回避と、防御。ヨウマの執れる選択肢はその二つだった。習慣じみた挑発をしたはいいものの、特に方策などなく、ただ受け身になっているのが現状だった。
刀を熱して一撃を叩き込む──それさえできれば、と彼は斧を弾きながら思う。
キジマがフランケの背中に蹴りを食らわす。そうして蹌踉めいた相手に、彼は踏み込んだ。首元から斬り込んで、心臓へ。イメージは完璧だった。しかし、届かない。手から離れた斧が斬撃を阻むのだ。
フランケがヨウマに足払いをする。バランスを崩した彼は右ストレートで吹き飛ばされ、ドアを破って転がった。
斧が飛んで、キジマに襲いかかる。旋風のように暴れるそれから逃げ、距離をとった彼は、汗を一度拭った。
「ん~、悪くない」
顎を触りながらフランケは言う。斧は飛んでいき、また二人の命を奪った。
「だが、足りないな」
完全に脱力した彼に、剣を握ったニェーズが走り寄る。
「駄目じゃないかあ!」
斧は瞬時にフランケの手に戻り、振り抜かれた。2合、3合と打ち合ってから、ニェーズは頭蓋骨を叩き割られた。
「見え見えの誘いに乗っちゃうから、こういうことになるんだぜ」
誰も、彼に向かわない。迂闊な動きを見せれば、今のニェーズと同じことになる。その緊張が体を強張らせる。
「どうした? もう終わりかい?」
斧を弄びながらフランケが言う。手首のスナップで投げ上げ、回転しているものを掴む。そんな遊びをしていた。
「忘れてもらっちゃ困るよ」
再び立ち上がったヨウマがそう口にした。切っ先を相手に向け、確かな殺意を瞳に湛えていた。そんな彼を、フランケは軽く嗤った。
「ヨウマ、お前は何のために戦う?」
「親父のため。僕は親父がいなかったら死んでたんだ。だから恩返しをしなくちゃならない」
「恩返しのために人殺しをさせる親とは、嫌なもんだな」
「親父をバカにするな!」
激昂の勢いのままに、ヨウマは走り出した。
「甘いんだよ!」
斧が飛ぶ。直撃コース。だが、間にキジマが割って入る。防刃ベスト越しのどうっとした衝撃が彼を揺らす。
「自己犠牲かい!? つまらないことを!」
フランケが斧を呼び戻そうとする。しかし応えない。キジマが斧をしかと掴んでいたからだ。
「行けヨウマ!」
地面に倒れ込んだキジマを飛び越えて、ヨウマが赤熱化した刀をその手に、迫る。そうして繰り出された刺突を、フランケは左腕で受けた。そのままヨウマの頭を掴み、頭突きを食らわせた。
しかし彼は武器を握り続ける。床に足が付けば、刀を引き抜いて、上段に構えた。そして、跳躍して、一気に振り下ろす。狙いは変わらない。首元だ。届くか、届かざるか。答えは、後者だった。
甲殻で覆われた両手が、赤く光を放つ刀身を挟み込んでいた。そのまま捻り上げ、ヨウマの腹に蹴りを入れる。ついに彼の手が柄から離れる。その瞬間、フランケの体を電流が走るようなインパクトが襲った。身体がぶるっと震えて、彼はそのまま刀を落とす。
「なるほどねえ……」
強がりの笑いを浮かべ、彼は呟く。
「ヨウマ、こいつは意思がある刀だろう?」
「よくわかったね」
息が苦しいが、フランケと同じように強がってヨウマは答えた。
「強力な
「賢いんだ」
「経験があるのさ」
ヨウマは腰を落とし、愛刀を見据える。
「早く返してくれない? 僕が力でニェーズに勝てるわけないんだからさ」
「無論、嫌だね」
その時であった。フランケの背筋が、猛烈な殺気にビクついた。反射的に体を動かし、背後に向かって右手を突き出す。指輪が光って現れた半透明の青い壁に、炎の嵐がぶつかる。
「この熱量、イルケだな?」
「あら、ご名答。そうよ、アナタを殺しに来たの」
炎が消えれば、煙管を持ったイルケが戸口に立っていた。煙管の先には小さな火が渦巻いている。
「指輪を外して、手を上げなさい。じゃないと、このアパートごと焼き尽くすわ」
「ハッ、誰が……」
熱線がフランケの顔の傍を過ぎ去った。
「本気よ。みんなは退避しなさい」
