目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報
決戦 フランケ

「それで、今までじっとしていたと?」


 一人のオビンカが階段の上の豪奢な椅子から、跪くフランケを見下してそう言った。彼の頭には8本の黒く鋭い角が王冠のように生えている。顔面は厳つく、見る者を見境なく威圧していた。前を開けたシャツから見える肉体は鍛え上げられて、誇示するように腹筋は6つに割れていた。


「火傷が、酷いため……」


 フランケはたどたどしく言った。背中の甲殻は再生の途中で、斑点のような状態だった。薄暗い空間、それが目立つことはないが、あまり見せたいものでもなかった。


「代理人から報告は受けたが、地球人の子供を殺せなかったそうだな」


 彼は体を震わせた。


「このガスコ、一度の失敗で断罪するほど器の狭い男ではない」


 ガスコ、と名乗ったオビンカは立ち上がり、段を降りていく。すぐにフランケの傍までやってきた。


「しかしお前は七幹部を取り逃し、地球人を殺せず、その上逃げ帰ってきた。3つだ。故に1つの選択をしなければならない。私への忠誠をその活躍を以て示すか、諦めてここで死ぬか。末席とはいえ、慈悲の余地はある。どうする?」

「……どれほどのことを成せば、許していただけますか」

「七幹部の首か、お前を刺した地球人の首を持ってこい。それで今回の失敗は見逃そう」

「えぇ~? ホントにそれでいいの?」


 フランケの後ろ、円卓に着いていて、3本角を額に持つ、女児のような風貌のオビンカがキンキンとした声でからかった。彼女は袖の余った黒いワンピースを着て、悪戯好きな子供のように笑っていた。彼女の名はタジュン。ニーサオビンカ第3席である。


「地球人なんて簡単に死んじゃうよ~?」

「そうそう。七幹部一人殺してようやく釣り合うくらいだと思うけど?」


 加勢したのは手鏡を見ながら化粧をする、うら若い女だ。角は牛のそれのように、側頭部から前に向かって伸びている。丈の短いTシャツで腹を見せ、下にはショートパンツを穿いていた。両中指に、赤い指輪。ヘイクル。第4席。


「ヨウマとかいう地球人は、オビンカをかなり殺している。その仇討ちもしてもらわねばならん」


 円卓にいるのは、3人。


「ヨウマなら、私も興味があります。ここは共に戦いませんか?」


 後頭部から生えた角がねじ曲がりながら上に向かっている、背広姿で髭を貯えた紳士然とした雰囲気のゴーウェント。左手にクリムゾニウムの指輪がある。第7席だ。


「いえ、今回ばかりは一人で」


 体を動かさないままフランケは答えた。


「そうやってまた負けちゃったりして」


 タジュンはケラケラと笑いながらそう言った。


「何、子供一人ならなんてことはありません」


 彼の表情は動いていなかった。


「七幹部のイルケさえ来なければ、確実に殺せていましたから」

「ならばやってみせろ。期待しているぞ」

「はい、お任せください」


 彼が頭を下げる。それを見たガスコは、椅子に戻っていった。





 ヨウマは、深雪と手を繋いで商店街を歩いていた。曇り空の下、二人は傘を持って、油断すれば肩がぶつかりそうな道を行く。


 ニェーズの伝統的な経済活動を保護するという目的から、植民から50年経ってもなお居住区内にスーパーマーケットなどはできていない。しかし、その品揃えを求めて居住区の外へ買い物に出るニェーズがいるのも現状であり、シャッターの下りた店もチラホラとあった。


 二人は精肉店の前で足を止める。カウンター下のショーケースに並ぶ肉塊には、地球人側からアーデーンウシと呼ばれるガチや、同様にアーデーンブタとされるツェゾ、鶏に近いマゴなど、多様な種類があった。しかし、そのカウンターは地球人には高すぎて、店の旦那の表情は窺えなかった。


「つぇ、ツェゾの肩を──」


 声を張った注文を聞き流しながら、ヨウマは周囲をキョロキョロと見ていた。ニェーズの旦那が包丁を振るって肉を切り分ける。子供──とは言ってもその体は170センチ近い──がチョロチョロとヒトの間を走り回る。


 まあ大丈夫だろう、という油断か安心か区別の付かない感情を抱きつつ、彼は視線を精肉店に戻した。肉をビニール袋に入れて、カウンター横の出入り口から旦那が出てこようとしていた。


「ほい、ありがとうね。これ、サービス」


 そう言って袋を渡す旦那は、片手で持てるくらいの大きさの紙袋を添えていた。


「こ、こ、これ、なんですか?」

「コロッケ。いつも来てくれるからね」

「い、いいんですか。ありがとう、ございます」


 彼女はそれを受け取って、左肩に掛けている買い物袋にそれを入れた。


 アーデーンに生息する固有の種を、地球人はニェーズ語で『動物』という意味のエムシ、と呼ぶ。そのエムシは土壌に混じったクリムゾニウムを肉や植物から接種しており、その身体強化作用を受けている。また、地球人であっても本国からの輸入食品に頼れない層も同じことで、ヨウマや深雪も例外ではなかった。


