ヨウマは、アーモンドの入ったチョコレートを口に放り込んだ。装甲車の中、戦いの前の糖分補給だ。
「あと10分で目標地点です。準備はいいですか?」
長椅子に腰掛けるナピが問う。彼も含め、メンバーは皆防刃ベストを身に着けていた。
「僕はいける」
「俺も大丈夫です」
「ま、私に任せてよ」
グリンサがドン、と胸を叩いてみせた。
「でも、なんで結界の外で会うんだろう」
問いかけるヨウマに、ナピは仮面の顔を向けた。
「オビンカも一枚岩ではありません。結界内で犯罪が行われることを憂うオビンカもいます。そういう者による反抗を避けるためでしょう」
「なるほどなあ」
さて、10分。月の下、装甲車と救急車の車列はある料亭の前に停まった。和風だ。暖簾には日本語で『そよかぜ』とある。その引き戸をグリンサが蹴破る。
「ユーグラスだよ! 武器を捨てて手を上げて!」
大声を出したが、そこにいたのは5人のオビンカだけだ。机や椅子は奇麗に片付けられ、壁際に寄せられている。彼らは手に鉈や剣といった武器を握り、待ち構えているふうだった。
「来たか」
そのオビンカの中で、奥の方に腕を組んで立っている者が言った。その角は側頭部に2対。隣のそれと絡み合うようにねじ曲がり、上に伸びていた。和服に似た、オビンカの伝統衣装に身を包んでいる。イータイだ。身長は、数字にして240センチほど。
「なんだ、私たちが来るのは知ってたってこと?」
「お前たちが内通者をオビンカ・グッスヘンゼの中に持つように、我々もユーグラスの動きなど掴んでいる……やれ!」
鉈を持った部下たちが、ヨウマらに襲い掛かる。グリンサに向かった者は、一瞬の内に首を刎ねられた。ヨウマに向かった者は、5合ほど打ち合った末両腕を失った。キジマは僅かな攻防の末、相手を一撃でノックアウトした。ナピは熱した剣で心臓を切り裂いた。
「で、何?」
グリンサが言う。
「雑魚は雑魚らしく引っ込んでおけばよかったのに。勿体ないなあ」
「アレにやられるようなら戦う価値もないということだ。楽しませてくれよ」
「へぇー……」
声を発している間に、イータイは彼女に近づいていた。赤い刃が抜き放たれ、黒い刃とぶつかり合う。どこまでも研ぎ澄まされた剣筋がグリンサを襲う。彼女はかろうじて防御をしているが、全ては捌ききれず、薄皮に切り傷がつく。
ヨウマが加勢をしようと踏み出すが、イータイは指輪の嵌められた左腕を振り抜き、指輪が輝いたと思えば彼は弾き飛ばされた。ひっくり返り、壁に寄せられた机の群に突っ込む。
だがそれが隙になる。僅かな意識のブレがグリンサの付け込む余地を産んだ。逆袈裟に斬りかかる彼女。切り結んだところで、キジマがその背後に回っていた。しかし渾身の一撃は躱され、逆にキジマは盾にされるように拘束されてしまった。
「動くなよ、こいつの首が飛ぶぞ」
剣を首元に持ってきて、イータイが言う。
「セコイことするんだ」
グリンサの言葉を聞いて、彼は笑ってみせた。
「数で負けているのだ、手段は択ばんよ」
立ち上がったヨウマも含め、3人はイータイを包囲する。三つの切っ先を向けられながらも、イータイは余裕のある態度を崩さなかった。
「あんたは一体何人殺したわけ?」
「数えるのは100を超えたところでやめたよ。下らん連中ばかりだった」
問うたグリンサは、侮蔑と嫌悪を隠さない顔をした。
「しかし殺しの数はお前たちも他人のことが言えんだろう。治安維持の名目の下にどれだけ殺した? ああ、答えなくていい。どうせ俺には及ばんからな」
彼は目を忙しなく動かして、包囲の状態を常に確認していた。
「一つ、訊きたいことがあります」
ナピだ。
「あなたはあまりに長い間生きている。何が目的なのです?」
「俺は強者との戦いを楽しみたいだけさ。そのために外道に堕ちた」
