「つまらんなあ」
スープの器を置いたキジマが言う。徐ろに、サイドテーブルのナックルダスターを指に嵌め、ベッドから降りる。
「どうされました?」
怯え気味に医者が問う。返答は、拳だった。
赤い棘が、頭蓋に食い込む。そこからケサンが流し込まれ、医者の頭は破裂した。ナースの甲高い悲鳴が響く。逃げ出そうとした彼女の襟を掴み、引き倒す。その上に乗り、顔面を殴りつける。医者と同じように、頭を吹き飛ばした。
「いい術を持っているな、キジマ。ケサンコントロールを緻密に行えば消耗も最低限で済む。惜しい男だ」
キジマは立ち上がり、目を閉じる。
「これで終わりだな」
ハッ、とキジマは目が覚めるような感覚を覚えた。眼の前に転がる、頭のない死体。
「なん……だ……?」
『お前がやったのさ』
どこからか声がする。辺りを見渡して見れば、ベッドの上に自分がいた。
「どういう……ことだ?」
『俺はお前の中に間借りしてるもう一つの魂。イータイさ』
「じゃあなんで俺の姿を──」
『面白そうだからだ。肉体を乗っ取る前に一度驚かせておきたいからな』
「乗っ取る?」
キジマの姿をしたイータイは、答えることなく、指を顎に当てて思案するふうな仕草をした。
『中々強固な魂をしているな。そういうものほど屈服させたくなる』
「ダチが俺のこと待ってんだ。とっとと出ていってくれ」
『それはできない相談だ。肉体がなくなったら俺はどう生きればいい?』
「死ね」
『こいつは物騒なことだな』
自分との会話をしていると背後から
「動くな!」
という声がした。慌てて振り返れば、剣を持ったニェーズが二人、やってきていた。
「違うんだ」
弁明をしようとするが、相手の目は殺気を見せている。じりじりと迫ってくる。得物を捨てようと思う。しかし、それに反して体が動いてしまった。
走り出したイータイは、飛び回し蹴りを一人に食らわす。もう一人の繰り出した斬撃をすり抜け、腹を殴る。後はケサンを使って、肉体を破裂させた。
『やめろ』
ガラスの壁があるように、彼自身の魂と肉体は切り離されている。内側から、他人の行動を見ている感覚。今の彼はそれだった。
『やめてくれ!』
残った剣士も、腹に破壊術を食らって殺された。同じユーグラスの仲間を、手にかけてしまった。ヨウマに合わせる顔がない。裏切り者だ。視界が黒く塗り潰されていく。沈んでいく、意識。
「む、小僧は完全に引っ込んだか。これからは好きにさせてもらうぞ」
イータイは病室を後にする。
「さあて、何人殺そうか……」
看護師とすれ違った。彼は血に濡れた手を見てヒッ、と短い悲鳴を挙げた。
「ああ、すまんな。すぐ楽にしてやる」
イータイはそう言うと、彼の胸を殴った。身体強化の乗った一撃は骨を砕き、心臓に達した。崩れ落ちた彼の頭を掴み、頚椎を捻りきった。
「いい肉体だ……強化術とも相性がいい。これは育つぞ、どこまでも……」
◆
「病院で大量殺人?」
装甲車の中でヨウマがナピに問うた。
「ええ、しかし、その犯人が問題なのです」
「なんで?」
「……キジマさん、なんです」
ヨウマは肺が押し潰されたように息が苦しくなった。
「嘘だ」
「オパラさんからの直接の連絡です。間違いはないかと」
「でも、キジマにそんなことする理由がないじゃないか、なんでだよ、ねえ!」
ヨウマが立ち上がってナピを揺らす。
「落ち着いてください。キジマさん自身の意志でない可能性があるのです」
「……どういうこと」
椅子に押し返されながら、ヨウマは尋ねる。
「キジマさんの中に、もう一つの魂を観測したと病院から情報が回ってきました。つまり──」
「その別の魂が体を乗っ取ってる」
「そうです」
「じゃあその魂を取っちゃえばいいんだ」
「しかし、どうすればそれができるか、というのが困ったところです」
「今から向かうの?」
「あなた次第です。動けますか?」
「キジマのためなら、いくらでも」
「その友情を信じます。運転手さん、ニーゲル病院に向かってください」
車はUターンして、居住区に走る。
そこから現場までは、およそ20分ほどだった。急ブレーキした車の後部ハッチから、二人が降りる。病院から救急車が去っていく奇妙な光景を無視して、二人は建物に踏み込んだ。エントランスは血の海だ。何人もの戦士が伏している。そのどれも、肉体が原型を留めていなかった。
カウンターの上に胡座をかいて、イータイが座っていた。
「来たか、ヨウマ」
彼はカウンターから降りる。
「俺だよ俺、イータイだ」
「肉体、返しなよ」
怒気を隠さぬ声音で言いながら、ヨウマは切っ先を向けた。
「おいおい、大事な親友の体だぞ、傷つけるわけにはいかないだろ?」
「なんで知ってるの」
「記憶を少々読んだのさ。いっつもお前のこと考えてて、いやあ素晴らしい友情だ」
イータイは皮肉めいた拍手をした。
「で、どうするんだ? まさか俺を殺すつもりかい?」
ヨウマは何も言わないまま、刀を構える。
「まあ今日は疲れたんでな、帰らせてもらう」
すれ違いざま、イータイはヨウマの肩を叩いた。
「お前には無理だ」
歯軋りする彼の横を通り過ぎ、
「タジュン!」
と名前を呼ぶ。またも、イータイは消えた。
