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帰ってきて

 ヨウマの報告書が受理され、アーデーンに帰ることが許されたのは、それから3日後のことだった。


「災難だったね」


 紫色のベールのようなものが内側に広がる、半径300センチほどのアーチの前で、優香がそう言った。


「ま、こんなこともあるよ」


 ヨウマが答える。


 これにキジマと冬治を加えた4人は、アーチの前にある、空港の搭乗ゲートのような空間を進んだ。


 ヨウマがベールの中に足を踏み入れると、何か柔らかい、ゲルに包まれたような気持ち悪い感覚に襲われる。しかしそれは一瞬のことだ。すぐに解放されて、アーデーン側に出る。


「やなんだよな、これ」


 彼は呟いた。


 出口で待つのは、身分証明書の確認。IDカードを見せて、ヨウマと冬治は武器携行許可証と、武器をカウンターで渡す。バーコードをスキャンされ、登録された通りの武器であることが確認されると、返却される。ステッカーは剥がされていた。


「面倒だなあ」


 審査を抜けたところで、ヨウマが言った。


「ま、仕方ねえさ。治安維持のためだ」


 治安維持がユーグラスの本分。それを思えば、多少の手間は致し方ない。そういう割り切りを、彼はなんとかした。


 検査を受けた手荷物を受け取り、ようやく外へ。


 冬治の運転する車の中で、優香は直視してしまった殺人のことをどうしても考えてしまう。


(ヨウマだって、殺したかったわけじゃない、はず)


 何も言わず雨の降る窓の外を見ている隣のヨウマに視線をやりながら、独白した。


(死んでいいヒトなんて、いるのかな)


 俯いた。どうしたって気持ちが沈む。明るくいたい。心配させたくないから。しかし、叶わなかった。


「お父さんのこと?」

「え?」


 突然ヨウマに話しかけられて、優香は少々驚いた。


「なんか暗い顔してたからさ」

「……ヨウマが怪我してないのは良かったと思ってるの」


 要領を得ない、という風に彼は首を傾げた。


「でも、ヒトが死んだ。それって、しょうがないって受け入れていいものなのかなって」

「さあね」

「さあね、って……」

「死にたくなければ、誰かを傷つけようとしなければいいんだ。僕はそう思ってる」

「それは、そうだけど」

「納得いかない?」

「うん、モヤモヤする」

「そっかあ」


 ヨウマは頭を掻く。


「でも、僕も好きでやってるわけじゃないってことは、わかってほしいな」

「うん、わかってる。わかってる……けど、さ」

「誰も死なない解決は、確かに理想です」


 キジマが言う。


「しかし、現実はそうではない──投降を呼びかけても応じず、こちらを殺そうとするのならば……どうしようもありません」

「嫌なリアルですね」


 そう口にしながら優香はヨウマをちらりと見やった。彼は相変わらず動かない表情で、首を傾げた。無個性気味な顔は、それだけでは彼女の心を強く揺さぶりはしない。しかし、畏怖と感謝を抱いて見れば、少し、好意的に映った。


 文字通り都市の中心にあるゲートからヨウマの家まで、少し混んだ道を進んで、およそ30分。雨は都合よく止んでいた。


「それでは、お嬢様」


 冬治は車を降りる優香にそう言った。


「ご苦労さまです」


 短い返答を受け取った後、一人になった冬治は


「少し、寂しいものですね」


 と呟いた。





 その日のヨウマ家の食卓は、大皿に盛られた冷しゃぶサラダがメインだった。


「い、いただきます」


 深雪に続いて、残る二人も声を合わせた。


「すごい今更なことを訊くんだけどさ」


 小皿に自分の分を取るヨウマに、優香は言う。


「なんでここが安全だって言い切れるの?」

「僕も詳しくは知らないんだけど、魂に『コゥラ』っていうのを持ってない人が入れないように結界が張ってあるらしいんだ。で、それって居住区の中で産まれたヒトか、七幹部に許可を貰ったヒトにしかつかないから、オビンカは入れない、らしい。まあ、ユーグラスにも地球人嫌いはいるから、100%安心ってわけじゃないんだけど」