「外道? やはり何か術を使っているのですね?」
「ああ、そうさ」
「詳しく聞かせては……くれませんか」
「いずれわかるさ、いずれな」
言い終わったイータイはキジマの膝窩を蹴り、押し倒す。
「刻ませてもらう!」
高々と上げた左手を、キジマの首元に勢いよく当てる。そこに、赤い紡錘形の痣のようなものが刻まれた。
ヨウマがその背後から接近する。横薙ぎをイータイは跳んで躱す。そこを狙ったグリンサの刺突を、身を捩って避ける。更に襲い掛かるナピの斬撃には、
「フランケに似てるね」
ヨウマが言う。
「あいつも戦いを楽しむって言ってた」
「アレとはよく戯れたよ。そこで似たのだろうな」
「じゃあ地獄で会わせてあげる!」
グリンサが口を挟む。床を蹴る。二つの刃が幾度となく衝突する。両者とも1歩も退かない。完全なる拮抗がそこにはあった。
その間、ヨウマはキジマに視線をやった。床に伏したまま動かない。どうにか助け出せないかと思案するが、剣戟の最中にあってもそれを許さない気迫がイータイにはあった。
しかし、ナピは臆さなかった。ヨウマの意図を汲んでか汲まずか、イータイの背後に回り、向かっていった。2方向からの斬撃を処理するイータイを見て、ヨウマは今ならいけると確信した。
キジマの傍に駆け寄る。
「キジマ!」
呼びかけても返事はない。重い体を引きずって、彼はイータイから親友を離した。部屋の隅に来た時、彼は痣に気づく。
「刻む、ってこれのこと?」
呟きながら首に指をあてて脈を測る。トクトクと、確かにあった。
「生きてるなら、いいか……」
視線を敵に戻す。七幹部二人を相手取っても、彼奴の表情にはむしろ余裕さえあった。そこに加わって何になるのか、彼は思考する。今同士討ちが発生していないのは、グリンサとナピが互いの太刀筋を完璧に理解しているからだ。前者はともかく、後者とそういう息の合わせ方をできる自信は、彼にはなかった。
しかし、イータイには追い詰められているような気色もない。一人増えるだけでもマシになるのではないか。そんな思いも湧く。左手に雷の槍を作り出す。
「二人とも! 行くよ!」
声を発しながら、槍を投げ放った。完全に同じタイミングで引き下がった二人の間を、槍は飛んでいく。イータイは瞬間的に剣を振り抜く。勝ったのは、雷だ。断たれた剣が弾け飛び、壁に突き刺さる。
「いい威力だ……しかし、次はないようだな」
ヨウマの顔には汗が湧き出ていた。息も絶え絶え。肩が上下する。
「地球人の肉体と魂はヘッセを使うようにはできていない。呪文を介した言語魔術に向いているのが現実だ」
彼に近づこうとするイータイの前に、グリンサが割って入った。
「お前がオビンカでないことが残念だよ」
「それ以上近づかないで」
黒い刃の切っ先が、向けられる。
「フッ、まあいい。目的は果たした」
イータイは剣を納める。
「ヨウマ、そして七幹部。覚えておけ。俺とお前たちはまた戦うことになる。努々、努力は忘れないことだ。タジュン!」
その掛け声があったと思えば、彼は風に吹かれた蝋燭の火のように消えた。
「これ、勝ったの? 負けたの?」
グリンサは言う。
「多分、負けだよ。あっちはやりたいことやったみたいだし」
ヨウマの答えを聞きながら、彼女は納刀した。
「やりたいこと、ねえ」
歩き出して、壁に刺さった剣を赤く輝く目で見る。ケサンはなかった。
「キジマに何かしたんだとは思うんだけど……グリンサ、わかる?」
「碌でもないことではあるんだろうけど……」
「何かしらのマーキングだとすれば、ビーコンのように位置情報を共有するものなのでしょうか」
「ユーグラスの古文書にヒントがあるかも。明日調べてみる?」
「そういったことは捜査部に任せましょう。我々は待機任務があります。余計な体力を使うべきではありません」
「一理あるね。ま、帰りますか!」