「くそっ……くそう!」
ヨウマは涙を流す。腕が震える。顔が下を向く。親友の顔をした敵を前に、1歩も動けなかった。非情になりたいわけではない。ただ、救う手立てがないことが、悔しくてたまらなかった。
◆
イータイが議場に帰還した。今日はタジュンに加えて、牛のような角を持つ女オビンカ、ヘイクルも円卓に着いていた。
「随分と若い『器』を選んだな」
段の上からガスコが言う。
「しかし、その分将来性がある。これから次第でいくらでも化けるぞ」
「でもさあ」
ヘイクルが言った。
「戦力としてはどうなの? 弱くなってない?」
「こいつは一撃必殺の術を持っている。うまくやれば七幹部も殺せるさ」
「ならいいけど、武器はないの?」
「ああ、こいつは拳で戦うらしい。それならそれに合わせてやろうと思ってな」
「好きだねえ」
フッ、と笑いながらイータイは適当な椅子に座った。
「タジュン、次はお前が行っていいぞ」
「行っていい、って偉そうに。なんで?」
「暫くは身体強化に体を慣れさせる必要があるからな。それに、今のヨウマじゃ楽しめん」
「ま、そういうことなら行こうかな。ガスコもそれでいい?」
「好きにしろ」
「じゃ、おめかししてきまーす」
タジュンは立ち上がる。影が僅かに揺らめく。そして、突然姿を消した。
◆
ヨウマは、傘も差さずに歩いていた。外階段を上がって、自宅の扉を開く。
「おかえり──って、どうしたの?」
出迎えの優香は、怪訝そうな顔を見せた。
「キジマが……敵になったんだ」
「キジマさんが!?」
「体を乗っ取られて……何も、できなくて!」
彼は膝を突いた。まごつきながらも、優香が寄ってくる。少し顔を上げた彼の目には、泣きそうな表情が映った。
「泣いてる?」
「さあ……わからない」
小さな声で応えた彼を、優香は抱き締めた。
「濡れるよ」
「大丈夫」
そう言った彼女の腕は力を増した。少し、心が暖かくなるのをヨウマは感じた。
「ハグって、30秒でストレスを解消できるんだって」
「……それで?」
「少しでも楽になればいいな、って。」
「ありがと」
ぶっきらぼうな返答に、彼女は微笑んだ。それから沈黙が続いた。体温を分け合う快感に、二人は浸っていた。時間は蕩けるように甘く、一組の男女を包み込んだ。内奥で渦巻く後悔と自罰が、その硬度を僅かだが失った。
「ご、ご飯できてますけどぉ……」
リビングから気まずそうに深雪が言った。
「先にシャワー浴びるよ。ありがとね」
ヨウマは立ち上がる。右手の引き戸を開けて、脱衣所へ。服を脱いで、籠に放り込む。
(イータイだけを殺す方法があるはずなんだ)
シャワーは数十秒間冷水を出してから、湯に切り替わる。頭からそれを浴びて、雨水と汗と涙を流した。
(捜査部に依頼しよう。そうすれば、いつか必ずわかるはずだ)
シャンプーは、匂いのないものが好きだった。大した値段のものではないが、この白く濁った液体が髪の状態を整えてくれることがありがたい。
(後は、僕がやる。やらなきゃいけないんだ)
ボディーソープも変わらない。半透明のものだ。無香料。
着替えて、リビングへ。夕食はドライカレーだった。いただきますが響いた。
「ねえ、ヨウマ」
手を付ける前に、優香が言う。
「その、私じゃ何もできないけど……応援、してるから」
「うん、頑張るよ」
ハイコンテクストな会話に置いていかれて、深雪は二人の顔を交互に見た。そして、ヨウマの目が赤いことに気づいた。
「ヨ、ヨウマさん、泣いたんですか?」
「ちょっとね。でも深雪は心配しなくていいよ。必ず帰ってくるからさ」
「そそ、それはいいんですが……ヨウマさんが泣くなんて、初めて見たので」
「キジマがさ、大変なんだ。でも、どうしようもなかった。そしたら……涙が出てきた」
「わ、わ私も応援します。ヨヨヨヨウマさんの大切な人は、私にとっても、大切ですから」
ヨウマは何度か頷いてから食事を始めた。抱き締めた温もりはまだ心を暖めている。それが希望を見せた。胸の奥に炎が灯る。キジマを取り戻すその時まで、決して死んではならぬと。
カレーはピリリと辛い。然るに食べる手は止まらない。
(凄いよ、深雪は)
深雪がいない生活を、彼は想像できない。彼女はよくヨウマのことを心配するが、むしろ逆だろうと彼は思う。帰る時間も不安定で、場合によっては泊まり込みになっても文句一つ言わない彼女を、労ってやるべきなのだ。
「深雪、あのさ」
真摯に目を見て、彼は話し出す。
「いつもお世話になってるから、なんていうか、お返しがしたいんだ。何か欲しいものない?」
「え! いや、その、そそそんなこと、私にはもったいないです。全然、気にしないでもらって……」
「厚意には甘えたほうがいいよ、深雪ちゃん」
優香に言われて、深雪は口をグニャグニャと動かした。
「じゃ、じゃあ、一日を下さい。それが、いいです」
「わかった。ちょうど明日非番だから、出かけよっか」
ヨウマは小指を差し出す。それに応じた彼女は
「うへへ……」
と笑った。
それを見て湧いた気持ちの正体を、彼は知らない。ただ一つ言えるのは、優香を前にした時のそれとは違うものだということ。反芻して考えながら、彼は食事を進めた。