「──それで、辻斬りの犯人はわかってるの?」
警備会社の会議室で、ヨウマはグリンサと共にオパラから話を聞いていた。
「ええ、この人物です」
身長260センチほどの男ニェーズの写真を、オパラは何枚か見せる。後頭部から生えた1本の角が、途中で5本に枝分かれしている。
「キーパかな」
「でしょう」
グリンサとオパラの間にあったその会話に、ヨウマはついていけなかった。
「有名なの?」
「ニーサオビンカだよ、えーっと──」
「第6席。以前にも似たような事件を起こしています。その際には逃げられてしまいましたが……」
「じゃあ確実に捕まえるなり殺すなりしないとね」
ヨウマの言葉を受けて二人は頷く。
「どんな武器を使うの?」
「手刀です」
「ほんとに?」
「死体を調べたところ、ケサンが残っていました。ケサンを纏うことで手刀を強化しているのでしょう。ヨウマさんやグリンサさんの刀と同じ原理ですよ」
「交戦記録もあるけど、どうやら普通の剣と斬り結べるくらいには強いみたい。気をつけなきゃね」
写真を眺めるグリンサは『
「で、動きは追えてる?」
彼女に問われるも、オパラは首を横に振った。
「内通者に調べさせていますが、おそらく完全に独立して行動しています。しかし、行動範囲は割り出せていますから、隠れ家を突き止めることは不可能でないはずです」
同時爆破テロから1週間。未だテロの脅威は消えず、待機任務に当たる者も少なくない。一方でヨウマとグリンサはその任には当たらず、ニーサオビンカの動きに対応するための戦力としてある程度自由になっていた。
「パトロールでもする?」
ヨウマが提案した。
「そうですね、夜間の警邏に参加してもらいましょうか。第3支部の管轄になりますから、しばらくはそちらに待機していてください」
フロンティア7は半径12キロの円形都市だ。その中央区にある本部に加え、都市を4分割して北東から時計回りに第1支部、第2支部と基地が置かれている。その他に交番があって、これは本国と同じような役割を担っている。
「いつ出発する?」
ヨウマに言われて、オパラは顎を撫でた。
「善は急げです。今日でいいですか?」
「オッケ。じゃあ荷物取ってくる。連絡回しといて」
「ええ、わかりましたよ」
彼はすぐに会議室を出ていった。
「元気だねえ」
グリンサがそう言いながら後をついていく。一人、オパラが残される。彼は携帯電話を取り出し、あるメッセージアプリを開く。何かを入力し、すぐにしまう。
「元気だけではどうにもなりませんよ、ヨウマさん」
◆
さて、自宅に戻ったヨウマは着替えをバッグに詰め込んでいた。
「また泊まり?」
扉の前で、優香が尋ねる。
「うん、ちょっと面倒な仕事が入ってさ」
「ふーん……」
ふと振り返って彼女の顔を見れば、何やら不服そうだった。
「またニーサオビンカのヒトと会うの? タジュンとかいう」
「それとは別のニーサオビンカが暴れててね。ニュースで見たでしょ? 辻斬りだよ」
「なんだ……」
安堵と不安の混じった顔を彼女はする。荷造りに戻ったヨウマをしばらく見つめてから、そっと歩み寄った。床に膝を付き、背後から抱きつく。
「絶対帰ってきて」
「僕は死なないよ」
「ほんとに?」
「ほんとに」
優香の腕の力が強くなる。
「どうしたの、急に」
「なんか不安になっちゃって。お父さんみたいに、いきなり会えなくなるかもって」
「大丈夫だって。これでも七幹部の弟子なんだから」
ヨウマは、無意識にその暖かさを、柔らかさをタジュンと比較していた。体温はタジュンの方が高い。ニェーズは地球人より基礎代謝が高いのだ。柔らかさは、優香が勝る。筋肉量と胸の大きさの違いだろう、と彼は結論づけた。下品な話だが、優香のバストはタジュンより大きい。
(何やってんだ、僕)
鞄のジッパーを閉める。
「もう出るから、離して」
「あ、ごめん。邪魔だったよね」
「ま、そういう日もあるよ。じゃ、行ってくる。深雪によろしくね」
扉を後ろ手で閉じた時、深雪の顔を見ていないことが気になった。
(帰ってくるんだろ、いくらでも見れるさ)
己を鼓舞しながら歩く。カンカンと階段を降っている内に、ふと空を見上げる。曇天。腕時計は午後1時。湿り気のある空気が肌に引っ付いて、不快だった。
駐車場に行けば、白黒のパトロールカーが待っていた。
「挨拶はしてきた?」
助手席からグリンサが身を乗り出して訊く。
「大丈夫。行こっか」
後部座席に乗り込む。あいも変わらず、広すぎる空間。
「キーパのことなんだけど」
とグリンサ。
「かなりの手練。気をつけないと大怪我するから、油断しないようにね」
「僕がニーサオビンカ相手に油断すると思う?」
「でも自信はあるでしょ?」
「どうだろ」
彼は左手にある刀を握りしめた。
「ゴーウェントにもロコルにも勝てなかったし、正直ちょっと怖いかも」
「死んでないだけすごいよ。ゴーウェントは利き手潰してくれたから私も勝てたようなものだしさ」
黙る。イニ・ヘリス・パーディに頼っている現実。何か犠牲がなければ本領を発揮できない、という弱さ。超えたい。壁を。