グリンサは剣を引き抜き、ナピはキジマを担ぎ上げる。震える脚で立ち上がり、ヨウマは装甲車に戻った。
◆
「おかえり~」
薄暗い空間に置かれた円卓の前、第3席タジュンによって召喚されたイータイは、彼女のその声に迎えられた。円卓にいるのはタジュンのみ。段の上にある椅子には、ガスコが傲慢な顔で座っていた。
「どう、『器』は見つかった?」
「ああ、魂の破片を植え付けてきた」
彼は適当な椅子に座る。
「なぜこの術をゴーウェントに使ってやらなかった?」
彼に問いかけられて、タジュンは顔を歪めた。
「だっておじいちゃん臭いんだもん。召喚術は特別な才能の証なんだよ? ホントはアンタに使うのも嫌なんだけど、イータイが死んだらガスコ怒っちゃうし」
「俺は死なんよ。しかし、まあ、助かった。武器もなしに七幹部から逃げ切るのは不可能だったろうからな」
イータイは折れた剣を見せる。
「まさか、地球人にやられたの?」
「ヘッセを受け止めたらこのざまだ。面白いとは思わんか?」
「いや全然。壊れたのは剣じゃなくて頭だったりしない?」
「お前とはどうにも反りが合わんな」
彼は剣を鞘に納め、ガスコの方を見た。
「ガスコ、剣をくれ。ケサンで覆われたものがいい」
「武器庫から好きなものを持っていけ。1振りくらいはお前の気に入るものがあるだろう」
「すまんな」
「お前の強さは知っている。次はぬかるなよ」
「ああ、任せてくれ。ヨウマと七幹部の首を並べてみせよう」
イータイは議場を出る。ニーサオビンカの集会はフロンティア7の地下で行われている。開拓地の南側に位置するオビンカ居住区の傍、廃工場地帯の地下だ。50年前、アーデーンにやってきたばかりの日本人があっという間に作り上げ、歳月が流れる中で老朽化して捨てられた場所。彼らにとって、支配の象徴たる場所。
オビンカは、ユーグラスから見れば異邦人だ。500年前、この地にやってきたオビンカは、ユーグラスとの闘争を始めた。ヴィンツ島と呼ばれるこの地において、その言語は混ざり合い、いつからか相互に意思疎通が可能なほどに二つは近づいた。それでもなお敵であることに変わりはなく、血と涙が流れ続けた。
そして、日本皇国がユーグラスを味方につけたことで、状況はオビンカにとって良くない方向に動いた。対等だったはずの関係はあっという間に追う者と追われる者に変わり、オビンカは結界の中に押し込まれた。中には角を折って帽子を被ってまで外に出る者も現れた。そこに変革を起こす。ニーサオビンカの目的はそれに尽きるのだった。
イータイもその目的にはある程度共感し、力を貸すつもりではあった。だが何よりも、ただ強くあり、強き者と戦い、そうして満足したい。それが最大の目的だった。階段を上がり、一つ上の階層へ。大きな扉を開くと、壁に武器がずらりと並ぶ空間が待っていた。
オビンカ伝統の武器である鉈をはじめ、剣、刀、槍、斧などがラックに立ててあり、主人の現れることを待ちわびていた。彼はゴス・キルモラでそれらを見ていく。白い粉雪のようなものが付着しているものを探す。鞘に納まっているものは丁寧な手付きで抜いては、戻す。
(そういえば、ゴーウェントは|あのガキ《フランケ》にはゴス・キルモラを習得させたのだろうか)
多少の反応を見せるものはあれど、彼の理想とする、刃が完全に覆われたものは中々ない。
(まあ習得したとして使う脳がないから死んだのか……ほう、こんなものが──)
白に覆われ、輝きさえ放つものが一つあった。幅広の剣だ。刃は銀色で、柄は黒い。臙脂の鞘には、金色で草の文様が刻まれていた。一振りしてみる。応えてくるような感覚があった。
(これなら、数度は受け止められる……フフ、イニ・ヘリス・パーディを目の当たりにしてみたいものだ)
剣を腰に下げ、歩き出す。新たな楽しみを胸に秘め。