ヨウマは真っ直ぐにガスコに向かう。それに向かってヘイクルの投げた暗器を、グリンサが弾き落とした。
「ヘイクル、ヨウマは俺が殺す」
ヨウマとそれ以外が、赤い、磨りガラスのような結界によって分断された。
「イータイを殺したそうだな」
段の上から下りながら、余裕のある表情でガスコが言う。左腰に、剣。
「どうだ、最期に何か言っていたか」
「聞いてないよ。すぐ首落としちゃったから」
「そうか。ならそれでいい」
スルリ、細身の剣を抜く。
「お前の首を以て弔いとしよう」
ヨウマは刺突を見た。軽く躱して、斬りかかる。当然に弾き返され、銀色の切っ先が頬を掠めた。
「その程度ではあるまい、ヨウマ!」
距離を取り、斬撃を飛ばす。それを飛び越えてガスコが来る。数度斬り結んで、ヨウマは離れた。左掌を柄頭に乗せて、唱える。
「幽影の双!」
二人の徒手のヨウマが現れた。分身は敵に向かって走るが、簡単に蹴り飛ばされてしまった。
「子供騙しを!」
ガスコの猛攻に追い詰められて、ヨウマの背が壁に触れる。回避する場所はない。意を決して、上からの斬撃を潜り抜けてのタックルを仕掛けた。僅かに蹌踉めいた隙を突き、腹を刺す。ただ引き抜くのではなく、横に振り抜いた。
何歩か彼は下がった。指輪のある左手で傷を癒やしながら、剣を納める。
「この術を使うのはいつぶりだろうな」
話し出したガスコを、ヨウマは怪訝そうな顔で見ていた。
「
彼は手を叩いて言った。すると彼の背後に全てを飲み込むような黒い環が現れる。そこから四足の、黒い皮膚が爛れた化け物がのっそりと出てきた。丸太のような胴体に、虫のように細い脚。それがずるずると尻尾を引きずりながら歩くのだ。グググと唸る。幾つもの眼が体の至る所にある。
「どういう手品?」
「死霊を異界の化け物に宿らせるのさ。殺してみろ、ヨウマ」
化け物は体の先端にある大きな口を開き、ヨウマを食らわんとする。横に避けて、眼の一つを刺してみる。黒い血液が迸る。アァと声を上げて、ゆっくりと振り向いてくる。痛がっているのか何も感じていないのか、まるで手応えがなかった。
「これは想定外だな……」
しかし無策ではない。分身はまだ残っている。それを雷の槍に変えて、ぶつける。黒血が散って、結界を塗りつぶした。化け物は体を畝らせ、右へ左へ転がる。押し潰されないように位置取りを変えながら、ヨウマは様子を見ていた。
「これ最初から使えばよかったんじゃない?」
「複雑な指示はできんのだ。制御できる範囲も狭い」
「明かしていいの?」
「構わんさ、話したところで大して変わらん」
ガスコは再び手を叩き、呪文を唱える。今度は白い大蛇が現れてヨウマに飛び掛かった。と思えば、黒い化け物の喉に喰らいつき、暴れだす。これ幸いとヨウマは敵に向かうも、蛇が標的を変えて突っ込んできた。突き飛ばされ、結界にぶつかる。軋む体を動かしてその牙を避けた。
肚を括った。向かってくる蛇を見据えて、左手に槍を作る。思い切りそれを投げる。口の中に飛び込んだ槍は体を貫通していった。蛇の巨体が粉となって消えていく。一瞬の息切れ。そうして止まったところに黒い化け物が来る。もう駄目か。諦めそうになる。そこに、炎。化け物を焼き払った。
「こんな結界で私を止められると思わないことね」
そう言うと、イルケは煙管を吸った。
「予想していたよりは保った方さ」
ガスコは微笑んですらいた。また手を叩く。
「纏めて殺すまで。
今度現れたのは、太く長い腕を持った二足歩行の怪物だ。背丈は3メートルほど。虎のような縞模様が全身にあった。7つの瞳がジロリとヨウマとイルケを見下ろした。イルケは何も言わずに炎を浴びせる。怪物はそれを突っ切って殴りかかった。が、結界に止められる。
「ヨウマちゃんはガスコの相手をして」
「グリンサは?」
「ヘイクルを連れ帰ったわ」
「オッケ」
