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対峙 タジュン

「あ! 見つけた!」


 映画館から出たヨウマを、タジュンは呼び止めた。彼女は黒いトップスに同じ色のスカートを穿いていた。


「……誰?」

「ニーサオビンカ第3席、タジュン」


 その言葉に周囲の者共は俄にざわついた。しかしヨウマは冷静で、ただ鯉口を切ったのみだ。


「優先排除対象ってやつ?」

「んー……写真で見たより綺麗な顔してる」


 返答はせず、彼女はヨウマの顔をジロジロと値踏みする。


「私好み。ね、セフレにならない?」

「何それ」

「セックスフレンド。殺すのもったいないからさ」

「そういうの、興味ないんだけど」

「えぇ~? ゴム無しオッケーでもダメ?」

「あのさあ──」

「ちょ、ちょっと!」


 深雪が珍しく声を荒らげた。


「きょ、今日は私の日なんです。変なこと言ってヨウマさんを困らせないでください!」

「誰アンタ。私が話してるんだけど?」


 タジュンが深雪に近づく。その間に、ヨウマは腕を差し込んだ。


「深雪に近づくな」

「お~怖い怖い。そういうの好きだけどね」


 彼女はクスクスと笑いながら少し離れた。臨戦態勢になったヨウマを前に、何ら動揺しない。それどころか、早く刀を抜かないか、と挑発するように微笑んでいた。


「深雪、離れて」


 ヨウマはタジュンを睨みながら言う。


「ちょっとちょっと、ここでやるつもり?」

「そっちがその気ならね」

「ふ~ん……もう一回訊くね。私のものにならない?」

「ならない」


 タジュンは口を尖らせる。


「ねえ、しゃがんでよ」

「なんで?」

「とにかく! いいことしてあげるからさ」


 刀に手をやりながらも、彼は少し腰を落とした。無防備にタジュンは近づいてきて、唇を無遠慮に重ねた。舌をねじ込む。離れようとする彼をニェーズの膂力で抑え込み、強引に押し倒す。ねっとりとした接吻は50秒ほど続いた末、タジュンの方から打ち切られた。


「どう? 上手でしょ」

「知らないよ……」


 紅潮もせず、むしろ気持ち悪ささえ抱いた彼は厳しい顔で答えた。


「これでも嫌?」


 勝ち誇った顔でタジュンは問う。


「これから一切犯罪をしないっていうならいいよ」

「──どうしよ。ありかも」

「自首しよっか」

「それはヤダ。なんとかならないの? コネでさ」

「罪を償わないでいい思いするのは許せない。何人殺したの?」

「私のものになったら教えてあげる」


 その言い分に、ヨウマは顔を顰めた。


「じゃあ、これからのニーサオビンカとの戦いに協力することで刑を軽くするってのはどう?」

「それ私が狙われたりしない?」

「何のリスクもなしにいい結果だけ得ることなんてできないよ」

「それはそうだけどさ」


 タジュンはヨウマの上から退いた。腕を組んで悩む素振りを見せる。


「あ、ヨウマさん!」


 走り寄る男ニェーズの姿。口を拭いながら立ち上がったヨウマは、精神的疲労を感じさせる瞳でそちらを見た。


「そいつ、何人か殺してるんです! 取り押さえて下さい!」


 ヨウマは黙って右手でタジュンの腕を掴む。


「イヤン、積極的ぃ」


 演技ぶった喘ぎ声のようなものを彼女は上げた。


「詳しい話は本部でしよっか」


 逃げようとしない彼女に、ヨウマは呆れた。


「深雪、一人で帰れる?」

「は、はい。多分……」


 困惑を隠せない表情の深雪を見て、ヨウマはなるたけ柔らかい表情を作った。


「大丈夫、必ず深雪のところに帰るから」


 その時である。タジュンが手を突き出すと、そこからシュン、とナイフが飛んだ。それは深雪の頬を掠めて、背後にいた一人の胸に刺さった。


「クフフ……フフ……アハハ!」


 タジュンは笑い出す。悪戯が成功した子供のように。


「──わかった」


 ヨウマは低い声で言う。


「ここで殺す」


 刀を抜き放ち、振り抜く。僅かながら紅のケサンの刃が飛び出して、後ろ飛びに避けたはずのタジュンの肌に傷をつけた。


(見えるほどのケサン!)