生き残ったニェーズたちは遺体を抱え上げて退いていく。だが、ヨウマとキジマは、その場に残った。
「ヨウマちゃんも、キジマくんも、早く」
「刀を取り返さなきゃいけない」
「あら、そう。なら手伝ってあげるわ」
イルケはフランケに炎を浴びせかける。壁を生み出しつつ、彼は刀を踏みつける。
「こっちに集中しなさい。死ぬわよ」
炎の中から光線が飛んで、壁ごとフランケの左肩を貫いた。その痛みに姿勢を崩した彼から、ヨウマは刀を奪い取った。そのまま構え、背後から心臓を狙う。
「来いってんだよ!」
フランケは叫ぶ。その意志の力がついにキジマの妨害を突破し、斧を呼び寄せる。それが彼とヨウマの間に入り、突きを防いだ。だが、斧が解放されたことで、キジマも自由になっていた。右手で壁を展開し、他方で斧を操作してヨウマを妨害する。その彼に、キジマの飛び蹴りに対処する余力はなかった。
頬に、キジマの全体重がぶつかる。斧への意識が一瞬途切れて、床に落ちる。すると、当然ヨウマが接近してくる。そちらに向き直る。真っ赤に熱された刀身が脇腹に突き刺さる。壁が消える。炎が彼の背中に襲いかかる。数秒後、力なく立つフランケがそこにいた。
ヨウマがゆっくりと刀を抜く。首を差し出すように膝をつくフランケ。
「終わった……のか?」
キジマが言った。
ヨウマは答えないまま刀を振り上げた。首筋の甲殻は溶けて、なくなっている。息も絶え絶え、という様子の彼には、それはありがたかった。外から、クラクションが3回鳴るのが聞こえた。刀が頚椎に向かって一直線──というところで、フランケは動いた。
走り出した彼は、斧を呼び寄せながら窓に向かう。
「行かせないわよ!」
龍を象った炎が彼を追う。素肌を焼かれながらも、彼はガラスを破って飛び出す。顔を出したヨウマは、軽トラックの荷台に着地したフランケを見た。
「追いますか?」
キジマが問う。
「その必要はないみたいよ」
装甲車が逃げる車両の後をついてくのをヨウマは認めた。
「イルケなしで大丈夫なのかな」
「まあ、撒かれるでしょうね。今回のお仕事はここで一旦終わり、というわけ。ヨウマちゃんもヘッセを使いっぱなしで疲れたでしょ? 早く帰って休みなさい」
彼はストン、と腰を下ろした──というより、落ちた。
「キジマ、運んで」
刀を納めながら、言う。
「しゃーねーなあ。ほら、行くぞ」
キジマはひょいとヨウマの無駄のない体を持ち上げて、肩に担いだ。焦げ臭い部屋を後にした。
「イルケさん」
とキジマ。
「フランケと面識があるようでしたが、何かあったんですか?」
「5年前に戦ったことがあるのよ、逃げ足は成長してたわね」
階段を下る。アパートの駐車場には、車路の真ん中に停められたバイクがあった。イルケはそれに跨り、ヘルメットも付けずエンジンをかける。
「バイクなんて乗るんです?」
「借りたのよ。だから返しに行かないと」
「ああ……それでは」
走り去るイルケの背中を見ながら、キジマは足のことを考えた。
「この状態でバス、ってのもなあ」
「僕は全然いいよ」
話していると、白黒の車が3台やってくる。そこから、地球人とニェーズの混じった集団が降りてきた。捜査部だ。
「俺の世間体の話だよ。ただでさえお前を攫ったと思われがちだってのに、こんな格好してたら余計誘拐らしいだろ」
「確かにそうだ」
「お前なあ……」
何はともあれ、会社に顔を出さなくてはならない。その共通認識の下、彼も歩き出した。
◆
「東京?」
あれから1日が過ぎた、夜のこと。赤黒いミートソースの残滓がある皿の並ぶテーブルで、ヨウマが優香にそう言った。
「うん。お父さんのことで式典があるから、東京に行かなきゃいけないの」
「ふーん……」
護衛に行かないといけないのが面倒、という心境を正直に吐露しないデリカシーくらいは、彼にもあった。