 そういうわけで、合計で5キロになる荷物を、細い彼女は何の苦もなく持ち歩けるのだった。


「こ、これで今日の買い物はおしまいですね。よ、ヨウマさんは何かありますか?」

「ううん。ないよ」


 ヒトの多いところだし、深雪も疲れたでしょ?──という気遣いは言葉にしない。野暮だからだ。


 15分ほど、歩いた。アパートの部屋の前に来た時、


「ヨウマさーん!」


 という声がした。振り向いて下を見ると、ニェーズが息を切らして立っていた。


「ヨウマさん、大変です!」


 その若いニェーズは焦燥を隠さずそう言った。


「フランケって名乗ってるオビンカが子供を人質にして……」


 そこで彼は咳き込んだ。


「ヨウマさんを出さないと殺すって!」

「わかった。連れてって」


 ヨウマは深雪の手を離す。


「深雪、行ってくる」

「は、はい。帰ってきてくださいね」

「大丈夫だよ、フランケなら一度戦ってる」


 ヨウマは手摺をひょいと飛び越え、ニェーズの前に降りた。二人は並んで走り出した。


「それで、相手はフランケだけ?」

「ええ、一人です」

「仲間を呼んだら駄目かな」

「タイマンを望んでます」

「最悪だ……」


 打ち合わせもそこそこに居住区の出入り口に着く。日本語で『ニェーズ居住区』と書かれたアーチの少し向こうで、地球人の女児の頭を掴んでいるフランケが待っていた。広場になっているそこには、野次馬が集まっていて、ヨウマは少し嫌な顔をした。


「来たかよ」


 彼は女児を放り投げ、斧を持つ。変わらず半裸。左脇腹に生々しい傷がある。


「今度こそ死んでもらうぜ」

「死ぬのはそっちだよ」


 ヨウマも刀を抜いて、切っ先を向けた。一気に踏み込む。確実に届く間合い。刀を横に振り抜く。斧とぶつかって、高い音がした。


 片方の斧が彼の背後に回り込む。それを弾き飛ばしている間に、フランケは離れていた。追おうとすれば、もう片方の斧が行く手を阻む。


 いつ幻影を使うか。彼はそれを考えていた。実体を持たない以上、できるのは撹乱程度だ。タイミングは慎重に選ばねばならない。


 思考と並行して、防御と回避は続く。頭に飛んできた重い刃をしゃがんで躱し、そこに付け込んできた得物を刀で受け流す。そんなことをしていると、斧がヒュルヒュルとフランケの手に戻っていく。


「なあ、ヨウマ」


 呟くように、フランケは言う。


「お前は親父のために戦ってると言ったな」

「そうだけど、何?」

「俺はな、お前と同じなんだ」

「それで?」

「第1席ガスコの義理の息子として、任務は完璧にこなさなければならない。だからお前を殺す。いいな?」

「よかないよ。こっちには家族がいるんだ」


 構えて見合う二人。呼吸のリズムが、不思議と同期した。そして、同時に地面を蹴った。ぶつかり合う刃。火花が散る。散る。散る。埒が明かない。両者は一度距離を取る。そして再び接近する。


 一つ、ヨウマには策があった。それはただ攻め続けること。斧を手放せない状況を作れば、相手の選択肢を一つ潰すことができる。腹を蹴られ、追撃に斧が飛んできても、肌に切り傷ができても、真っ直ぐに立ち向かう。何度目かの突撃の末、蹴り飛ばされたヨウマに斧が投げられることはなかった。


 今だ。彼はそう思う。指輪に意識を向けた。これが最後だ、と固く決意する。そうでなければ、負けるだけだと。突進。


 フランケは、刀を振り上げて飛び上がったヨウマを見た。当然防御に動く。頭の上で斧を交差させる。しかし──。


 胸に走る、痛み。下を見れば、心臓があるはずの場所に小さな穴が空いていた。しゃがみ込んだヨウマの左手に、バチバチとした雷の残滓。


(騙された?)


 そう一瞬考えた後、彼は膝から崩れ落ちた。斧を取り落とし、呆然と薄暗い空を見上げた。遠のいていく意識の中で、彼は答えを得る。


「幻影術か」

「そ。ずるいのは嫌い?」


 立ち上がるヨウマを見て、彼は満足そうに笑った。


「賢しい分には構わんさ……」


 上から斬りかかる幻影を見せ、ヨウマ自身は下から雷の槍を投げ上げる。空に向かうなら、野次馬のことも気にしなくていい。それがヨウマの選んだ戦術だった。


 ドクドクと流れる血が、広場の地面に広がっていく。ヨウマは静かに刀を天に向ける。


「だが……タダでは死なんよ!」


 斧の1本が浮いた。完全に不意を衝かれた。ヨウマが刀を構え直す前に、それは接近する。数瞬後、右腕と刀がぼとりと落ちた。野次馬の悲鳴。右腕の肩口で、切断されていた。


「やるね」


 左手を断面に当てながら、どっと吹き出した脂汗の浮く顔で彼はそう言った。しかし、フランケは答えない。動かない体。斧も地面に落ちた。


「勝ったんだ、僕」


 小さな声がどよめきの中に消えていった。

コメント(0)
この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?