それだけ言ってヨウマは走り出した。ガスコの背後の環から飛び出した弾丸のような化け物を弾きながら、近づいていく。段を一足で登り、大上段からの打ち下ろしを食らわせる。幾度か弾き合い、互いの皮膚に小さな切り傷が作られていく。だが、ガスコは逃げるようだった。斬り結んだ後は必ず離れて、小さな化け物を飛ばすのだ。ヨウマにはそれが鬱陶しい。
一つ、気付いたことがある。小型の化け物を飛ばす分には手を叩くことも呪文を唱えることも必要ないということだ。
(嫌な術だ)
追いかけながらそう思った。
ガスコが突然に攻撃を止める。そこに意図があることはヨウマもよく理解していた。しかし踏み込まねばジリジリと体力を削られるだけだということもわかっていた。分身を生み出し、突撃。下から上へ、刀を振り抜く──その直前、ガスコが顔の前で左手を握った。ヨウマが落としてきた化け物がそれに呼応して集まる。一本の剣と化したそれが彼の背中めがけて飛ぶ。死角からの攻撃。気づいた時にはもう遅い。対処不可能かと思われたその時。黄色い結界が阻んだ。
「イルケ、ありが──」
彼が振り向いた瞬間、イルケは結界を破られ怪物の腕に吹き飛ばされた。壁に打ち付けられ、そのまま動かない。彼の体の中で、何かが外れる。ドッと湧き出す全能感。
距離をおいたガスコに、一瞬で追いつく。鋭さを増した連撃で防戦一方に追い込む。動き出した化け物の剣を振り向きざまの飛ぶ斬撃で真っ二つにして、消し飛ばした。
視線を敵に戻す。その表情から余裕は消えて、ヒリつく闘争への高揚感に満ちていた。ヨウマはスローモーションに見える刺突を躱し、斬り返すが、受け止められた。
「その力がお前だけのものだと思うなよ!」
彼はガスコの肉体から出る紅い粒子がどっと増えたのを見た。
「ニーサ・フェルケ・パーディ。自在に力を行使できるようになった、真に闘争に特化した生命。お前はどうだ?」
「さあね」
短い返事の後、床を蹴った。強化を受けた肉体同士の、高速戦闘。今の動体視力を以てしてもヨウマは斬り結ぶのが精一杯で、反撃に転じることはできなかった。
ヨウマは低い唸り声を聞く。怪物が、頭から血を流すイルケの結界に拘束されている。タジュンもそこに加わって、状況は優勢そうだった。
「勝ちなさい」
そんな言葉が聞こえた気がした。
「よそ見をするなよ、ヨウマ!」
ガスコは惑わすような攻撃でヨウマを少しずつ後退させていた。だが、方策のないわけではない。分身を動かし、背後から殴りかかせる。彼の望んだ一瞬の隙がそこに生まれる。ガスコが背後を切り払ったその刹那、心臓を刺した。赤い血が黒い刀身を伝って、鍔で滴る。
「卑怯だな」
剣を取り落としたガスコが言う。
「負ける方が悪いよ」
フッ、笑いながら彼は印を結ぶ。両手の人差し指と小指、そして親指を合わせ、後の指は握り込む。
「一つ言っておく。これは終わりではない。また始まるのさ、悪夢がな……」
膝から崩れ落ちて、斃れる。ヨウマは首に手を当てて脈を測る。ない。
怪物の方に視線をやる。頭を叩き潰され、伏していた。足の先から徐々に粉と化して消えていく。
「終わり、かな」
静かに呟く。血濡れの刀を、納めた。
◆
「──我らのヨウマにかんぱーい!」
グリンサが音頭を取る。色とりどりの飲み物が注がれたプラスチックの器がぶつかる。とある居酒屋で、打ち上げ。ヨウマにイルケ、オパラにジクーレン、そしてシェーンと生き残った七幹部は揃っていた。一般社員は参加しない、特別な会合だった。
「これでしばらくは平和になるのかな」
オレンジジュースを手に、ヨウマが言う。
「犯罪件数は確実に減るだろうな」
向かいのジクーレンはそう答えると赤い酒を飲んだ。
「今日は仕事のこと忘れよって」
グリンサの頬は紅潮していた。長方形の机の反対側に回って、ヨウマと肩を組む。その右手にはビールの注がれた器があった。
「ヨウマがお酒飲める年になってたらなあ」