 らしいらしいとそればかりの言葉が可笑しく、彼女はくすりと笑った。


「でも、なんで私は入れたの?」

「僕みたいにコゥラを持ってる人間と一緒にいれば入れるみたい」

「なるほどなあ」


 つまり、自分は鳥籠に閉じ込められたようなものだ──彼女はそう思う。


「出ていくことはできるの?」

「できるよ。そうじゃなきゃ冬治は帰れないからね」


 冬治は、フルネームを神橋かんばし冬治という。総督につく本国の国家憲兵隊から派遣された護衛とは違い、俊二が私的に雇用したボディーガード兼運転手だ。そのため、クライアントである俊二が死亡した今、優香を守る理由はない。しかし、安全な移動手段の必要性から、彼女は遺産を使って彼を雇っていた。


「私もそのうち貰えたりしないかなあ」

「け、結構痛いですよ、あれ」

「そうなの?」

「まあ、魂に直接触れるわけだからね。楽なはずはないよ。とは言っても、僕は覚えてないんだけど」


 もぐもぐと咀嚼をしながら、優香はヨウマの声を聞いていた。ポン酢のスッキリとした味が涼しい気持ちにさせる。


 覚えていない──そう、彼女はもはや母親の声を思い出せない。10の時に母親の死を経験して、それからじわじわと記憶が忘却の中に消えていくことを、かつての彼女は恐れていた。だが、今はそうではない。抱きしめられた時の母の優しい匂いが、確かに心に残っているからだ。


 では、父は? まだ声が聞こえる。それも長くはないだろう。それを、彼女は自然なプロセスとして受容しつつあった。


 食事も終わりという頃、ピンポーン、とチャイムが鳴った。


「お、おおお客さん、ですかね」

「出てくるよ」


 ヨウマはそう言って席を立った。食事時の来客。いい気分はしない。


「はい、誰?」


 扉を開いて、彼は問う。そこにいたのは、やつれた顔の中年の男だった。背丈は165センチほど。スーツ姿はくたびれて、黒い瞳は焦っていた。


「何の用?」

鏡橋かがみばし深雪、という方を知りませんか?」


 リビングの方から皿の割れる音がした。


「聞き方を変えるべきですね。深雪がここにいると聞いたのですが、間違いないですか?」

「……先に名乗りなよ」

東島ひがしまと──いえ、鏡橋かむと申します」

「鏡橋……もしかして、深雪の親父さん?」

「おお、やはり深雪をご存知なのですね。会わせてもらえませんか?」

「帰りなよ。アンタが深雪に何をしたか、こっちは知ってるんだ」


 ヨウマは無意識に鯉口を切っていた。口に出すのも悍ましいことを、この咬とかいう男はした。深雪の尊厳を踏みにじり、一生物の傷を刻み込んだのだ。


「あれは……気がおかしくなっていたんです。もうしませんよ。今度こそ幸せに暮らせるはずです。ですから、深雪の居場所を教えてください」


 幸せ。その言葉は彼の怒りの基準を超えていた。しかしそれは表に出さず、あくまで冷静を装おうとする。


「それに、アンタはオビンカの闇金から金を借りてるはず。それは返したの?」

「地球に逃げさえすれば奴らは追ってきませんよ」

「どうだろうね。僕は地球でオビンカに襲われたよ」

「なっ……! し、しかし、たかが借金の取り立てのためにそんなリスクを冒すことはないはずです」

「たかが? それでアンタの奥さんは深雪と心中しようとしたんだ。わかってる?」

「し、心中!? 妻は死んだのですか!?」

「なんだ、そんなことも知らなかったんだ。そうだよ、包丁で首をサクッといってた」


 眉を一分も動かさずにそう告げられて、咬は絶句した。動揺に付け込んで、ヨウマは彼に近づく。ウェストポーチを開き、右手に手錠を掴んだ。しかし、差し込んできた西日が反射して、手錠は煌めいてしまった。


