「103ってことは──」
「ええ、人質事件です」
ヨウマの声を遮って、ナピが言う。装甲車の中で、防刃ベストを身に着けている最中だった。二人に加えて、グリンサも当然の顔をして座っていた。
「キグラシ広場で待つ、とのことです」
「だいぶ広いところだね。人質の詳細は?」
グリンサが問う。
「女子中学生5人が拘束されているようです」
「そりゃ大変だ」
「以前より人数も少ないですし、苦戦が予想されます。気を引き締めましょう」
装甲車と救急車の列は、広場の前に停まった。半円状の広場の奥には少し高いステージがあって、その上に人質が縄で纏めてあった。そのうちの一人の前に、イータイが立っていた。人質の彼女らは、顔を伏せている。
「何してるの?」
ヨウマが問いかけると、彼は首を向けないまま答える。
「フェラチオさせてるんだよ」
「あっそ。早く降りてきたら?」
「まあ待てよ、もうすぐ出るんだ……おっ、出る出る……」
彼の体が震える。
「あーよかった。体の具合は地球人のほうがいいな。そうは思わないか?」
「知らないよ、僕童貞だし」
「セックスはいいぞお、生きる気力が湧いてくる」
「で、僕らを呼び出してどうするつもり?」
「まずはベストを脱いでもらおうか。さもなくばガキ共の首が飛ぶぞ」
反駁しようとするグリンサをナピが制して、目配せをした。大人しく防刃ベストを脱ぎ、捨てる。
「それでいい。防具など邪魔でしかないからな、血が出てこその戦いだ」
彼の抜いた剣を、グリンサはゴス・キルモラで見た。赤い靄が纏わりついている。
「あの剣、ケサンで覆われてる。前みたいにヘッセで折るのは難しいかも」
「あれはまぐれのようなものです。期待はしていませんよ」
皆得物を握る。
「目的は?」
グリンサが尋ねる。
「闘争だよ。魂を震わせる戦いがしたい。それだけだ」
「……どこまで信じていいかわからないんだよね、こっちとしては」
「それはお前らの勝手だ。何、ゴーウェントのように差別はせんよ、対等に戦うつもりだ」
彼はステージから飛び降りて、ゆっくりと3人に歩み寄った。ただ歩いているだけだというのに、彼は覇気を纏って見えた。薄ら笑いを浮かべ、ごく自然体だ。
グリンサが走り出す。ヨウマは槍で援護しようかと思うが、敵の向こうに人質がいた。
また、前と同じ光景が広がった。柔軟かつ勇敢な猛攻を、イータイが捌く。慎重に背後に回ったナピが加勢する。だが、やはりと言うべきか、駄目だった。イータイにとって、2方向からの斬撃など微風に等しいのかもしれない、なんてことをヨウマは思った。
イータイがグリンサを蹴り飛ばす。その姿勢が不安定になった一瞬を見逃さず、ヨウマは接近した。下から上へ。刀を振り抜く。左手を、斬り落とした。
「いい」
イータイはそう言ってニヤリと笑ってみせた。風の術でナピを吹き飛ばし、天を仰ぐ。
「とてもいい……ヨウマ、なぜオビンカとして産まれてくれなかった?」
「僕に聞かれてもね」
会話を斬り捨てるように、ヨウマは刀を振り抜いた。笑顔を崩さないままイータイはそれを受け流す。反撃が、ヨウマの胸の皮を引っ掻いた。
「ヨウマさん!」
敵の背から、剣を振り上げたナピがはみ出す。ヨウマは1歩退いて、その斬撃に当たらないようにした。打ち下ろされた白銀の刃は、同じ色の剣とぶつかって、止まった。
ナピの剣は、剛の剣捌きの前に弾き飛ばされた。徒手となった彼はあと1寸というところで斬撃を躱し、なんとか距離を置いた。その背中にヨウマは斬りかかる。しかし、イータイはふわりと浮き上がって避けた。そのまま足元に結界を生み出し、上空から炎の球を降らす。
「ヨウマ!」
グリンサが声を発しながら、炎の雨を掻い潜って走ってくる。
「オッケー!」
ヨウマは背中を見せる。それを踏み台にして、彼女は敵に迫った。しかし太刀が届こうというタイミングでイータイは落下に入っていた。その着地を、ヨウマは襲う。数合の切り結びの果、彼は風に飛ばされた。そうして意識が剣から離れたところで、武器を拾ったナピが接近する。
戦いは、イータイを受け身にさせる以上の成果が挙がらないまま続く。ヨウマは時折幻影を見せて揺さぶりをかけるが、隙を作るには至らない。
一手が欲しい。状況を動かす、一手が。しかしそんなものはない。戦場は戦う者に都合よくできてはいないのだ。ただ一つ言えるのは、厳然たる力の順序が全てを決定づけるということ。
消耗していく体力。ヨウマはそれを強く感じる。我慢比べなら、地球人の方が不利なのだ。剣先が頬に切り傷を作る。振り下ろされた剣を右腕で食い止める。彼の強い意志に呼応して義手はかなりのパワーを見せ、ニェーズの膂力を前に一切の後退をしなかった。
拮抗に微笑むイータイを、グリンサが蹴飛ばす。
「ヨウマ、無理しないで!」
「無理なんかしてない」
少しムキになって、彼は言い返した。
彼女はイータイに接近する。二振りの刃がぶつかり合うが、今回は彼女が優勢に見えた。左手を失い、イータイは思うように剣を使えないのだ。一歩一歩、彼は後退っていく。人質が遠ざかる。その間に、ナピはその方に向かい、縄を斬った。
それを確認したヨウマは、重くなってきた体を動かす。死角に回り込もうとする。しかし彼の動きは簡単に把握されてしまった。グリンサから離れ、ヨウマの腹に蹴りを入れる。
そうやって出来た、防御の隙間。一瞬だが無防備に背を見せたイータイに、グリンサは大ぶりの一撃を加えんとする。しかしそれがミステイクだった。彼は剣を逆手に持ち替え、振り向かないまま突き出した。その先端がグリンサの腹に刺さり、背中から飛び出た。そのまま彼は剣を横に振り、鮮血を散らした。
未消化物を溢しながら、彼女はうつ伏せに倒れ込む。その頭を彼は踏みつけ、もう一度刺した。心臓は避ける。
「この……!」
ヨウマは無意識的に音を出していた。
「安心しろ、即死はしないようにした。すぐ治療すれば間に合うさ……仮面男、連れて行っていいぞ。俺はこれからこのガキと戯れるからな」
イータイはゴス・キルモラでヨウマを見る。白い粉が彼の体から舞い上がっていた。
(そうだ、もっと怒れ、魂を解放しろ、イニ・ヘリス・パーディを俺に見せてみろ!)
