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開花 ゴス・キルモラ

「死んだな」


 壺の中でガスコの魂が呟いた。


「成果はおありですか」


 若い女に問われて、彼は暫し黙った。手狭なワンムールアパート。ネグリジェの女は灰色のカーペットの上に膝をついて、棚に飾られた壺に話しかけていた。


「……いや、多少の火事を起こしただけだ」

「お次はどうなさいますか?」

「どうしたものかな」


 自嘲するような笑い声が壺からした。


「ニーサオビンカの再興は叶いますでしょうか」

「まずはヨウマとグリンサを排除してからだ。でなければ同じことの繰り返しにしかならん」

「イルケはどうとでもなると?」

「結界を脅かせば彼奴は容易く動けなくできる。大した脅威ではない」


 女の名はパラール。ガスコが殺された際に魂を転移する先の壺を管理するよう命じられた、オビンカだ。こんな狭いアパートに住んでいるのも目立たないため。主人を守り抜くために一生を捧げると誓った忠臣である。


「忌むべき怪物に呪縛を施してまで使おうというのに、こうもうまくいかんとはな」

「呪縛とは?」

「制限を課す代わりに力をより引き出すのだ……俺は夜明け前しか行動できないという呪縛を与えることで、怪物の力を増強させているが……元が弱いのか大して強くならんのだ」

「より強いものを召喚してはどうでしょう」

「それだけ制御が難しくなる……いや、この際混沌を齎せればそれでいいかもしれんな」

「混沌、ですか」

「その渦中で殺せればよし、そうでないなら次の手を考えればよし。少し気分が楽になるな」


 パラールは不安げな顔で壺を見る。自棄ヤケになっていないかと訝っているのだ。しかし訊くことはできない。無礼にあたる可能性が一分でもあるのなら口を噤む。それが彼女だった。


「パラール、何が見たい。お前の望む怪物を見せてやろう」

「蜘蛛などいかがでしょう」

「蜘蛛と来たか! ハハ……それもいい。少し力を蓄える必要がある。眠らせてもらうぞ」

「ゆっくりと、おやすみなさいませ」


 彼女は立ち上がる。そしてベッドに向かった。横になる。最近冷えてきて、寒がりな彼女は冬用の布団を出した。その重みが心地よい。そっと暖かさの中に沈む。


 いつか露見する。そう思いながら壺を横目に見た。『彼』との連絡は別の人間を介しているが、それがいつ寝返るかもわからない。既に瓦解した組織の長に、どれほど求心力があるのかと考えてしまうのも事実だ。


(ガスコ様、私はどうすればよいのでしょう)


 もしユーグラスに今のことが知られたら、となるとおちおち眠ることもできない。ガスコを武力で守れるような力もない。あるのは魂だけになったガスコと対話できる能力だけ。


(ガスコ様はこんな私を見つけてくださった。その分働かねばならない……)


 部屋の隅に立て掛けてある剣。それを満足に振るうことすらできないのが現実。


(ヨウマがここに来れば、私は……私は!)


 斬殺される。冷酷な殺人者だということしか知らないが、逃げるわけにもいかない。


(きっと、きっとガスコ様がなんとかしてくださる)


 信じるしかなかった。夜は更けていく……。





 朝が訪れた。ルーティンワークをこなしたヨウマは家族のいる朝食の席に就いていた。


「きょ、今日はどんな予定ですか?」

「特にないかな。非番だし」

「空の穴から出てきた鳥、あれなんなの?」


 優香が珈琲を手に問うた。


「話していいのかわかんないな。まだ決定的な証拠もないし……」

「ただのUMAじゃないんだ」

「UMAって?」

「Unidentified Mysterious Animal。正体不明の未確認生物のこと。クラスの男子がワキワキしてたけど……どういうものなのかはなんとなくわかってるってことでいい?」

「まあ、それでいいかな。そうだなあ、ヘッセが関わってるのはわかってる。だからどうってわけでもないんだけど」

「ヘッセってさ」


 飲みながら話を聞いていた優香はカップを置いて尋ねた。


「なんでもできるの?」

「なんでも、かあ」


 彼は一度天井を仰いだ。


「ヘッセで一番大事なのはしっかりとしたイメージなんだけど、例えば怪我を治そうって思った時に応急処置くらいなら生命力のブーストで解決できることが多いんだ。でも、もっと大きな怪我──深い傷とか骨折とかを治そうとなったらヒトの体に対するもっと専門的な知識がいる。そうじゃないとどうやって怪我が治るかをイメージできないから」