「私も、色々調べたんだよ。イニ・ヘリス・パーディのこと」
「それで?」
「
「なれるかなあ」
「ヨウマならなれるよ、きっと」
「無責任だなあ」
ハハ、とグリンサは笑う。適当な冗談を言われたとは、ヨウマは思っていない。ある程度の確信がそこにあったのだと信じている。自分の魂や精神がイニ・ヘリス・パーディに最適化されているという感覚もある。それでも、自分の思いに応えてくれるとは、感じられなかった。
車は静かに都市を往く。腰に剣を下げた戦闘員がパトロールをしているのが見えた。そういう業務にヨウマは携わってこなかった。重大な事件が起きた際に投入される戦力として、本部での待機任務がほとんどだった。それでも実戦経験を積めるという現実は、嫌なものだった。
「お嬢様は元気?」
出し抜けに問われて、彼は少し戸惑った。
「ああ、うん。学校も始まったって」
「遠隔授業やるんだってねえ。ま、賢明な判断だと思うよ。警備会社のリソースだって無限じゃないし」
「運動不足になるから、って筋トレまで始めてさ」
「へえ。結構そういうところマジメなんだ」
「ね」
話しながら、彼はあの柔らかさを思い出していた。今まで意識してこなかった性欲がやってくる。
「ヨウマが筋トレ教えてあげたりしたら?」
「いいね。帰ったら言ってみるよ」
彼は外に視線を戻す。大きな犬を連れた婦人が散歩をしている。
「そういえば、ゴス・キルモラに目覚めたかも」
「嘘だあ」
「ほんとに見えたんだ、紅い粒が体から出るのが」
「そっか。……確かに、ものすごいケサンに接触すると目覚めるって聞いたことある。それかも」
「あと、刀からケサンが飛び出るんだ。制御できるようになりたい。訓練に付き合ってよ」
「いいよ、いくらでも手伝う」
会話もそこそこに、車は支部の前に着く。3階建て、灰色の壁。庇には『ユーグラス警備会社第3支部』とある。中に入ると、スーツ姿の男ニェーズが出迎えた。ヨウマの見立てでは、背丈は290センチほどある。手には黒い鞄。
「お待ちしておりました。支部長のギルセと申します」
「よろしくね」
とグリンサと彼は握手を交わした。
「そちらがヨウマさんですね。お噂はかねがね」
彼はしゃがんでヨウマとも握手をした。
「奥で話をしましょう。こちらへ」
エントランスは、概ね本部と同じだ。一般向けのカウンターと、その前に並ぶ長椅子。人影はぼちぼち、といったところだ。
二人は応接室に通される。黒革の長椅子と、同じ色の一人用の椅子が3つ、茶色のテーブルを囲んで置かれている。
「どうぞ」
と言われて二人は椅子に座った。すぐに茶が運ばれてくる。赤黒いものだ。白いカップに注がれていた。
「友人の育てた茶です」
とギルセは言う。まず一口、ヨウマは飲んだ。
「美味しいね」
「嬉しい限りです」
微笑む彼を前に、グリンサはいつになく真剣な顔をした。
「キーパによる被害、どれほどですか」
「すでに6人が死亡、8人が入院です。何度か交戦しましたが、まともなダメージは与えられていないようです」
「それはまあ、随分と」
「長期化すれば支部の戦力もすり減っていきますから、グリンサさんに来ていただいた次第です」
「どーんと任せて下さい」
彼女は胸を叩いてみせた。
「夜間パトロールは、明日から参加してください。寝起きには仮眠室をどうぞ」
「ありがとうございます。ルートはどうします?」
「できる限り網羅的に行ってほしいですが……限界があります。詳細が決まればご連絡致します」
「ああ、そうだ。訓練場をお借りしてもいいですか?」
「ご自由にお使い下さい。七幹部に使われて、箔が付くというものです」
「いえいえそんな……」
茶を飲むグリンサ。それを見ながら、ギルセは鞄からタブレット端末を取り出した。
「キーパの行動範囲です」
地図の上に、赤い円が表示されている。
「この半径1200メートルの範囲で事件は起きています」
「だいぶ広いですね」
「その上で、襲われているのは武器を携行していた者のみ。無差別殺人ではないようです」
「何か意図があるのかもしれませんね」
「連続殺人を起こした時点で、どのような思想も肯定できません」
「ええ、その通りです」
「どうかお願いします、なんとしてもキーパを排除して下さい」
ヨウマとグリンサは静かに頷いた。
「ゴホン。今日はゆっくりなさって下さい」
ギルセが立ち上がったのに合わせて、二人も席を立った。
「私も用事がありますので、それでは」
彼は応接室を後にした。
「勝算はある?」
ヨウマが問う。
「んー、ま、なんとかなるでしょ」
「そうだね」
至極楽観的ではあるが、いちいち憂鬱になっていてはこの仕事はできない。それが二人の共通認識だった。
◆
街が暗闇に閉じ込められた頃。一人のオビンカが裏路地に座り込んでいた。キーパだ。オビンカの民族衣装は赤黒く、血に似た色をしていた。
「ええ、わかりました」
骨伝導イヤホンから聞こえてくる声に、彼はそう応じた。
「ヨウマと七幹部、必ず排除してみせましょう」
手刀を撫でながら、そう口にする。口角がニイッっと上がる。
「戦士の矜持、見せてくれよ」