口角が自然に上がっていく。
「この女をここで犯すのも悪くないな。お前もやるか?」
「黙れ!」
黒い切っ先を相手に向けるヨウマ。それを一笑に付し、イータイはグリンサから足を離した。そのままヨウマに近づく。グリンサを担ぎ上げたナピのことは完全に無視した。
「さあ、行くぞ!」
イータイは地面を蹴った。右から左から。飛んでくる斬撃。しかしヨウマには、ゴーウェントと対峙した時のようにゆっくりと見える。対処は容易だった。下からの一撃を弾いた彼は、反撃に出る。鋭く研ぎ澄まされた太刀筋で、腹を浅く、横一文字に斬った。その勢いのまま、刀を振り上げる。イータイの左腕が、飛んだ。
「いいぞ! 最高だ!」
続く攻撃を、彼はバックステップで避ける。だが、確実に回避したはずだというのに、胸に浅く傷ができた。
(なんだ? 何をした?)
考える暇もなく、剣戟が彼を襲う。繰り出された攻撃を、再度回避しながらゴス・キルモラを使った。それで見えたことに、彼は興奮した。
(刀からケサンの刃を生み出している! 放出するケサンを抑えてはいるが、漏れ出たものが形を変えているのか! いい、とてもいい!)
そしてついに、その心臓に刃が達する。血が突き立てられた刀を伝って、地面に落ちる。
「ハハ……ハハハ!」
仰向けに倒れながらイータイは笑う。
「いいぞヨウマ。それでこそ戦士だ」
無言のまま、ヨウマは馬乗りになる。イータイの髪を引っ掴み、ぐいと首を起こす。
「首を刎ねるつもりか? 好きにしろ」
彼は刀を首に押し当てる。
「それではな。また会おう」
「これで永遠におさらばだよ」
それだけ言って、彼はイータイの頭と胴を切り離した。怒りが顔を引っ込めていくのを感じる。掌と足の裏からむずむずとした感触がやってくる。正体を突き止める気もなく、彼は立ち上がった。雨が降り出した。
◆
キジマは目を覚ました。頭が重い。上体を起こそうにも、体が応えない。首を撚るのが精一杯だ。外では雨が何かを覆い隠すように降っている。
「嫌な天気だぜ、全く……」
首を逆に向け、サイドテーブルの上を見る。ナックルダスターが置いてある。花が活けてある。その横には点滴台があって、彼の腕にチューブが伸びていた。視線をサイドテーブルに戻す。帽子がある。
「バレちまったか……ま、いつかはこうなるって思ってたさ……」
ヨウマも知っただろう。ユーグラスをクビになることくらいは覚悟した。しかし、ヨウマと別れることになるのは、嫌だった。
「腹、減ったな」
痛いくらいだ。なんとか自由な方の腕を伸ばして、ナースコールをする。あっという間に看護婦が駆けつけた。
「起きられたんですね。体に違和感はないですか?」
「それは大丈夫なんですが……腹が減って。何か持ってきてもらえませんか?」
「はい、わかりました。3日も眠っておりましたから、スープなどからになりますが、いいですか?」
「ええ、構いません」
「それでは、少々お待ち下さい」
彼女は出ていく。その背中を見ながら、彼はヨウマのことを考えた。イータイを相手に無茶をしていないか、怪我をしていないか、したならどれくらいのものなのか。もしかしたら次のニーサオビンカが動き出してはいるのではないか。
(3日だぜ、それはねえよ……)
一人で解決していると、コーンスープを乗せた盆を、看護婦が持ってきた。彼女は医者の男を伴っていた。
「ヘッセで、あなたの精神を調べました」
医者はスープを飲むキジマに向かって言った。
「結論から申しますと、あなたの中に他者の魂を観測しました。私も初めて見るものですから、どう対応していいかはわかりませんが……精神が不安定なものになる可能性があります。ご注意を」
「注意って、何をすれば?」
「どうすればいいのでしょうね……」
随分と頼りない医者だな、とキジマは思った。
「少しでも変調を感じられましたら、すぐに呼んでください」
「ええ、そうさせてもらいます」
そこから、彼の意識は絶えた。唐突な黒い幕が降ろされたように。そして、再び視界が開いた時、そこには頭を吹き飛ばされた死体が、二つ。
『これで終わりだな』
どこからともなく声が聞こえてくる。
「なん……だ……?」