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対峙 ガスコ

 特殊清掃が入り原状復帰した自宅のソファで、ヨウマはダンベルを持ち上げていた。そこで、業務用の方の携帯が鳴る。


「もしもし──え、本気で言ってる?」


 長い溜息をそこで吐く。


「わかった。行く。30分くらい待ってて」


 鳥の糞が頭にかかったような顔で、彼は立ち上がる。


「深雪、ちょっと出てくる」

「は、はい。でもでも、非番なんじゃ……」

「そうなんだけどね。用事ができちゃった」

「そ、そうですか。いってらっしゃい、です」


 外に出たヨウマは、空を仰いだ。突き抜けるような青空。その下に広がる、結界の戻った街は平穏だ。子供が走り回るのも見える。刀の意味を、彼は考えた。


 さて、30分。本部の前に立った彼は、見回りに出るキジマと鉢合わせた。


「どうした、書類か?」

「まあ似たようなものかな」


 簡単な会話を交わして過ぎ去れば、一人の女ニェーズが出迎えた。


「ヨウマさん、こっちです」


 地下階に通される。その内の、取調室に。重めの扉を開くと、ニェーズに囲まれ、手錠を嵌められたタジュンが椅子に座って待っていた。


「あ、ヨウマ……」


 消え入りそうな声で彼女が言った。苦い表情をしたヨウマは向かいの椅子に座った。


「それで、何?」

「……デキちゃった」


 返事をする余裕もなく、彼は目を逸らした。


「それで、お腹の子を殺せってガスコに言われたから……裏切ったの」

「信じていいかわからない」

「それはそうなんだけど」


 机の上には紅い指輪が二つ。


「親父はなんて?」


 と近くのニェーズに問う。


「ニーサオビンカの集会場への案内をすれば、死刑は免れるよう手配するとのことです」


 視線をタジュンに戻す。小さな体は震えていた。


「カラカはどうするの?」


 ビクリ、彼女は驚いた。


「ちゃんと全部見せなきゃ。隠し事しても不利になるだけだよ」


 ヨウマの言葉に、彼女は逡巡を見せる。


「カラカ、というのは?」

「影の中に双子の片割れを隠してるんだ。ナピもそれで死んだ」


 俯いたタジュンの影から、瓜二つの少女が現れる。


「姉さん、いいんですか」

「しょうがないよ、この子を守らなきゃいけないし」


 カラカはスカートの中のナイフを職員に渡した。そして甘んじて手錠を受け入れた。部屋から連れ出される彼女は、最後まで姉を見つめていた。


「この子、どうなるの?」


 上目遣いでタジュンが尋ねる。


「多分乳児院に送られるんだと思う。それからのことは……わからないな」

「引き取ったりはしてくれないの?」

「少し考えさせてほしい……酷い言い方だけど、望んだ命ではないから」


 沈み込む空気。ヨウマとて、誕生する命を呪っているわけではない。しかし、タジュンの産んだという事実がノイズとなって子育てを阻害するような気がしてならない。どこかで何かがプツンと切れてその首を落とすような、妄想。それが彼の脳内を駆け抜けた。


「今まで、何人殺したの」


 振り切りたくて、言葉を吐いた。


「28人」

「楽しかった?」

「うん、頭蓋骨を潰すのが気持ちよかった」


 彼は相手を睨む。それを見て、タジュンも自分が話していることがまずいと気付いて口を閉ざした。


「それで、協力はするの?」

「この子、守ってくれる?」


 約束を、したい。だがヨウマは言い出せない。僕とは関係ないと言ってしまいたい。それが如何に無責任なことであっても、早々に終わらせてしまいたい。


「お子さんの身は、ユーグラスが守ります」


 見かねて別のニェーズがそう言った。


「なら、連れてく」

「どうやって?」

「私、自分で自分を召喚できるの」

「どういう……」

「できるからできるってだけで、原理を訊かれると困るんだけど……とにかく! 私が自己召喚で議場に入って、そこから改めて呼ぶの。そうすれば妨害を受けないで行けるはず」