 タジュンは、ゴス・キルモラを持たない。それでも感じられるほどの圧のようなものを感じていた。


「アハッ、ホントにサイコーなヒト!」


 彼女は右手にハンマーを召喚する。両手で構え、その大きさを感じさせないほどの素早さで振るった。大振りな一撃は軽く回避されるも、床に罅を入れる。


 反撃に出ようとヨウマはグッと脚に力を込めるが、そこで、野次馬が一人飛び出してきた。野次馬はタジュンを抑えようと向かうが、何もできないまま頭をかち割られ、死んだ。


「野次馬は! 引っ込んでて!」


 ヨウマは叫ぶ。深雪はどうか、視線を向ける。頬にできた新たな傷を抑え、心配を目に湛えていた。思えば、深雪の眼の前で戦ったことはない。


「安心して」


 と彼は声をかける。


「僕は強いから」


 目を敵に戻す。刀を両手で握りしめ、彼は踏み込んだ。一撃はどこからともなく現れた盾に防がれる。


「どういう絡繰?」

「召喚術。好きなタイミングで好きな武器を呼び寄せられるんだ。スゴいでしょ?」


 手から離れた盾は消える。


「こんな感じに、出すのもしまうのも思いのまま。これでも勝てると思う?」

「強さっていうのは一つの能力で決まるわけじゃない。持ってる全部をぶつけ合わなきゃわからないよ」

「じゃ、遠慮はしないよ?」


 彼女の左手に、1本のナイフが現れる。投げ放った。避けるわけにもいかず、ヨウマは刀で弾いた。相手の方が考えることが少ない──それを実感した一瞬だった。


 今度はタジュンが仕掛けた。グルングルンと回転の動きで連撃を繰り出す彼女を前に、ヨウマは回避に徹するしかなかった。しかし、1歩退く度に守るべきものに近づいてしまう。


(なんで逃げないんだ、このヒトたち!)


 スマートフォンを片手に見物する、周りの人物。殺し合いがそんなに面白いか、と内心毒を吐く。


 ついに見物人に踵が触れた。そこに振り下ろされたハンマーを、ヨウマは右腕にケサンを送り込んで受け止めた。まだコーティングは剥がれていないはずだが、彼は折れやしないかと不安がった。


(落ち着くんだ)


 一度息を深く吐く。深雪を傷つけられて突沸した怒りの温度は、すでに下り坂に入っている。


(柄が長いなら、懐に飛び込めばいい。怖いけど……やるしかない)


 再び接近を試みる。相手とて、弱点を把握していないわけではない。最適な距離を作ろうと逃げていく。それをヨウマは追う。時折投げられる凶器を弾き落としながら。


 ふと、タジュンが脚を止める。罠と見たヨウマも急停止した。


「なんだ、結構冷静なんだね」


 タジュンが言う。その眼には喜びの色があった。


「焦った方から死ぬからね、こういうのは」

「うんうん、その通り。よくわかってるじゃん」

「それに免じて捕まってくれない?」

「ヤらせてくれるならいいよ」


 彼は刀で答えた。正眼に構え、しかと相手を見据える。


「こんなかわいい女の子が好きって言ってるんだよ、いいじゃん、ちょっとくらい」

「そういう無責任なことはしない」

「じゃあ一生一緒にいるって言ったらスる?」

「それは……」


 それはそれとしてお前のことは受け入れられない──と言いたいところだが、殺人者という点において自身と相手との間に何ら違いのないことに気づいた彼は、言い淀んだ。


「いくつ?」


 嫌な気持ちを振り切りたくて、ヨウマは問うた。


「36だよ、地球人換算だと何歳になるのかな」

「18か。それで何人の男がいるの?」

「今のところキープしてるのは15人。でもヨウマはキープじゃなくて本命にしたいくらい」

「顔で?」

「顔で。私、面食いだからさ」


 話しながらも、ヨウマは隙を探す。しかし、見えてこない。その手にあるハンマーはいかなる攻撃をも拒絶するように立ち、むしろ常に攻撃を仕掛けるタイミングを伺っているようだった。