「魔法ってもっと便利なものだと思ってた」

「便利だよ。何でもしたいなら何でもできる知識が必要ってだけで」

「ヨウマはどうなの?」

「どうって言われてもな。僕は普通だよ。特別何かを勉強したわけじゃないし」

「でも言語魔術は修行しに行ったじゃん」

「あっ、そうか」


 それが可笑しくて、彼女は少し笑った。


「なんだよ」

「ううん、なんでもない」


 首を横に振り、ハァと息を吐いてからヨウマに向き直った。


「じゃ、朝礼あるから私はこれで」

「うん、頑張って」


 立ち去る優香を見送って、ヨウマも席を立つ。と、そこで携帯電話が震えた。


「グリンサだ──深雪、ちょっと出てくるよ」

「お、お仕事ですか?」

「いや、訓練。仕事と言えば仕事だけど。昼には帰ってくるよ」

「は、はい、いってらっしゃい」


 自室に戻り、ウェストポーチを身につける。薄手のジャンパーを羽織る。財布の中に社員証があることを確認して、外に出た。突き抜けるように晴れた空の、少し冷たい空気が肺を満たす。秋の足音はすぐそこまで来ていた。


(雨は降らなさそうだな)


 傘は持たずに歩き出す。外階段を下りて、静かな居住区の中を行く。向こうから来たニェーズが一礼してすれ違っていく。それに対して彼は小さく手を振る。そういう近所付き合いをしていると、信号待ちのキジマと出会った。


「よっ」


 キジマは小さく言った。


「キジマも用事?」

「散歩だよ。お前は?」

「グリンサに呼ばれてさ。軽く訓練してくれるって」

「そりゃいい。何の訓練だ?」

「んー……秘密にしとこ」

「またかよ」

「説明するより見てほしいんだよ、成長したところ」

「じゃ楽しみにしとくぜ」


 拳を突き合わせて、別れた。


 それからはバスで本部まで向かった。手続きをして、地下の訓練場へ。グリンサが待っていた。


「来たね」


 壁に凭れていた彼女は体を離し、左手を太刀の柄に乗せる。


「ゴス・キルモラの訓練って聞いたけど……何するの?」


 訓練場では他にも鍛錬を積む社員の姿があった。


「言ってたじゃん、目覚めたって。多分だけど、イニ・ヘリス・パーディになってる時しか見えないんじゃないかって思ってね」

「当たり。でもニーサオビンカはもういないしそんな急がなくてもいいんじゃない?」

「最悪の事態っていうのは、最悪のタイミングで起こるものなんだ。だから日々備えなきゃならない」

「それはわかるけど……」

「ま、とりあえずイニ・ヘリス・パーディになってよ。まずはゴス・キルモラの感覚を掴まなきゃ」

「そんな軽く言われてもさあ」


 と言いつつも、彼はなれる気がしていた。魂の箍を外す感覚。閉ざされた門を開く感覚。それを再現する。すると、どっと力が湧くのを感じた。


「目が紅くなってる。確かに目覚めてるね」


 グリンサが体の横で手を上に向けて開いた。ヨウマには、そこから紅い粒子が放たれているように見える。


「どう?」

「出てる」

「よし、じゃあ元に戻って──うわ、ほんとに制御できるんだ……」


 珍獣の奇妙な生態でも見たような感想を述べられて、彼は少し嫌な気分になった。


「目がむずむずする感覚は覚えてるけど、これでなんとかなるの?」

「うん。大体のヒトはここで躓くからね」

「目に穴が空くみたいな感じして好きじゃないんだよね」

「わかるわかる。ま、ケサンを目に集中させてみて、そしたら開くから」


 疑い半分で言われた通りにやってみる。眼球の表面で何かの蓋が、煮立った鍋のそれのように上下するような感じがする。開くなら開けと念じてみる。3分ほどそういう格闘をしていると、ふと眼が楽になった。


