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深雪の休日

 優香のことは冬治に任せ、ヨウマと深雪は結界の外のショッピングモールを訪れていた。そこに罪悪感はあれど、彼は深雪の願いを叶えるためには多少の無理をしてやろうと思っていた。


 深雪は、ヨウマの手を一瞬たりとも離さない。まるで小さな子供のように。


(15歳、ってこうなのかな)


 交友関係に地球人の少ないヨウマには、現実がわからない。しかし、優香に抱く感情を考える中で、深雪からの感情が単に使用人と雇い主という関係性を超えていることを理解し始めていた。


(特別なんだ、僕)


 だから帰ろうと思う。来るべき親友との戦い。それを乗り越えなければ、この一人の少女を悲しませてしまう。だから、負けるわけにはいかないのだ。


「カ、カフェ、いいですか?」

「いいよ、行こう」


 モールの1階には、地球から出店してきたカフェがある。ザ・ダブルというチェーン店だ。中は落ち着いた照明に照らされ、茶色を基調とした空間が作られていた。


「何にする?」


 店員を前に、深雪はヨウマの後ろで隠れていた。


「い、苺のフラッペで……」

「じゃ僕もそれにしよ。ストロベリーフラッペ、ミディアムで二つ」

「はい、かしこまりました」


 ヨウマは何も言わず財布を取り出し、2杯分の代金を払った。


「い、いいんですか」

「今日は深雪のための日だからさ。出させて」


 無表情であっても、彼女はそこに優しさを見出した。


「はい、どうぞ」


 数分もしないで提供されたそれを受け取り、二人はテーブルに向かった。平日ということもあって、席は選びしろがあった。窓際にある、二人がけの机にした。向かい合った二人。ヨウマは、彼女の頬にある傷のことを思った。


「ど、どうしました?」

「なんでもないよ」


 一口、吸う。冷たさが体に染みる。


 深雪の傷が父親につけられたということを、ヨウマは知っていた。他でもない、深雪本人の口から聞いたのだ。父に迫られ、必死で拒絶していた彼女に、父はナイフを振るった。その時にできたものなのだという。


 痛々しい痕跡。過去は変えようがない。それを理解した上で、これ以上の傷を増やさないよう生きていかなければならない。彼は決意を新たにした。この手の届く、家族として。


 ズズッ、という空気を吸う音が混じる。思案をしているうちに飲み切っていたらしいことを彼は悟った。


「少し、嫌かもしれないことを言うんだけどさ」


 ヨウマは視線を外しながら言う。しかし、それではよくないと感じて、目を合わせた。


「お父さん──鏡橋咬が謝罪をしたいって言ってるんだけど、行く?」

「いや、です」

「そっか。ならいいよ。会いたくもないヒトと会うべきじゃないからね」


 空になった透明なカップを持って、二人はほぼ同時に立ち上がる。


「次はどこ行く?」

「ふ、服を見に行きたいです」

「いいね、そうしよう」


 カップをゴミ箱に放り込み、カフェを去る。DEMOという服屋が、3階にある。吹き抜けから下を見下ろしながら、ヨウマはそこに入っていった。


「い、いいんですかこんなお店」


 DEMOは地球は地球でも日本以外からの輸入品を売る店で、少し高価な商品を扱っている。それでもヨウマは眉一つ動かさずに


「好きなの選んで」


 と言うのだ。萎縮しながら深雪は服を見て回る。時折手に取っては、頭を横に振って戻していた。


「どうしたの?」

「い、いえ、値段が……」

「僕が出すから気にしないで」

「ほんとに、いいんですか?」

「仕事が危ない分稼いでるからさ。深雪だって知ってるでしょ」

「そそそそれはそう、なんですが」


 そういうやり取りをしながら店の中を歩いた。30分ほどそうしてから、彼女は一つの服を取る。濃紺のセーラーワンピースだ。下手な笑顔を浮かべて、試着室に向かう。カーテンが開けられて、ヨウマは自信なさげだがそれでも何かを主張しようとする深雪を見た。


