「──よし、これで行こう」
グリンサがそう言った。昼下がり、ラーメン屋の座敷での会議だった。テーブルの上には豚骨ラーメンに餃子、炒飯、叉焼丼が並んでいた。
「うまくいけばいいけど」
ヨウマが餃子を一つ取りながら言った。
「いかせなきゃな」
キジマはそう言うと水を飲んだ。
「うんうん、その通り。私達の役割はヨウマの一撃を命中させることだからね」
彼女は3杯目の叉焼丼に手を付ける。しかしそのTシャツに描いてあるのはピーマンだ。
「一発きりの術を前提で大丈夫なのかな」
「それだけ信用してるってこと。あ、替え玉くださーい、カタで」
「4回目だよ、替え玉」
そんなことはお構いなしにグリンサは食べる。食べるったら食べる。
「ニェーズってこと考えても大食いだよね、グリンサ」
「何しててもお腹空くんだよねえ」
胃袋の中身が異次元に飛ばされているんじゃないか、とヨウマは思う。太っているということはなく、むしろ服の下は筋肉で満ちていることを彼は知っていた。
5分ほどすれば、彼女は満足気な表情を浮かべた。
「じゃ、私の奢りで」
グリンサはキャッシュレジスターの前でそう言った。
「ご馳走になります」
キジマが頭を下げた。
「いいよいいよ、そんな畏まらないで。一番お金あるの私だし」
カード払いで彼女は会計を済ませる。店から出て、伸びをする。
「二人はこれからどうするの?」
「自分は訓練場で軽く体を動かします」
「僕は一旦帰るよ。夜までだいぶ時間あるし」
「じゃ、かいさーん。ちゃんと集合するんだぞ」
「わかってるって」
にこやかに別れた。ヨウマはバスに乗り、居住区入り口前のバス停で降りる。
(復讐、か)
昨日と言うべきか今日と言うべきか、その境で聞いた言葉を思い出す。今までグリンサにそういう影のようなものを見出したことはなかった。ただ明るく、あっけからんとしている印象しかない。
(隠し事はしてほしくなかったな)
復讐というのは至極原始的な欲求であることを彼は知っていた。故に強い。キジマが奪われた時、復讐に取り憑かれなかったのは幸運だったのだろう。目の前のことに対処するので精一杯で、考える余裕もなかったのがかえって救いになっていた。
彼はシェーンの研究所を訪れた。受付でシェーンに用があることを告げると、待合室で待つように言われた。ひょこひょこと歩く義足の女ニェーズを見ながら、長椅子の一つに座る。15分ほどして、呼び出された。
「修行、大変だったろう?」
椅子に座ったヨウマを見ないでシェーンは言った。
「うん。でもそのおかげで強くなれたよ」
「しかし、それの影響で来てくれなかった」
「仕方ないじゃん」
「わかっているよ。ただの嫉妬さ」
「嫉妬、って何に?」
「言語魔術と、それを習得してまで尽くそうとする団長に。面倒な男なのさ、私は」
そう言いながら彼は巻尺でヨウマの腕を測る。長さを、太さを。そうしたら今度はそれを紙に書き込んでいく。
「いい腕だねえ……」
興奮気味な顔で彼は呟く。そういう様子をヨウマは気持ち悪いなと思う。だが万が一のケースを想定すれば、少しくらいは許せた。
「最近はねえ、右腕の予備を作ったんだ」
「壊すと思ってる?」
「何が起こるかわからないだろ?」
「それはそうだけどさ」
「簡単に駄目になるような作りにはしてないが、ニーサオビンカのような敵がまた現れないとも限らない。何より君のような優れた戦士の腕を作るのは楽しいからね」
「なんだって腕作るのが楽しいのさ」
「そういうところに明確な意味を持たせるのは嫌いなんだ。代替可能性というのかな。要素ごとに分解してしまうと、同じ要素を持った別のことで代替できてしまう気がして、それが嫌なんだ」
「へ~」
いまいちピンと来ない故の返事だった。
「武器を仕込んだ腕なんてのはどうかな」
シェーンが提案した。ヨウマの左腕を量りに乗せる。
「重くならない?」
「確かにそうだが……便利じゃないかな」
「いらないよ、刀と術があれば戦える」
「そうかい。ならいい。君の意志が何より重要だからね」
彼は笑顔だった。
「脚も作っていくかい?」
「趣味でやるのは腕だけだと思ってたよ」
「これは仕事さ。お金は払ってもらうよ」
「じゃあいらない」
とヨウマは立ち上がる。
「また時間がある時に来てくれると嬉しい」
「わかった。じゃあね」
小さく手を振って、研究所を後にする。空は泣きそうだった。
家に帰れば、小さな声で深雪が出迎えた。
「きょ、今日も夜はお仕事ですか?」
「うん。優香は──」
部屋から何やら話し声が聞こえた。
「授業中か」
「は、はい。入らないでほしいって言ってました」
「にしても、まだ通話でやるんだね」
「お、お、オビンカのヒトたちがまだ犯罪してるらしいですから……」
「犯罪そのものは減ったよ。まあ子供が出歩くには危ないっていう気持ちもわからなくはないけど」
話しながら歩いて、並んでソファに腰掛けた。
「ふふ、不死鳥狩り、うまくいきそうですか?」
「作戦は立てた。後は……根性と度胸と運かな」
「が、がんばってください」
「うん、がんばるよ」
彼は軽く深雪の頭を撫でた。
「け、怪我はしないでくださいね」
「それは保証できないけど……うん、気をつける。深雪もあんまり心配しないで。僕強いから」
硬い表情筋を若干動かして彼は言った。強いと言ったのは、自分を励ますためでもあった。
