ユーグラスが銃を使わないのは、ニェーズの甲殻を一般的なアサルトライフルでは貫通できないからだ。その上、ニェーズの歴史において火薬が発達してこなかったことも大きい。原料となる硝石が採掘されず、黒色火薬が作られなかったのだ。したがって、ユーグラスに少数所属している地球人の戦闘員や本国から派遣される国家憲兵隊などが使う銃弾は、全て本国からの輸入品である。
その状況は、本国にとっても都合のいいものだった。アジア太平洋地域は北の大国からの圧力を受け続けており、一触即発の状況が長く続いている。魔導兵器を軸とした編成を執っているとはいえ、それを扱える才能を持つ人間は限られる。そうでない人間は銃に頼るしかない。いつ銃弾や銃の需要が爆発するとも知れない状況において、刀剣類を武器として活動してくれるユーグラスはありがたいのだ。
ユーグラスがニーサオビンカを排除するなど一定の働きを見せていることは、本国も存知している。だが、同時により苛烈な行動を求めている部分もあり、此度、副総督凩檜橋はジクーレンと接触した。
「戦力が足りていないのではありませんか?」
警備会社本部にある応接室で、檜橋は尋ねた。
「十分だ」
簡潔な答えをジクーレンは返した。
「聞きましたよ、辻斬りの件。かなりの被害が出ているとか」
「七幹部を向かわせた。両日中に解決できるはずだ」
「我々としては、こちらから積極的に介入するという選択肢もあるのです。そちらが頷いてくれれば、『狼』を創設できるのですが」
「『狼』……総督府直轄の部隊だったか」
「ええ、魔導兵器を投入することで迅速な鎮圧を実現できると踏んでいます」
「その必要はない」
ジクーレンは立ち上がる。
「この地はユーグラスの土地だ。そこで起きたことはユーグラスで解決する」
「──そうですか」
それに応じず、檜橋は俯いて溜息混じりにそう言った。
「なら『狼』については一旦保留ということで」
「俺が生きているうちには承認しない」
「ええ、そうでしょう。しかしこれは覚えていてもらいましょう。本国がその気になれば都市の一つなど容易く制圧できるということを」
「フン……」
鼻で笑いながら、ジクーレンは客人を残して立ち去った。檜橋は赤茶色のテーブルに置かれた黄色い茶を飲んだ。
(本国はあくまで民族自決の方向で動いている)
カップを皿に置く。
(しかしそれもいつ戦争になるかわからない以上、強権的な支配からくる独立戦争などを避けるためだ)
指を組み、猫背気味になる。
(植民地とは言っているが、その実態は自治領……本国もどれほど支配をしたいのか、わからんな)
もう一口、茶を。ついにカップはエンプティとなる。
(わかっているよ、俊二。平穏こそが最も優先されるべき事項であるということ。だが、そのためには武力が必要なんだ)
その時、扉が開いた。
「お帰りになりますか?」
遠回しに帰れと言われて、彼は立った。
「ええ、そうさせてもらいます。それでは」
◆
仮眠室のベッドで横になっていたヨウマの枕元で、携帯電話が震えた。優香から、ビデオ通話の着信だ。時刻は13時20分。
「はい、もしもし?」
出れば、不安そうな顔の優香が映った。
「あ、ヨウマ……」
消え入りそうな声だ。
「怪我とか、してない?」
「大丈夫だよ、何かあった?」
「何でもないんだけど……」
彼女の視線が下を向く。
「心配しないで、僕強いから」
「ユーグラスのヒトが大怪我したって、ニュースで見たの」
「グリンサは処置が間に合ったから、すぐ治るよ。ヘッセ使いの医者もいたみたいだし」
「ならいいんだけど」
「……仇を討たなきゃいけない」
ヨウマがポツリと言った。
「思い詰めないで」
その声は、暗闇に差し掛かった彼の心を掬い上げた。
「多分、そういうのって際限がないと思うから」
「……そうだね。わかった。復讐に拘るのはやめる」
かつてキジマに似たようなことを言ったのを思い出す。いざ自分がする側に回ると、惹かれてしまう事実に彼は自嘲した。
「深雪は元気?」
「うん、いつも通りだよ。知らないヒトが警備に当たってるのが怖い、とは言ってたけど」
「だよねえ、なるべく早く帰るよ」
「待ってる」
ヨウマは軽く伸びをした。
「あのさ」
と優香。
「帰ってきたら、二人で出かけたいな」
「いいよ、休暇はくれるだろうし」
「無事でいるって、約束して。指切りはできないけど」
「大丈夫だって」
彼は少し笑った。
「今度の事件、連続殺人なんだよね。怖くないの?」
「……グリンサも怪我したし、正直ちょっと不安はある。でも、誰かが立ち向かわなきゃ終わらないんだ。そのために僕の力が必要なら、行くよ」
「すごいな、そういう──覚悟っていうか」
「それに、親父に助けてもらった恩もあるし。何もないなら逃げてるよ」
少々大袈裟気味なことを言ったな、と彼は思う。しかし優香の表情が沈んだままなのを見て、求められていることは口にできていないと悟った。
「何かあったの?」
「中学生の頃さ、好きだった先輩がいるんだ」
ヨウマは穏やかでない心持ちになった。