「こ、これ、かわいくないですか?」

「いいと思う。それにする?」


 彼女は自分の格好を鏡でしばらく見てから、小さく頷いた。


「それだけでいい?」

「はい、い、1着だけのほうが宝物って感じがして、いいです」


 着替え直した彼女と連れ立って、セルフレジに行った。プラスチックの箱の中に入れれば商品を自動で読み取って、値段を計算するらしい。随分とハイテクなんだな、とヨウマは思いながら、カードで支払った。


「い、一生着ます」


 紙袋を抱き締めながら、彼女は言う。


「そこまでしなくていいよ」


 柔らかい声音で言いながら、ヨウマは頭を撫でた。と並行して、腕時計を見る。12時を指していた。


「ご飯食べよっか。何にする?」


 そう言った彼の携帯が震える。それを取ろうとした腕を、深雪は掴んだ。少し驚いて彼女の顔を見れば、震える瞳で何かを訴えかけていた。


「……いいよ、そうする。今日は深雪の日だ」


 歩き出した彼の手に深雪の手が重なった。


「これ好きだよね」


 表情の動かないヨウマ。しかし、握り返された手の暖かさに深雪は顔を綻ばせた。確かな居場所を再確認した。


 1階に降りて、レストラン街。色とりどりの店が並んでいる。その中の一つを、ヨウマは指差す。


「オムライス屋さんだって」

「い、いいですね、行きましょう」


 店内はキュートな雰囲気で、パステルピンクの調度品が目立つ。ヨウマは左腰の刀が場違いな気がしつつも、手近な席に着いた。


「ご注文お決まりになりましたら、ベルでお呼び下さい」


 そう言って女ニェーズの店員は水を置く。ちらり、机に立てかけた刀が見られたのを彼は感じた。


「お客様、その武器は──」

「ユーグラスだよ。安心して」


 彼は財布から社員証を取り出して、見せた。


「最近物騒ですからねえ」

「テレビもテロのことばっかりで、嫌になるよ」

「ええ、本当に……」


 奥から


「キヨミちゃーん!」


 と呼ぶおばさん声がして、彼女は立ち去った。


「さ、何にしよっか」


 とヨウマはメニューを二人の間に開く。ポップな絵柄のイラストがふんだんに使われていた。


「わ、かわいい……」


 深雪は声を漏らす。


「ね」


 短い返事と共に、彼はページをはぐっていった。


「あ、わた、私、普通のオムライスがいいです」

「オッケー。じゃ僕はオムハヤシにしようかな」


 ベルを鳴らす。ピポッ、という音がした。


 しばらくして運ばれてきた二つの料理。それを前にして、ヨウマは親友のことを想った。きっと苦しんでいるのだろう。肉体を奪われた程度で絶望するメンタルの弱さをしていないと信じ、戦い続けるしかない。


(捜査部、何か掴んでくれたかな)


 深雪は一口一口を深く楽しんでいた。


(グリンサのお見舞いも行かなきゃだし、忙しいな)


 グリンサは、居住区の外の病院に運ばれた。中にある病院はイータイの起こした事件で立ち入れなくなってるからだ。彼女は自力でヘッセを使い応急処置を行ったが、それでも数日の入院が必要だった。


「お、おいしいですね」

「そうだね」

「そ、その、一口、もらえませんか?」

「いいよ」


 と彼は器を寄せるが、深雪は首を横に振って口を開けた。


「何?」

「あーん、なんて……」


 ヨウマの口角が僅かだが上がった。彼は一口分を掬って、彼女の口に運んだ。


「今日はなんていうか──」

「め、迷惑でしたか?」


 言い切る前に怯え気味になる深雪。


「そんなことないよ」

「なな、ならいいんですけど……」


 うへ、うへへと下手な笑いを彼女は浮かべる。家族に裏切られた彼女にとって、自分がどれだけ価値のある存在なのか、ヨウマにはわからない。しかしどんな感情の深淵を見たとて、真摯な態度で接し続ければその心が融解すると彼は信じていた。そして現に、それは起こっていると彼は感じた。