トン、と深雪は体をヨウマに預ける。
「どうしたの?」
「しし、しばらく……こうさせてください」
優しい時間が流れた。
◆
夜が過ぎ去ろうという頃。不死鳥の出現するタイミングは夜明け前に限られている。そこにどのような意味があるのかは定かではないが、ヨウマはまるで興味がなかった。
「出たね」
グリンサが黒い環から現れる不死鳥を見て言った。不死鳥は彼らのいる広場へ一直線でやってくる。
「恨み買っちゃったかな」
「かもね」
ヨウマとグリンサの短い問答は、特に答えを求めていなかった。
まず作戦は回避から始まる。前回の戦いで学んだことは、炎による攻撃が無意味とわかると不死鳥は接近を仕掛けるということだ。片方だけ残った脚にある鋭い爪を武器にして。
そうして20分が経過すると、不死鳥は直接攻撃を行う。ヨウマを執拗に狙い、追い回す。逃げ回る彼に当たらないよう、グリンサは静かに両手に握った雷の槍の狙いを定めた。
二人の得意とする雷の槍は、ケサンの消費量が一定であれば飛距離と威力がトレードオフとなる。今回は翼を吹き飛ばすほどの高威力。必然的に射程は縮む。
貫通したものが仲間に当たらないよう、慎重に。しかし大胆に、投げた。中空で翼をもがれた不死鳥は緩やかに落下する。
ヨウマは走りながら詠唱を済ませ、キジマに駆け寄る。
「行くぞぉ!」
キジマは彼を放り投げた。首を落とさんと振りかぶる彼。高度も距離も完璧。後は打ち下ろすだけ──それだけだった。しかし、斬ったのはないはずの翼だった。
驚いた彼の腹を、不死鳥は蹴る。虚空に回る体をキジマが受け止めた。
「なんでだ……再生まではラグがあるんじゃ……」
「魔力を消費して再生速度を上げたんだ」
グリンサが言う。
「どうします?」
「ヨウマ次第だね」
「……もう一回やろう」
ヨウマが腹の傷を癒やしながら言う。
「今魔力を使ったなら、すぐ同じことはできないはず」
「いけるの?」
「結果どうなるかわからないけど、目の前の敵を見逃したくはない」
「……オッケー。私も120%でいくよ」
バチバチと音を立てる槍を彼女は両手に生成する。不死鳥は上空25メートルの辺りで羽撃いていた。そこまで届くように威力と射程を両立する方法はただ一つ、ケサンをより多く消耗すること。
(かわいい弟子のためだ、多少の無理はしなきゃね)
苦笑しながら投擲。ピリッと腕に痛みが走った。まず左手の方を投げた。相手が回避行動に入ったその時、
「もういっぱぁつ!」
と瞬時に槍を再び生成し、両手から放った。翼を失い無防備に落ちているところに、ヨウマが飛ばされる。必殺の雷を纏った刃が、不死鳥の細い首を刎ねた。黒い雨が降る。その中を、力なく小さな体が落ちていった。
「よっとっと」
とキジマが彼を抱きとめる。
「生きてるか?」
返事はない。だらしなく口を開けて、虚ろな目で涎を垂らしている。ビクビクと痙攣し、刀を握る手が緩んだ。
「グリンサさん、ヨウマがやばいです!」
「やばいねえ。救急車呼ぶよ」
左胸の無線機に彼女は話しかける。
「死ぬなよ、頼むよ」
キジマは腕の中の親友に呼びかけた。そうすることしかできない自分が嫌だった。無力。それが押し寄せた。
数分もすれば、サイレンを鳴らした赤と白の車がやってくる。その肚の中で、キジマはただ祈っていた。無二の存在が永遠に失われないことを。
診断は魔力の深刻な枯渇によるショック、というものだった。8時間後にはヨウマは目覚め、更に8時間が経過する頃には立ち上がって動くことができた。
「無理、させちまったな」
病室で屈伸運動をするヨウマを見て、椅子の上でキジマが言った。
「いいよ、僕が決めたことだし」
「俺も使えるようになれねえか、その……死なねえ奴も殺せる術」
「才能がないと使えないって先生は言ってた」
ヨウマはベッドに座る。
「だよなあ」
「魂の領域の内、魔力の込められた部分は閉じてるらしいんだ。そこを開く修行もしないと本来は使えない、らしい」
「でもお前2週間で分身習得したんだろ?」
「イニ・ヘリス・パーディって、そういう魂全部の力を引き出せるんだって。地球だとなんて言ってたかな。覚えてないけど、そのおかげで魔力をすぐに扱えるようになったんだ」
「ずるいぜ、お前」
「あと、その属性の『愛された魂』っていうのと契約しないと使えないって先生が言ってた」
「呪文を聞いただけじゃ真似できないってことか」
「そ。だから教えても使えない」
「……そうか」
キジマは俯く。そして両手を握りしめる。
「言語魔術がなくたってキジマは僕の親友で相棒だよ。いつも助けてくれる」
ヨウマが拳を出した。
「助けてもらってるんだよ、俺は」
震える声で話し出した。
「イータイに体を奪われた時、俺はお前が助けに来てくれるのを待つことしかできなかった。お前がフランケと戦った時なんて本当に何もできなかった。だから──」
「違う」
ヨウマの鋭い声が遮った。
「助けることもあれば助けられることもあるよ。今回だってキジマがいなかったら届かなかった。ゴーウェントとの戦いもチャンスを作ってくれた。イータイの時だって、助けに入ってくれた」
「……わりぃ、卑屈になってた」
「助け合おうよ、お互いさ」
「ああ、ずっとな」
拳骨を合わせる。これから先、どんなことがあっても二人で立ち向かおうと決めた。キジマにはそれで十分だった。