「何人までなら呼べるの?」

「うーん……」


 彼女は指を折って数えてみせる。


「私を召喚した直後だから……多くて3人。それ以上はケサンが足りない」

「そうすると、誰が行くことになるかな」


 ヨウマは傍のニェーズに問うた。


「イルケさんにグリンサさん、それとヨウマさんが妥当でしょうか」

「僕でいいの?」

「二人に準じる人材を考えれば、当然です」


 そこで扉が開いた。オパラだ。


「遅れてしまい申し訳ありません。……ヨウマさんも来ていましたか」

「やっほ」


 と小さく手を振った。


「タジュンさん、一つ問います」


 とオパラ。


「贖罪の意志はありますか」

「この子のためなら、するよ」


 その眼に宿った強い炎を見て、オパラは頷いた。


「オパラさん、派遣メンバーの検討をしたいのですが」

「わかりました。社長室で待っていてください──ヨウマさん、後は私が話します。お疲れ様でした」

「うん、よろしく」


 立ち上がったヨウマを、タジュンが短い声で呼び止めた。


「好きなのは、本当だよ」

「……そっか」


 それだけ言って、彼は扉を閉じた。誰もいない廊下で、静かに拳を握る。


「助けたくなるじゃないか、あんなこと言われたら!」


 壁を殴った。右腕を使ったのだ、コンクリートの壁に罅を入れるくらいのことは簡単だった。ハアッ、と息を吐き出して、冷静を取り戻そうとする。


「ガスコだっけ、ニーサオビンカのボス」


 声に出すことで、余計な思考を追い出そうとした。


「覚悟しなきゃな」





 24時間後。午前11時。ヨウマとグリンサ、イルケ、そして手錠のタジュンは本部のある一室に集められていた。


「──以上が、この作戦の概要となります」


 椅子の上でオパラが言う。


「信頼していいの? タジュンって」


 グリンサの言葉を聞いて、タジュンは少し小さくなった。


「利害関係は一致しています」


 簡潔に言って、彼は腕を組んだ。


「信じるしかない、というのが現状です」

「なるほどねえ……」


 彼女は不服そうな表情を隠そうともしない。それもそうだ、とヨウマは思う。昨日の敵は今日の友、なんて言葉もあるがそれだけでは割り切れない。ナピを殺された恨みは、誰の心にもあった。


「今残ってるニーサオビンカ、何人だったかしら」

「二人」


 タジュンが口を開く。


「第4席のヘイクルと、第1席のガスコ。……ヘイクルはともかく、ガスコは強いよ」

「ともかく、っていうのは?」


 ヨウマが問うた。


「スパイとの連絡係だからそれなりの偉さをあげてるだけってこと。裏切られたら大変だからね」

「そう、スパイ」


 グリンサがそう口にした。


「誰かわかった?」

「いえ、中々尻尾を出しません。おそらくこの作戦も漏れているでしょう」

「じゃあ敵が待ち構えてる中に飛び込んでいくことになるんだ」

「だとしても、やる価値があります」

「そうだね、ここでニーサオビンカを叩かないと」


 彼女は手を頭の後ろで重ねて、椅子に体を預けた。


「タジュンは知らないの?」


 ヨウマの質問に、彼女は首を横に振った。


「知ってるのはヘイクルとガスコ、あと少しの部下だけ。私達はガスコの出す指示で動いてた」

「徹底してるのねえ」


 その気の抜けた感想が妙におかしくて、グリンサは失笑した。


「漏洩への対策として、日時は直前まで伏せておきます。決行する1時間前に連絡しますから、いつでも動けるようにしておいてください」

「仮眠室に泊まるよ、それでいいでしょ?」


 ヨウマの言葉を聞いたオパラはそっと頷いた。キジマのお世話にならなきゃな、と彼は思う。帰還したばかりのキジマに負担をかけることに申し訳無さを感じつつも、確実に受けてくれるだろうという信頼もあった。


