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決戦 キーパ

 右の手刀が、黒い刃とぶつかる。数回それが繰り返されてから、両者は距離を取った。


(斬れなくなってる)


 ヨウマは思う。


「両手にわけてたケサンを片腕に集めてる。そうでしょ?」

「勘がいいな」

「理屈だよ」


 正眼に構えて、敵を見据える。相手の左腕からはもう血が流れていない。いつの間に止血したのかは置いておいて、ヨウマは攻撃の機会を窺っていた。隻腕とは雖も、ニーサオビンカだ。油断はできなかった。


「あまり使いたくないが、仕方ない」


 キーパが言う。全身を脱力させ、地面を蹴る。次の瞬間、彼はヨウマの背後に回っていた。長年の戦いの中で研ぎ澄まされた手刀が、その背中を大きく抉った。振り向いたヨウマと何度か打ち合い、離れた。


「身体強化?」

「ああ。しかし、一撃で追いついてくるとはな。イニ・ヘリス・パーディ、恐ろしいものだ」


 脂汗を垂らしながら、ヨウマは不敵に笑おうとした。しかしそれより早く、キーパが真正面から迫る。心臓を狙った一突きを半身で躱し、首を狙う。仰け反られて、外れる。そこからしばらくはヨウマのターンだった。逃げようとした敵に対し斬撃を飛ばし、防御を強要する。そうしてできた隙に、間合いを詰めた。お返しと言わんばかりに胸に狙いを定め、刀を突き出す。右胸に、刺さった。


 蹌踉めくキーパ。ヨウマは更に攻め立てた。相手を蹴り飛ばし、体勢を崩したところに斬撃を飛ばす。結界に受け止められるが、彼にはそれで十分だった。刀身にケサンを送り込み、一際大きな斬撃を放つ。そのために足をしかと踏ん張る一瞬が欲しかったのだ。飛んでいく斬撃は結界を打ち破り、打ち消そうとしたキーパの右腕を奪った。


「フッ」


 キーパは笑う。と思えば駆け出した。完全に虚を衝かれてもなお、ヨウマは反応した。刀を再度構え、一度息を吸ってから飛び上がる。打ち下ろされた刃がキーパを袈裟斬りにするのと同時に、額と額がぶつかった。