「あと2年待ってよ」
飲酒喫煙は18から。それが本国と共通のルールだった。
「時にヨウマくん」
シェーンが口を開いた。相変わらず白衣だ。
「今度左腕を貸してくれないか。そろそろ君の腕を作りたくなった」
「いいよ、いつ?」
「気が向いた時に来てくれればいい」
コクンと頷いたヨウマの前を、イルケの腕が通る。唐揚げを一つ取っていた。
「それにしても、すごいわねえ」
イルケは隣の彼を見て言った。
「ニーサオビンカのボスを殺しちゃうなんて」
「イルケがデカブツを引き付けてくれたおかげだよ。同時ならどうしようもなかったと思う」
グリンサが乱暴にヨウマの頭を撫で回す。しばらくそうしてから、イルケを見た。
「イルケ呑んでないの?」
「貴女がそんな風になってしまうのはわかってたのよ。だから、すぐ動けるように遠慮してるの」
「えら~い」
子供のような笑いを彼女は浮かべた。
「呑みすぎるなよ」
ジクーレンが無愛想に忠告した。
「大丈夫だって、私強いから~」
そう言うと彼女はぐいとビールを飲み干した。
「団長、グリンサったら全員揃う前から呑んでたのよ」
「全く……」
溜息を吐かれて、グリンサは口を尖らせた。
「いいじゃんね。ヨウマも何か言ってよ」
「僕が来た時点で出来上がってたの、知ってるからね」
「ゲッ、ヨウマもそういうこと言うの? 傷ついたなあ、お姉さん」
「グリンサさん、そういう絡み方はやめなさい」
オパラがそう言うと、彼女は渋々ヨウマから離れた。
「しかし、惜しいな」
ジクーレンがぽつりと言った。
「お前がニェーズであれば迷いなく七幹部にできたというのに」
「そういう仮定、好きじゃないな」
ヨウマの言葉に、彼は僅かに表情を柔らかくした。
「そうか。ならこの話は聞かなかったことにしてくれ」
ヨウマはジュースを一口飲んで、口を開く。
「それに、出世に興味ないし」
「でもお給料増えるよ?」
その甘言に彼は少し揺らいだ。しかし。
「色々込みで生活できるくらいには貰ってるし、大丈夫だよ」
「そっか、お嬢様の護衛で手当出てるんだ」
「そ。危ない任務に出ればその分貰えるし」
よいしょ、とグリンサが立ち上がる。オパラの隣に戻った。
「ヨウマさん、キジマさんに変わりはありませんか」
「うん、いつも通り。医者にも連れて行ったけど、魂は一つしか見えないって」
「それはよかったです」
オパラは水を飲んでいた。生来酒を受け付けない体なのだという。
「……ガスコがさ」
とヨウマは話しだした。
「死ぬ前に悪夢が始まるって言ってたんだ。何だと思う?」
「そもそも死んでいないのかもしれんな」
ジクーレンが返事をした。
「どういうこと?」
「イータイのように魂を別の入れ物に入れられるなら、肉体的な死はなんのリスクにもならない……むしろ肉体を捨てるというデメリットを背負うことで術が強化される可能性さえある」
「そういうものなの?」
「大抵の魔術において呪縛というデメリットを受ける代わりに術の効果や魂の出力を押し上げる手段が存在する。イルコー様などは有名な例だな。魂だけになることで永遠にケサンを出力し続けることを選んだ」
訊きこそしたが、ヨウマも心当たりがあった。分身術の印だ。
(印を結ぶのって呪縛だったんだ)
ジクーレンは塩辛を食べている。オパラから酒を注がれ、動かない表情で感謝を述べる。こういう時間がいつまでも続けばいいとヨウマは思う。だが現実はそうではなかった。
◆
「ガスコ様、お目覚めですか」
一人の女オビンカが壺に向かって話しかける。3本の角が額と側頭部に生えていた。
「ああ、始めよう」
壺の中からくぐもった声がする。
「
その声と共に、フロンティア7の中央、総督府の直上に深い漆黒の環が開いた。そこから覗く、燃え盛る青い炎に覆われた巨鳥。夜闇の中で、確かに現れた。甲高い鳴き声を上げて、羽撃いた。