「そうだ、連絡先交換しとかない?」

「残念だけど、流石にそれは──」


 断りかけたところで、タジュンは見物人の一人を引き倒した。指輪の嵌められた左手をその頭に翳し、ヨウマの方を伺う。


「……わかった。するよ、だからそのヒトは解放して」


 彼はポケットからスマートフォンを取り出した。メッセージアプリを開き、QRコードを表示。それをタジュンが読み取って、交換は完了した。


『呼んだら来てね』


 素早く1通のメッセージが送られてくる。それを読んだヨウマが相手の顔を見ると、笑っていた。


 彼女は人質を手放し、群衆の中に返した。


「じゃ、私はこれで」


 とハンマーを消して立ち去ろうとするタジュンを追いかけるヨウマ──だが、ヒトビトの中から一人のニェーズが飛び出した。彼はタジュンの首根っこを掴み、持ち上げた。作務衣に仮面。


「ナピ!」


 ヨウマはその名を呼んだ。


「すみません、遅くなってしまいました」


 ヨウマには、その声が勝ち誇っているように聞こえた。


「これでニーサオビンカの逮捕は二人目。いいペースです」


 ナピは懐から手錠を取り出して、掛ける。


「や~ん、おじさん臭いよ~」


 なんて気の抜けた声を彼女は発した。それを床に置いたナピは、首を掻き斬られて死んだ。


 ヨウマも、その瞬間には状況を察し得なかった。だが、少しずつわかってくる。タジュンの影から彼女と瓜二つの、しかし服装の色は正反対の少女が現れ、その手に握ったナイフでナピを斬ったのだ。


「ありがとね、カラカ」


 タジュンは手錠を差し出し、その鎖を断ち切らせた。


「どういう……」


 困惑するヨウマの表情を見て、タジュンは笑い出した。


「アハハ! 私達は二人で一人、タジュンとカラカは常に繋がってるの。どう、驚いた?」

「この……!」


 彼は己の中で一つの箍が外れたのを感じる。全身の毛が逆立つような感覚。体から漏れる粒子の流れ。心臓が早鐘を打つ。眼がむず痒い。何か、瞳孔とは別の穴が開いたような感だ。


 敵を睨めつける。紅い粒子を発していた。


(なんだこれ)


 妙に頭が冴えているように思える。その問の答えも、すぐに出た。


(僕もケサンが見えるようになったのかな)


 少し、体を前に出す。


(ま、なんでもいいか)


 床を蹴った。カラカが前に出てくる。2、3度打ち合ってから、ナイフを弾き飛ばした。


「くっ!」


 声を漏らす彼女を左腕で床に押し付け、その喉元に刀を突きつける。


「武器と指輪を捨てて」


 警告を無視して、タジュンが近づいてくる。


「それ以上来たら殺すよ」


 赤く輝く瞳を上下させ、警戒を続ける。しかし、彼女の影とカラカの肉体が重なったその須臾ほどの時間に、カラカは影に吸い込まれて消えた。


「じゃあね、ヨウマ」


 ハンマーを消し、後退るタジュン。それを追いかけたヨウマの刀は、空を斬った。漏れ出たケサンが刃となって飛んでいく。幸運にも群衆の服を破いた程度で済んだ。


 タジュンは消えた。その原理を彼は理解できない。ただ一つ明らかなのは、何にも報いることができなかったこと。黒くなった眼は力なく天井を見る。数十秒そうしてから刀を納め、ナピの遺体を見つめた。


 その横にそっと深雪がやってきて、手を握った。


「……か、帰りましょう」

「その前に報告に行かなきゃ。着いてきてくれる?」

「は、はい、どこまでも」


 人混みを掻き分け、数人のニェーズがやってくる。深く遺体に一礼してから、集団の一人がそれを担ぎ上げた。動かない体。衆人の目に晒されたそれが何の反応も示さないことに、ヨウマは冷たい気持ちになる。


「ナピのこと、よろしくね」


 消え入りそうな声でそう言ってから、彼は踵を返した。

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