優香が家に来てから、色々なことを共有し合った。親のこと、友達のこと、これからのこと。祖母がもしかしたら彼女を預かるかもしれない、ということを聞かされた時、少し寂しい気持ちになったのは、事実だ。
「もう、ヨウマも来るんだよ? 当分の間は護衛任務が続くんだし」
「わかってるよ。ただ、行ったことないからさ」
彼は空のコップを深雪に渡す。彼女は冷水筒から水を注いで、返した。
「ありがとね」
そう言って、彼は一口それを飲んだ。
「でも、葬式も終わったのに、まだ何かすることがあるの?」
「海外の人向けにお別れ会をするんだけど、その挨拶に私がいるんだって」
「なるほどね……」
酷いものだ、と彼は思う。傷口を刳り返して塩を塗り込むような所業ではないか。
「思い出したいことじゃないけど、私だから言えることだってあると思うから」
そんなことを言う優香に、彼は幾らかの憐憫を覚えた。
「出発はいつ?」
「ちょうど来週。ヨウマも色々申請とかいるんじゃない?」
「親父に聞いとくよ。あっちの世界じゃ、ユーグラスってだけじゃ自由に武器を持ち歩けないみたいだし」
くるり、彼がフォークを弄る。
「キジマにも連絡しなきゃな。ちょっとごめん」
ヨウマはスマートフォンを取り出して、キジマにメッセージを送る。
『来週優香と一緒に地球行くんだけど、キジマも来るよね?』
『護衛か? なら行くけどよ』
『そ。細かい日程は後で送るね』
『おう。任せたぜ』
ポコン、という通知音がした。ヨウマがその送信元を見ると、ジクーレンだった。
『お別れ会とやらの警備計画書。送っておく』
『ありがと』
添付ファイルをダウンロードし、軽く目を通す。なるほど、参加者に威圧感を与えないために、会場内部にはヨウマが入らないようになっている。代わりに、銃を隠し持った私服警察が目を光らせるそうだ。ニェーズの甲殻を貫通できない銃弾に、彼は信頼がなかった。
『これ、キジマにも送ってる?』
『送った』
彼はこういう短文で遣り取りをする父が、好きだった。
『地球に刀持っていく時に何か書類いる?』
『総督府の許可証がいる。明日会社に来い』
『センキュ』
そう送った時、更にもう1件メッセージが飛んできた。
『シェーンだよ。ヨウマくん、今度腕を貸してくれないかな。そろそろ君の腕を作りたい頃なんだ』
『わかった。明日行くよ』
彼は携帯電話をポケットにしまった。
「連絡、取れた?」
「うん。明日ちょっと用事ができちゃったけど」
「キジマさんも一緒?」
「んー、キジマには家にいてもらうよ。武器の持ち込みで色々あるだけだから、キジマには関係ないしね」
深雪が立ち上がって、皿を回収していく。
「よ、よよ、ヨウマさんも大変ですね。私も、1回くらい地球に行ってみたいなあ、なんて……」
「じゃあ、来る?」
「い、いえ。お仕事の邪魔になっちゃいけませんから……」
「それに、ホテルの都合もあるだろうし、今回は深雪ちゃんを連れていけないと思う」
「また今度行こうね。この仕事が一段落したあたりでさ」
「は、はい。そうですね、落ち着いたら、いつか……」
変にそわそわしながら、彼女は皿を台所に持っていった。
「しっかし、東京かあ」
背もたれに体を預けながらヨウマが言う。
「ここと大して変わらなかったりして」
「昔行ったことあるけど、特別すごいところってわけじゃないよ。どこに行っても人は多いけど」
「なんだか疲れそうだね」
「疲れるよ~」
優香は机に突っ伏し、横向きの顔でヨウマを見た。
「今回は観光なんてしてられないけど、4人で行けたらいいね」
柔らかい笑顔で彼女がそう言った。
「キジマ、来たがるかなあ。地球だとニェーズってどれくらい受け入れられるんだろう」
「私が行った時は見なかったよ。やっぱり気後れするのかな」
「ががが、学校もニェーズのヒトは完全に別でしたから……東京なんて尚更なんじゃないでしょうか」
会話は弾み、夜は更けていく。眼の前の少女が式典の場でどんな言葉を口にするのか、ヨウマは考えながら。