を加え、うさぎのように仕立てた。
「じゃじゃーん。こういうの得意なんだ」
「昔見たことがあるな」
「小さい頃にやってあげたよね。懐かしいなあ」
果物を受け取って、ヨウマは口に運ぶ。甘酸っぱい。
「……ヨウマには、情けないとこ見せちゃったね」
「何の話?」
「ガスコと戦った時さ。何もできなかった」
「そうだね」
「そうだね、って……辛辣」
「でも、一人ならすぐ死んでたかもしれない。助けられたのはお互い様だよ」
グリンサは苦笑を見せた。そしてすぐに引っ込めた。
「ねえグリンサ」
「何?」
「イルケに頼んだら、結界術教えてくれるかな」
「どうだろ……まあ無碍にはしないんじゃないかな」
「じゃあ今度聞いてみるよ」
「ただまあ……ヘッセってなると適性の有無があるから言語魔術のほうがいいかもね」
「やっぱりそうかあ」
他愛ない会話が続いた。朗らかに時間は流れていった。
◆
それから2カ月。冬も本番という深夜に、とある廃ビルに荷物が運び込まれていた。『ユーグラス検査済み』とのステッカーが貼られた木箱が10個。ヒト一人くらいならすっぽりと入ってしまいそうな大きさだ。それがライトに照らされた最上階に運び込まれると、それの一つから声がした。
「開けてにゃ~」
なんとも気の抜けた声だ。運搬を担当していた男がその箱に札を翳すとひとりでに箱は開いた。中から出てきたのは少女だ。
「窮屈だったにゃ」
猫のような釣り上がった目の彼女は大きく伸びをした。ダウンジャケットに、ジーンズ。金色の長い髪を揺らしていた。
「
男が言った。
「何にゃ?」
「下準備はできております」
「わかったにゃ。まずは偵察だにゃ」
火増と呼ばれた女は手を叩く。
「限りなき黒。満たされぬ器。虚ろなる心。現れよ、呪怨の黒猫」
彼女の影から黒い糸のようなものが無数に生えてきたと思えば、それが三つ目の黒猫を形作った。
「いってらっしゃい、だにゃ」
黒猫は走り出す。そして夜の闇に消えた。