 思考は置いておいて、彼の食事は淡々と進められていた。よく言えば万人受けする、悪く言えば個性のない味だった。ニュートラル。アヴェレージ。そんな言葉がよく似合う。


 15分後。ヨウマはオムハヤシを平らげ、ちょぼちょぼと食べる深雪を眺めていた。


「ど、どうしました?」

「なんでもないよ。気にしないで」


 優香と深雪の関係性を、ヨウマはよく知らない。ただ優香が深雪を『ちゃん』をつけて呼び、それが受け入れられている現実から、ある程度は推測できていた。


「優香とはうまくやれてる?」

「え、ええ。よく褒めてくれます」

「ならよかった」


 もう5分ほどして、深雪も完食した。テッシュで口を拭き、静かに合掌する。


「満足した?」

「ちょ、ちょっと多いくらいでした。Sサイズにしたほうがよかったかもしれません」

「そっかそっか。じゃ行こう」


 再び手を繋ぐ。ヨウマの左手は、彼女の手の小ささを伝える。無意識にそれを優香と比較していた。優香のほうが若干ながら大きい気がしていた。


「ゆ、ゆゆ優香さん、どう思ってますか?」


 俯き気味に深雪が尋ねる。


「どう……っていうと難しいけど、グリンサに話したら好きじゃん、って」

「……いなくなったり、しませんか?」

「そんなことないよ。深雪はずっと家族だ」


 彼女は何も返さない。それが不安なのか安堵なのか、ヨウマには推し量りようもなかった。しかし嘘ではないことはわかってくれるだろうと思っていた。


「まだ見たいものある?」

「──ええ、映画なんて、どうですか?」

「いいよ、行こっか」


 とは言ったものの、ヨウマは流行りを知らない。映画館に来ても、並べられたポスターのどれも縁遠く感じられる。


「あ、これです。少し気になってたのが」


 深雪が1枚のポスターを指出す。『ザ・ラスト・ラヴ』と題されていた。


「どういうやつ?」

「よ、余命が短い女の子の恋の話です」

「こういうの好きなんだ」

「スス、スマホで映画見る時、恋愛ものばっかり見ちゃって……」

「ふーん。じゃ、これにしよっか」


 ヨウマは何の遠慮もなく深雪を引っ張って中に入った。暗めの照明。券売機に並ぶ。5組ほどの後、二人は購入に至った。


「どこ座る?」

「や、やっぱり真ん中あたりがいいんじゃないですか」

「そうだね」


 真ん中から少し右にずれた席を二人は買った。やはり、すれ違う者の視線をヨウマは感じていた。


 飲み物はコーラとオレンジジュース。ペアセットのポップコーンもある。さあ完璧だ、という頃合いでちょうどよく入場が始まった。思い出を作りたいという深雪の思いを、彼は背負った。





「ふ~んはふふふのふ~ん」


 歌いながら、タジュンは人で賑わう道を往く。通行人はその角に驚いて道を空ける。身長150センチ。ニェーズにしては異常すぎる小柄は、しかしすれ違う者共を見下していた。


「ねえ、ヨウマ知らない?」


 適当な男に声をかける。相手を射抜く、パッチリとした大きな黒い眼。美人、というより愛らしい、という形容の方が適切な容姿をしていた。


「ヨ、ヨウマ? 知らないなあ、そんな人……」

「そっか」


 冷たく言い捨てた彼女の右手に、身の丈ほどもあるウォーハンマーが呼び出される。


「ほんとに知らない? 隠してたら潰すよ?」

「し、知らない! 本当だ!」

「ふ~ん……」


 その瞬間男に対するあらゆる興味を喪失した彼女は、ハンマーを振り抜いた。胴体に一撃を食らった彼は横の壁にぶつかり、腹を潰された。悲鳴が上がる。そんなことは気にも掛けず、歩き出す。両手の紅い指輪を見て、頷く。


「れ~はなにかのれ~」


 影が揺らめく。


「うん、そうだね」


 何を聞いているのか、彼女は言う。


「ヨウマはここを通ったはずだから、きっちり探さないと。楽しみだなあ」


 クフフ、と笑ってみせる。


「待っててね、ヨウマ」

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