「いつつ……」


 地面に転がったヨウマは呟く。上体に深く切り込まれたキーパはすでに絶命していた。


「すごい執念だ」


 と言いながら、フランケを思い出していた。最期のその時まで一矢報いようとするその精神に、僅かだが敬意が生まれた。


 左胸の無線機のボタンを押す。


「救急車手配して」


 それだけ言って、彼は意識を失った。





 次に目を覚ました時、白い天井を見た。蛍光灯の灯り、窓から差し込む陽光。ヒヨヒヨという、鳥の鳴き声。右に視線を向けると、船を漕いでいるグリンサがいた。


「おはよ」


 と彼が言う。慌てて目を覚ました彼女は、ばつが悪そうに笑った。


「もう昼だけどね」

「どれくらい寝てた?」

「18時間」

「思ったよりはマシだな……」


 ヨウマは上体を起こす。重い。


「ヘッセを使ったから、しばらく満足に動けないと思うよ」


 病院のような施設においては、一人でも多くの患者を救うため、治される側のケサンを利用する治療術が用いられる。


「ま、いいけどさ……」


 上半身を支えきれず、再び横になる。


「さて、お姉さんはそろそろ退散しようかね」


 とグリンサは立ち上がる。


「用事?」

「少年少女の蜜月に大人は不要ってことさ。じゃあね」


 急ぎ足で彼女は立ち去った。すると、サングラスをかけた冬路が部屋の中を覗き込んで、すぐに引っ込んだ。それからすぐに、俯いた優香が入ってきた。


「あっ……!」


 視線が合うと、彼女は声を漏らした。コツコツと歩み寄り、ヨウマの右手を握った。


「怪我、大丈夫?」

「痛くないし、すぐ動けるようになるよ」


 手にかかる力が強くなって、彼は左手で優香の頬を撫でた。


「……うん、わかった」


 静かに、しかし確かに彼女は言った。


 それからは沈黙だった。体温を感じながら、見つめ合う。甘ったるい空間が彼には居心地のよいものだった。


「ねえ、ヨウマ」


 と優香。


「任務が終わったら、私達離れるのかな」

「さあ……」


 考えたくない、というのがヨウマの本音だった。


「別れたくは……ないかな」


 ポツリ、呟くように言った。


「でも、一生警備する可能性だって──」


 とヨウマが口にした時、俄に外が騒がしくなった。


「待て、止まれ!」


 冬路の声がした。ヨウマは鉛のような体を動かして、サイドテーブルに立て掛けられた刀を手繰り寄せた。


「僕の後ろに」


 そう言うと、優香は素直に従った。


「伝えなければならんのです!」


 男の声だ。


「俊二様の最期の言葉を!」


 それを聞いて、優香は


「入れて」


 と強い口調で言った。


 額に包帯を巻いた入院着のニェーズが覚束ない足取りで入ってくる。禿げ上がっていた。


「出渕優香様ですね」


 ニェーズは頭を下げた。


「俊二様から、伝言がございます」

「わかりました」


 彼は指輪の嵌められた右手を開き、立体映像を見せた。燃える車の下で、両脚を吹き飛ばされて這いつくばる俊二。優香はハッと息を呑んだ。


「優香、粟田あわださんを頼りなさい。知っているとは思うが、私の懇意にしている弁護士だ」


 絞り出すような声だった。


「ヨウマくんとキジマくんに守ってもらいなさい。信頼できる二人だ」


 腕を使って、少し近づいてきた。


「ヨウマくん、キジマくん、これを見ている君達に優香を託す。金なら遺産から好きなだけ持っていくといい。守ってくれ──」


 そこで映像は途切れた。


「この先はご覧にならないほうがよいと思います」

「何があったんですか」

「俊二様が亡くなられるその瞬間です」


 優香には返事のしようもなかった。


「どうして今まで教えてくれなかったんですか」

「昨日まで昏睡しておりました故……」

「そう、だったんですね……」


 責めるような言い方をしてしまったことを彼女は恥じた。


 ニェーズが咳き込んだ。崩れ落ちる。駆け込んできたナースがその傍らに立って、連れて行った。


「託された」


 ヨウマが言う。


「優香のこと。守るよ」

「うん、ありがとう……」


 彼女はヨウマの肩に触れた。


「粟田さん、っていうのが後見人のヒト?」

「そう。遺産の整理もしてくれた」

「ならそのヒトに養子にしてもらうってのは?」

「独身だから……」


 フロンティア7での養子縁組は、既婚者にのみ許されている。


「そっか。なら仕方ないね」


 受け答えをしながら、ヨウマはキジマのことを考える。救う手立ては捜査部に任せている。成果が中々挙がらないということは聞いていた。かなり古い儀式を必要とするらしく、散逸した資料を探し続けているらしい。


 そこで、携帯が鳴った。見れば、捜査部からだった。


『ヨウマさん、ニガサです。地球の言語魔術を使えば儀式の実現が可能なようです。2週間ほど時間をいただければ、人員を地球に派遣して必要な知識を持ち帰れそうです』

『それならよろしく 僕がすることある?』

『言語魔術で儀式用の札を作りますから、それをイータイに使ってください』

『オッケー 任せて』

『それでは』


 フリック入力をする指も重くて、彼は溜息を零した。


「お仕事?」

「キジマを助けるためのね」

「今度はなんとかなりそう?」

「しなきゃならない。大丈夫、僕はもう負けないよ」


 彼は笑顔を作った──つもりでいた。





 退院したのは、3日後の綺麗に晴れた昼のことであった。鈍った体をランニングで覚ましながら、家に帰る。すれ違う、右腕が甲殻に覆われたニェーズ。買い物帰りの地球人の夫婦。最近、彼はそういうものへの関心が増した。


(なんでだろう)


 そう思いながら、信号が変わるのを待つ。


(変わったのかな、僕)


 小さな地球人の子供が親に引かれて横断歩道を渡る。


(優香、どうしてるかな)


 真昼の太陽が、少し冷えた空気を貫いてくる。


(明日は非番だし、出かけなきゃな)


 風が短い髪を揺らす。


 結界の近くまでやってきた。『この先ユーグラス居住区』と書かれた看板が目に入る。何でもなく、その下を通り抜けるだけだ。しかしそこで、


「ヨウマさん、ですね」


 と背後から声をかけられた。振り向けば、分厚いコートを着込んだ女ニェーズが立っていた。


「そうだけど、何?」

「ホデンと申します。ヨウマさんに御用がありまして」

「依頼なら警備会社を通して」

「いえ、すぐ終わることですから……」


 ホデンはコートの内側に手を伸ばす。ぼうっとそれを眺めていたヨウマは、そうして取り出された鉈に驚いた。急ぎ刀を抜き、一撃を弾いた。


「キーパ様は私に命を宿してくださったのです、でも貴方は……貴方は!」

「妊婦? それならやめなよ、僕だって殺しが好きなわけじゃないんだ」


 技も型もなく、ただ振り回されるだけの凶器にヨウマは気圧されながらも立ち向かう。怒りの矛先が自分にだけ向いている分にはどうとでもなるが、それが観衆へと向きを変えるかもしれない。そうなる前に斬り捨てるべきだと思う。だが……。


「あんただけの命じゃない」

「あの方がいなければ生きていきようなどありません、たとえ死んだって構うものですか」


 狂い切った黒い瞳がヨウマを射抜く。


「……わかった」


 彼は小さく言う。


「同じところに送ってやる」


 踏み込む。地面を蹴って、飛び上がる。そして、首を刎ねた。着地した瞬間、彼は目を閉ざしていた。それをゆっくりと開く。虚ろな目をした生首が転がっていた。


「最悪だ」


 呟く。


「本当に、最悪だ……」


 数分後、パトロールカーと救急車がやってくる。


「──それではヨウマさん、報告書の提出をお願いします」

「書きに行くから乗せて」


 暗い表情で彼は言う。


「お疲れ様です」


 運転手が言った。


「ありがと」


 外を見る。携帯電話で死体を運んでいるところを写真に撮る、醜い観衆。そこにどんな思いを向けても詮無きことと知りながら、彼は吐きそうな気分になった。生まれることすら叶わなかった子。それを、想いながら。


 本部では、ジクーレンが待っていた。


「その、なんだ、辛かったろう」


 言葉を探しながら彼は言った。


「大丈夫だよ、ちょっと嫌になっただけ」


 視線を合わせようとしないヨウマの頭を、彼は優しく撫でた。


「お前の人生に、口を出したいわけじゃない」

「え?」

「ただ、こんなことが続くなら、とは思う」

「僕はそんなヤワじゃないって。なんていうか、守りたいものもできたし」

「……そうか」


 ジクーレンは背を向けた。


「俺はお前を一人前と認めたものな。後悔はするなよ」

「うん、わかった」


 ヨウマはそんな彼の横を通り過ぎ、カウンターで1枚の書類を受け取った。その場で事の顛末を記し、渡す。


「受理しました。お疲れ様でした」

「じゃあね」


 短い会話を交わして、立ち去る。


(明日だ)


 社屋を出て、バス停へ。


(明日、スッキリしよう。それでこの件は終わりだ)


 口を閉ざしたまま、バスに揺られた。


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