「タジュンの裁判さ」
模擬戦の後、談話室で寛ぎながらグリンサが話し出した。
「求刑は無期懲役だって」
「まあ妥当なのかな」
「ニーサオビンカの壊滅に協力した分減刑されたみたいだけど」
「なんでもいいよ。ちゃんと罰を受けてくれるなら」
ヨウマはアイスカフェオレを啜った。
「考えちゃうよねえ」
ソファに沈み込みながら彼女が言う。
「何を?」
「私らとニーサオビンカの違い。結局どっちもヒト殺しじゃん」
「でも僕らは悪いことした奴だけ斬ってる。同じじゃないよ」
ああそうだよな、と彼は言っておきながら納得した。いつだったか直面した迷いに答えが出た感覚。
「割り切れればいいんだけどねえ……」
彼女は窓の外を見た。そうする心境に、ヨウマはいくらか理解を寄せた。彼にとって、グリンサは姉だ。それが悩んでいれば、助けてやりたいという気持ちも湧く。
「グリンサは楽しんでないでしょ?」
「殺しを? そうだけど」
「それが違いなんじゃないかな。僕もよくわかんないけど」
「成長したねえ」
グリンサはヨウマの頭を乱暴に一撫でした。
「そういえば、ゴーウェントとヘイクルはどうなるの?」
「ゴーウェントは死刑、ヘイクルは内通者の情報を吐くまで勾留だって」
「内通者……誰なんだろうね」
「ほんとにね。早くゲロってほしいよ」
一人の男ニェーズがやってきて、テレビをつけた。ニュースが流れ出す。賢い犬の話をしていた。ボタンを押すことで会話ができるらしい。
「私もペット飼おうかなあ」
ぼんやりと彼女は言った。
「何飼うの?」
「犬でもいいし、猫でもいいし。あーでもどうしようかなあ、私家にいないこと多いし」
ヨウマはそんな彼女を無視してカフェオレのおかわりを淹れに行った。
「ねえヨウマ、次どんな怪物が出るか賭けない?」
「賭博は違法だよ」
「ご飯は一時の娯楽に供するものだから大丈夫」
「食べる量が違うからフェアじゃないと思うんだけど」
グリンサは軽く笑った。
「グリンサの一番嫌いな動物かもよ」
「例えば?」
「蜘蛛」
「確かにでかい蜘蛛出てきたら気絶しちゃうかも」
紙コップに茶色の液体を注いだ彼はグリンサの隣に戻った。
「おお怖い怖い……」
そんなことを言いながら彼女は立ち上がった。
「じゃ私は帰るよ。ヨウマは?」
「少し時間潰してからにする。じゃあね」
テレビは明日雨が降ることを告げる。
「雨、か……」
雨は嫌いではない。より心の深層に踏み込める気がするから。だが外に出るのは億劫になる。
(僕がイータイみたいにならない保証はどこにもない)
柔らかい椅子の上でそんなことを考える。
(もしそうなったら……キジマは止めてくれるかな)
親友への信頼はある。だが自分がそうであったように、敵として相対した時に動けなくなる可能性だってある。
(ネガティブになるの、よくないな)
陽光は暖かく、カフェオレは冷たい。
◆
一週間が過ぎた。黒い環が頭上にあることにも皆慣れて、徐々に話題にもされなくなった頃。そしてその街が静まり返った時間。その環から体長8メートルはある大蜘蛛がゆっくりと現れた。
蜘蛛は総督府の壁を下り、尻から出した糸で違法駐車の車を貫いた。周辺に待機していた社員達が得物を持って駆けつけたが、糸に首を刎ねられ、ヘッセを放てば結界に防がれる。果敢に接近した者はその牙に噛まれ、すぐに動かなくなった。
対応に来た者共を片付けた後、蜘蛛は目についたものを糸で射抜く。コンクリートもその弾丸のような一撃の前には一枚の紙切れのようなものであり、簡単に貫通してしまう。本部から派遣された部隊が炎のヘッセで足止めをする。結界に阻まれても、蜘蛛の動きを鈍らせることはできていた。
その間に背後に回った別の部隊が突撃する。しかし、甘かった。蜘蛛は大きく飛び上がり、上空からショットガンのように糸を浴びせかけた。その一つ一つが的確な狙いを持って放たれ、頭蓋や脚を撃ち抜いていた。
「下がりなさい!」
その一声があった後、熱線が結界を貫通した。イルケだ。煙管の先に炎の龍を生み出し、蜘蛛にぶつける。結界を食い破られ燃え盛る中でそれは蠢き、糸を放った。反応不能の、攻撃。鋼のような強度を持った糸は容易にその左肩を穿ち、そして切断した。それでもイルケは笑っていた。
東の空に光が現れる。蜘蛛は慌てて引き返す。追撃を仕掛けようと思うも、イルケは他の隊員に制止された。薄明の街に、血。
「──というのが現状です」
朝。いつものメンバーはオパラの説明を受けていた。
「それ、3人でなんとかなる?」
グリンサが問う。
「なりません。ですから、今回は術師を用意しました。入ってきてください」
扉を開けたのは、精悍な面持ちで、マンバンヘアをした青年男子だった。
「ジャグです。よろしくお願いします」
グリンサが立ち上がって握手した。
「イルケの弟子だっけ」
「ええ、師匠の仇討ちをさせてください」
その眼は確かに燃えていた。
「ま、無理しないようにね」
ポン、と彼女は肩を叩いた。かつての自分と重ねる。復讐は容易く心を焼き尽くす。叶わなければ虚しさだけをそこに残す。そんな説教を垂れるほど、彼女は自分を偉く思っていなかった。
「おそらく今晩も蜘蛛は出てきます。待機を命令します」