 それを認めた咬は慌てて背を向ける。追うか、否か。判断を迫られた時、ウゥゥというサイレンが響いてきた。仲間がなんとかしてくれることを信じて、彼は深雪を優先した。


「悪いことした自覚があるなら、ただ逃げてればいいのに」


 そんなことを呟きながら手錠をしまい、家に戻る。啜り泣く声が聞こえてくる。居間の扉を開いて最初に見たものは、どうしようもなくまごつく優香だった。


「ヨウマ、私、どうしたらいいかわからなくて──」

「後は任せて」


 視線を動かせば、フローリングに割れた皿。その傍に怯えた様子で座り込む、深雪。涙が床を濡らしていた。


「お父さんは逃げたよ」


 限りなく優しい口調で彼はそう告げる。


「だから、もう大丈夫」


 しゃがんで、視線を合わせる。彼女の両頬に手をやり、親指で涙を拭った。


「片付けよっか。優香、ゴミ袋と新聞紙持ってきて」

「う、うん。わかった」


 彼女は居間を出た。


「お、お、お父さんは、なんて、言ってましたか?」


 震える声で深雪は問う。


「会わせてほしい、って」


 ビクリ、彼女の体は震えた。


「だよね。しばらくは買い物についていくよ。居住区に隠れてたら危ないし」

「どどど、どうしてあの人はそんなふうに考えたんでしょう」

「都合が良すぎるよね」


 理屈ではなく、共感ベースで。傷ついた者を前にした時の対応として、ジクーレンから教わったことだ。


「ヨウマ、持ってきたよ」


 優香が戻ってきた。ヨウマは紙と袋を受け取り、包んだ破片を袋に入れていく。


「わ、私も、手伝います」

「じゃあ掃除機取ってきてもらえる?」


 震える脚で深雪は立ち上がり、歩き出す。その背中を注視しながら、ヨウマも立った。泣き声を掻き消す掃除機の音が、部屋に響きだした。





 日も暮れきって、月がそれなりの高さまで昇ったころ。窓のない部屋でそれを見る術はないが、架けられた時計が11時を回った。煌々とした灯りの下で、ヨウマは指輪を見つめて立っていた。


「幻影よ」


 呟く。すると、指輪が輝き、ホログラムのようなもう一人のヨウマの幻影が隣に現れた。ヨウマ本人が手を挙げると、幻影も追従する。


「わかってきた」


 口にした。


 幻影術を初めて見たのは、東京に行く3日前。ジクーレンに呼び出された彼は、再びフランケと対峙した際に使える技としてこの術を見せられた。実体を持たず、直接的に攻撃できるわけでもないが、一瞬の隙を生み出せるとして、習得を勧められた。


 東京行きの準備で忙しく碌に訓練ができなかったが、少し落ち着いた今、彼は更なる強さを求めた。


「後は、僕の状態に関係なく自由に動かせるようになれば、実戦で使える」


 左手を握って、幻影を消す。イメージするのは、刀を握った自分。それが体から突き進んでいく。脳裏に描いた未来を実現しようと、彼は指輪に意識を向ける。


「行け!」


 左手を突き出し、そう言った。すると、彼の胴体から幻影が飛び出し、壁を抜けていった。


「キャア!」


 悲鳴が向こうの部屋から聞こえてきた。ドタドタという音がしたと思えば、扉が力強く開かれる。


「ヨウマ!? 何してるの!?」


 優香が青い顔で大声を出した。


「幻影術の練習。驚かせちゃった?」

「急に壁からニュって出てくるから……リビングの方向いてやってよ。深雪ちゃんなんてひっくり返ってるんだから」

「それはごめん」

「全くもう……」


 彼女は背を向ける。が、立ち止まった。


「また、戦うの?」

「それが優香を守ることにもなるからね」

「……そう」


 具体的なことは何も言わず、彼女は去った。残されたヨウマは、考えてしまう。何かを守るために何かを殺す。それが正しいのか。それを振り払うように、彼は体の向きを変えた。

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