「ヨウマがそのヒトに似てるってわけじゃないんだけど……私のこと庇ってくれたりしたから……私、そういうヒトのことが好きなのかな、って……ごめんね、変なこと言って」
「いや、いいよ。全然気にしてない」
とは言いつつも、優香に昔の恋の話をされると胸が詰まる気持ちだった。
「私、待ってるから。タジュンっていうヒトみたいなことにはならないで」
「あれはレアケースだよ、そんな心配しなくたって」
「私ね、ヨウマが取られるんじゃないかって怖いの」
「僕は優香のものになったわけじゃないけど」
「それはわかってるけど、でも私から離れてほしくないの」
「そっか。帰ったらもっと話そう。僕はそろそろ寝ておかなきゃ」
「おやすみ」
「おやすみ」
通話を切って、大の字に寝る。優香は誰のものでもない。理解したつもりでも、昔の男の話をされたくはなかった。
(もしかして独占欲強いタイプなのかな、僕)
そんなことを考えながら首を横に向けて、暗い画面の携帯電話を見る。
(好きっていうのがこういうことなら……怖いな)
◆
「ヨウマさん、今日も行かれるんですか?」
剣を下げた男ニェーズに問われた。
「うん、アイツの狙いは多分僕だから」
ポーチの中身を確認しながらヨウマは答えた。左胸には無線機。午後9時、パトロールの開始時間だ。
「そんなこと……どうしてわかるんです?」
「ニーサオビンカの間で、優先排除対象とかいうのになってるみたいなんだ」
「一人じゃ危険ですよ」
「いや、一人のほうが何も考えずに戦えるから」
「それならいいんですが……
「本当に一人がいいんだ、わかってほしい」
男はそれ以上何も言わず、ヨウマを見送った。
夜の街は静かだ。テロが頻発するようになってから、誰も夜に出歩くのを避けるようになった。少し前までは酒に酔ってふらつく者の姿も珍しくなかったが、今ではそんなことをすれば親兄弟から強く咎められるのだろう。
1時間ほど歩いた。ビルとビルの隙間を覗き込み、裏路地をライトで照らした。しかし目立ったものはなかった。
「平和なのはいいことだけど……」
大通りで呟いたその時、背後に背筋をざわつかせるほどの殺気を感じた。大きく踏み出し、振り向く。先程までいたところに、手刀が打ち下ろされた。
「来たね」
懐中電灯をポーチにしまい、刀を抜く。全身から何かが流れ出ていくような感覚。体が自然とイニ・ヘリス・パーディになることを選んでいた。無線機のサイドボタンを押して、接敵したことを報告する。
「敏感だな」
キーパは構えを取りながら言った。
「そういうのには自信があるんだ」
「今からでもニーサオビンカに協力してはくれないか? お前のような戦士が欲しい」
「犯罪者と仲良くするつもりはないよ」
きっぱり断って、切っ先を敵に向けた。そして、下段から一気に振り抜く。真紅の斬撃が飛んでいく。余裕を持った動きで躱されたそれはコンクリートの壁に傷を作った。
ヨウマの目に、キーパの手刀は紅い粒子を伴って見える。腰に左手を握り、右手を突き出して構えていた。
「今度はこちらから行くぞ!」
キーパが一気に距離を詰めてきた。手刀を何度か避けてから、斬り返す。彼は防御をしようとしない。あくまで回避に徹し、手刀で攻撃を受け止めるようなことはしなかった。やがて彼はヨウマの間合いから脱し、再び構えた。
「もしかして斬られるのが怖いの?」
「当たり前だ。昨日のようにはなりたくないからな」
「ま、いいけどさ」
そう言ったヨウマは、再び斬撃を飛ばした。今度は結界に阻まれた。しかし5発ほど受け止めたところでそれに罅が入り、6発目で断たれた。一瞬の無防備に付け込んで、彼は少し大振りに刀を振るった。分厚く、幅広なケサンの塊が飛んでいく。それを飛んで避けたキーパの一撃が、彼に迫る。間一髪、彼は上体を反らせて回避する。
互いに攻撃と回避を繰り返すうちに、30分が経過した。ヨウマが刀で手刀を受けようとすると、キーパは軌道を変えて別の方向から攻めてくる。それを避けて剣戟を振るえば鼻先一寸のところを過ぎていく。そういう戦いが、続いた。
やがて二人は離れて、見合う。
「右手治せるくらいの使い手がバックにいるんだ」
ヨウマが言う。
「ああ、今度妻になる女がいる……俺の魂は強くないからな、使えるケサンが少ない。そんな俺を支えてくれた女だ」
「明かしていいの、そんなこと」
「いいさ、俺かお前が死ぬまでこの戦いは終わらないのだから」
ホデンのケサン量は特別多い訳ではない。生体の召喚と切断部位の再生で限界近くまで消耗している。よって、今日は召喚による撤退はできない。それが、キーパの抱える事情だった。
しかし、そんなことはヨウマには知る由もないことだ。ただ目の前の敵を斬る。それだけだった。
空と同じ色をした刃が、キーパを壁際に追い詰める。退がりようもなくなった彼は、前に出る。左の貫手で脇腹を狙う。しかし簡単に見切られた。イニ・ヘリス・パーディとなったことによる動体視力の大幅な強化によって、ヨウマにしてみればどんな攻撃も遅いくらいだった。空を切った左腕は断たれ、鮮血が月と街灯の光の下に散った。
「もうやめとく?」
「最期の時まで足掻いてみせるさ」
「そっか。わかった。死ぬまで付き合ってあげる」