「見える?」

「見える」


 紅のパーティクルが、グリンサの右手の上で舞っている。


「つくづく天才だねえ」

「そう?」

「間違いない。私の次くらいにすごい」

「ちょうどいいところだね」


 二人は僅かな間笑いあった。


「ほんとは午前中いっぱい使う予定だったんだけど、どうしよっか」

「久しぶりにしようよ、模擬戦」

「お、いいね。じゃ道具取ってきてよ」

「自分で準備しなよ」

「こういうのは弟子の役割なの。いいから走る!」


 反射的にヨウマは駆け出していた。訓練場の端にある倉庫から、カーボンの竹刀と防具を持ってくる。それを身に着け、正対する。


「ルール無用でいくよ」


 グリンサの言葉に、彼は頷いた。面を付け、鎧に似た防具を纏った彼女には威圧感があった。


 同時に床を蹴った。激しく得物をぶつけ合わせた後、ヨウマは足払いをかける。飛んで避けられ、逆に大上段から打ち込まれる形になる。既のところで受けが間に合い、そこで両者は拮抗した。


「こすいことするんだ」

「ルール無用でしょ?」


 面の向こうで彼女はニヤリとした。離れる。ヨウマはいつもの癖で切っ先を相手に向けた。


「今度はそっちの番だよ」

「へェー……」


 グリンサはジリジリと相手に近づいて、攻撃の気色がないことを確認してから一気に接近した。幾度か斬り結ぶ。パァン、パァンという激しい音が響いて、その場にいた者の耳目を集めた。やれーだの、そこだーだの、好き勝手な声援が送られてくる。


(見世物じゃないんだけど)


 内心毒づきながら、猛攻を耐え忍ぶ。そうして5分。攻撃と攻撃の隙間にある、僅かな隙が見えた。しかと竹刀を握りしめ、彼女の武器を絡め取る。今だと仕掛けるが、次の瞬間、彼の体は浮いていた。柔道の要領で投げられた彼は、なんとか受け身が間に合った。


「私の勝ちかな?」

「まだまだ!」


 ヨウマは素早く立ち上がり斬りかかるが、その時にはもうグリンサは武器を拾っていた。簡単に受け止められ、彼は舌打ちする。


「セーブしてるでしょ」

「何を?」

「使っちゃいなよ、イニ・ヘリス・パーディの力」

「勝てなくなっちゃうよ?」

「舐められたもんだ、私も」


 彼は魂の鍵を開けた。湧き上がる高揚感が身を包む。須臾ほどの時間の内に、グリンサの背後に回った。そして首を狙う。しかし癖を見抜かれていれば、対処されるのも当たり前のことだった。


 だがそれで負けを認めるわけではない。ヨウマは彼女の手にある得物を弾き落とし、飛び蹴りを食らわせる。壁にぶつかったところで、首に竹刀を突きつけた。


「僕の勝ち」

「いやー強いね」


 グリンサはケラケラと笑っていた。


「これならいつ死んでも大丈夫そう」

「嫌なこと言わないでよ」

「ハハ、ごめん」


 どっこいしょと声を出しながら彼女は立ち上がる。


「団長に言っとくよ。ヨウマは七幹部になるべきだって」

「僕地球人だよ。学もないし」

「七幹部になる条件はユーグラスに著しい貢献をすること。生まれは関係ないよ」

「ふ~ん……」


 ヨウマは考えながら面を外した。


「責任が増えるのが嫌?」

「そういうわけじゃないんだけど。むしろ給料も増えるしなれるならなりたいよ」

「深雪ちゃんのため? それともお嬢様?」

「もあるけど、タジュンの子供、お金くらいは渡したいからさ」

「そっか、ヨウマも父親になるのかあ」

「僕の手で育てられる気がしないから施設に行くことになるんだろうけど、それでも何もしないのは……ヒトとしてよくないと思うんだ」

「育てられる気がしない、っていうのは?」

「嫌いな女との子供だって思うと……どこかで殺してしまうかもって」


 グリンサは何も言えなかった。


「嫌な話しちゃった。ごめん」

「気にしないで」


 そう言うと彼女は防具を全て脱ぎ、ヨウマに渡した。


「じゃ、そういうわけで、片付けよろしく!」


 ピューっと逃げるように彼女は走り去った。残されて、ヨウマは自分の心を見た。そこに答えを求めて。

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