「はいはい、わかりましたよっと」
席に戻ったグリンサを、ヨウマは横目で見ていた。本当に蜘蛛が出てきてしまったことが少し可笑しいが、表情にそれは出なかった。
「得意な術は?」
彼は質問した。
「師匠の使う術なら、一通り。規模も威力も師匠に比べるとまだまだですけど」
なんだか微妙にズレた返事をされた気がしたが、そこはひとまず置いておいた。
「ジャグさんの実力は確かです。信頼に値すると思いますよ」
「それはいいんだけどさ」
グリンサだ。
「蜘蛛の弱点ってわかってるの?」
「炎が足止めに有効なようです。それ以上のことはなんとも言えません」
「いつだって情報不足かあ。ま、やるけどね」
オパラは苦い笑いを浮かべていた。
「あなた方にはいつも無理をさせてしまっています。それは申し訳ないと思っています」
「いいよいいよ、無茶振りされるための七幹部だからね」
それでいいのかと内心思うヨウマであった。
「伝達事項は以上になります。出動がかかるまで仮眠室でお待ち下さい」
めいめい席を立ち、部屋を出ていく。
「オパラ」
立ち去り際、ヨウマは口を開いた。
「内通者のことわかった?」
「ヘイクルは口が固く……」
「そっか。じゃあね」
扉を閉めた彼は、一つ息を吐く。スパイのせいで死にかけた経験がある──例えばゴーウェントとの戦い──と、どうにも気になってしまう。まさか化け物を操作しているわけでもないだろうが、と思う。しかし潜んでいるその裏切り者が、どこかにいるガスコと通じているのではと考えれば間接的に操っているのだろうという結論に辿り着く。
「なんとかなるよ、きっと」
小さく声に出した。だが裏腹に、不安は心の中でとぐろを巻いていた。
◆
夜が来て、過ぎ去ろうというところだ。部隊は動き出した蜘蛛を前にした。壁に張り付き、セワセワと動いていた。
「うえー、ゾワゾワしてきた」
グリンサは嫌悪感に押し潰されそうな顔をしていた。
「自分が引き付けますから、皆さんは隙を見て攻撃してください」
ジャグが掌の中に炎の球を生み出して言った。
「いきますよ!」
彼は炎の龍を飛ばす。結界に止められつつも、意識を向けさせることには成功していた。
ヨウマは魂の扉を開く。キジマを抜き去って背後に回り、斬りかかる。だが糸が飛んでくる。強化された動体視力で弾道を見抜きそれを弾く。斬撃を飛ばす。しかし結界。
(対結界術、今なら使えるか……?)
イニ・ヘリス・パーディによる魂の出力の底上げがある、今なら。刀を納めて足を止め、右手首を掴む。
「ベルザ・ハバス、龍の継承。形無きものに形を。決して見捨てられぬ一つの輝き。回転する空の果て」
右手を半透明な龍の頭が包む。
「穿──岩!」
力みながら術の名前を叫び、龍を解き放つ。その牙が壁に喰らいつき、引き裂いていく。それを認めた彼は刀を抜き放つ。そこから飛び出した斬撃が、ついに蜘蛛の体に傷をつけた。飛び散る紫の体液。
怒ったのか、その程度の脳すらないのか彼にはわからないが、少なくとも蜘蛛は敵意をヨウマに集めた。糸を連続して射出するも、命中弾は無し。それだけヨウマは速かった。
そうしてできた隙を、グリンサもキジマも見逃さなかった。前者は雷の槍を投擲して腹を貫き、後者はそうして動きの鈍ったところに風の刃を纏った拳をぶつけた。
蜘蛛は地面に落ちる。少しばかり痙攣したと思うと、動きを止めて地に伏した。
「勝ち?」
「そういうこと下手に言うと、最悪な方に行くんだよねえ──」
グリンサが視線をヨウマに向けた一瞬、糸が飛んだ。それが着弾する直前、ヨウマは斬撃を飛ばしてその軌道を逸した。
「お、ナイス」
なんて気の抜けたことを彼女は言った。
「蜘蛛、ちゃんと見といてよね」
すると蜘蛛は震えだした。ゆっくりと起き上がり、頭胸部が裂けて、そこから裸の女性の上半身が現れた。
「アラクネ……」
ジャグが呟いた。
「なにそれ」
とヨウマは敵から目を逸らさずに問うた。
「蜘蛛とヒトが融合したような生物です。地球の神話に出てくるんです」
「怖いねえ」
アラクネは左掌に黒い環を生み出し、そこから一振りの大剣を抜いた。飛び上がる。そしてヨウマに向かって落下する。横に避けた彼だが、先程までいたところの地面に深々と大剣は刺さっていた。
ヨウマは深く息を吐く。彼にしてみれば、得体の知れない怪物よりもヒトの形をしていてくれたほうが有り難かった。首を刎ねれば殺せると信じて、刀を構える。
ジャグが熱線を撃つ。やはり結界がそれを防いだ。しかし、ヨウマにはそれで十分だった。視線が自分から離れたほんの一瞬を突いて飛び上がり、心臓に刀を突き立てる。そのまま自重で落下し、胴を裂いた。
それでもアラクネは止まらない。傷など意に介さないのか、着地したヨウマに糸を放った。防御しようと動いたが、妙に体が重く間に合わない。結果、脇腹に直撃を貰ってしまった。
(使い所間違ったかな)
後悔している内に、次の攻撃が来る。糸が、迫る。痛みにふらついた意識では対処のしようもなく──しかし、キジマがいた。彼はヨウマを突き飛ばし、自身ごと横にすっ飛んだ。
「限界か?」
「かも。ありがとね」
「ジャグさん、ヨウマを頼みます」
彼はヨウマを抱え上げ、ジャグに渡した。
「さあ、こっから先は俺の番だぜ」