「この場は解散としましょう。皆さん、よく休んでください」


 それを受けてヨウマも立ち去ろうとした、その時。タジュンに服の裾を引っ張られた。


「ねえ、抱きしめて」


 無言。


「お願い、怖いの」


 彼の顔は動かない。それでも滲み出る嫌悪が、タジュンの表情を歪ませる。


「してくれないなら、協力しない」

「タジュンさん?」


 オパラが険しい面を向けた。


「……わかったよ」


 と彼は彼女を抱き寄せた。優香への裏切りだとか、またも強引に迫られたことへの不快感だとかが混ざり合う。利用価値がなければ斬り捨てていただろうとさえ思う。


 タジュンは擦り付けるように体を上下させる。それが気持ち悪かった。しかしやめてくれとも言い出せない。食いしばって耐えている内に、彼女は離れた。


「……ありがと」


 下を向いて彼女はボソッと言った。


「これ以上のことはしないから」

「うん、それでいい」


 改めて部屋を後にしようというところで、


「あ、あのさ!」


 とタジュンが言った。


「何」


 黒々とした声だった。


「子供、守ってね」

「……ユーグラスがなんとかするよ」


 突き放すような言い方をして、彼は後ろ手で扉を閉ざした。仮眠室に入ったところで壁に凭れて、しゃがみ込んだ。


「なんで僕なんだ」


 溜息混じりにそう呟く。


「僕が何かした?」


 いや、したな、と自答する。殺しの数は自慢ではないが大したものだという自負があった。それで罰が当たるのなら多少は仕方のない部分があるんだろう、と考えた。だがそれでも不条理だという感覚は抜けなかった。


 落し差しの刀を確かめる。それを外して、ベッドに転がった。


「キジマに連絡しなきゃな……」


 ポケットからスマートフォンを取り出し、メッセージを送る。


『任せな』


 と短い返事。


『最高。よろしくね』


 携帯電話をベッドの上に置いて、天井を見つめる。孤独が増幅される。嫌になって、目を閉じた。


 1時間ほどそうした頃。空腹に起こされて、立つ。社員食堂もあるのだが、胃の容積の大きいニェーズ向けであるからヨウマには多すぎる。外に出て地球人向けの店に行くしかない。


 今日の彼が選んだのはラーメンだった。醤油豚骨のスープが絡みつく麺を啜りながら、連絡を待つ。


(もし、これが最後の食事になったら──)


 そんなことを考えながら、食事を続けた。





 ガスコは議場の椅子でイータイとの交わりを思い起こしていた。


 出会いはオビンカの訓練場。剣の腕──とはいっても振るうのは鉈だが──を評価され、イータイの推薦であっという間にニーサオビンカとして取り立てられた。第6席。彼が最初に就いたのはそこだった。


 当時第1席だったレペラという人物の指示の下、殺しを続けた。40年前には得物を剣に変え、オビンカきっての戦闘員としてイータイと並んで評価された。二人で一つ。彼はそう思っていた。イータイがいるならどんな任務もこなせると。


 だが、30年前状況は一変した。議場を見つけられ、ジクーレンによる襲撃を受けたのだ。レペラが先頭に立って戦うも、奮戦虚しく命を落とした。ガスコとイータイはレペラの最後の命令、「生きよ」に従って結界の中に逃げ込んだ。そして、戦いのほとぼりが冷めてから新生ニーサオビンカとして立ち上がった。その際、ジクーレンによる再びの襲撃を受けぬよう、手に入れた髪の1本を媒体に強力な呪いをかけた。ケサンを使うたびに内臓を蝕まれる、どす黒い術。


 どちらが第1席となるか、ゴーウェントを交えて話し合った。イータイの強い勧めでガスコが就いたのだが、その理由は


「俺はヒトの上に立つのに向いている男ではないよ」


 とのことだった。それが自由に戦える立場を失うことへの嫌悪だとは言われずともよくわかった。その上、オビンカ・グッスヘンゼの創始者と同じ8本の角と、"i王イーベ"と呼ばれる特殊な力を持っていた彼が長となるのは当然と言ってもよかった。


 椅子に縛り付けられているような感覚もしてくる。無慮に命を賭けられる立場でないのは、もどかしくもある。しかしそれも終わる。第1席は必ずニーサオビンカの中から選ばねばならない。ヘイクルに地位を譲り、次のニーサオビンカを揃えさせる。議場の扉が、開いた。


「ガスコ、辞めるんだね」


 ヘイクルがそう言った。


「ああ、明日儀式を執り行う。……任せたぞ」

「遅いね」


 幼い声がした。ガスコは円卓から少し離れた場所に、タジュンが現れたのを見た。


「今更何をしに来た」

「こうだよ」


 彼女が手を叩くと、ヨウマ、イルケ、グリンサが現れた。


「終わりにしよっか」


 ヨウマが、刀を抜いた。

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