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対峙 ニーサオビンカ

「そういえば、さ」


 リビングのテーブルで本を読んでいる優香が、ソファに座ってテレビを見ているヨウマに問うた。クーラーのよく効いた部屋で、彼女は麦茶をテーブルに置いていた。


「その指輪、何?」

「これ? クリムゾニウムの指輪だよ。一人前の戦士の証だって、親父は言ってた」

「クリムゾニウムってことは……ヘッセを使うための指輪なの?」


 ヘッセ。クリムゾニウムを介して発生する魔術的現象。地球で言うところの魔法だが、総督府は公式の用語としてヘッセを採用していた。


「そうだね。とはいっても僕は単純なものしか使えないんだけど」


 食器が擦れる音、水の流れる音。


「どんなの使えるの?」


 興味に輝く瞳がヨウマに刺さる。それが妙に恥ずかしくて、彼は視線を少し外した。


「優香も見たろ? 雷の槍。まともに使えるのはそれくらいだよ」


 ビクリ、体を跳ねさせた優香の姿勢は固まった。見開かれた目は動かず、昏い色を見せる。


「どうしたの?」

「ごめん、思い出しちゃって……」

「そっか。大丈夫?」

「うん、すぐ落ち着くから……」


 彼女は大きく深呼吸をし、不器用な笑顔を見せた。


「私もヘッセが使えたら、こうやって守ってもらわなくていいのかな」

「無理だね。戦い方を学ばないと、結局扱いきれないよ」

「手厳しいね」

「変なことされたくないからさ、はっきり言わないと」

「そんな風に見える?」


 いたずらっぽい微笑みが、ヨウマを動揺させる。なぜそうなのか、彼には理解しようもないが、一つ確かなことは、深雪との関わり合いの中では出会わなかった感情がそこにあることだ。


「そういうわけじゃないけど……ただ、守りやすくいてほしいだけだよ」


 尻すぼみに彼は言った。


「ちょ、ちょっと窓開けますね……」


 深雪が掃除機を片手にそう言った。熱気がごうっ、と入ってきて、ヨウマは体が溶けるような思いをした。モーターの高い音がする。


「いつもありがとね」


 トイレに向かいながら、彼はそう声をかけた。


「うへ、うへへ……」


 と深雪は変な笑い声を上げるばかりだった。


 下手な鼻歌を歌いながら、深雪は家の隅から隅まで丁寧に掃除機をかけていく。家そのものを慈しむような手を、優香は黙って眺めていた。


「な、何か御用ですか?」


 掃除機を片付ける傍ら、怯えさえする様子で深雪は質問した。


「ううん、上手だなって」

「そ、そんなことないですよ」

「謙遜しないで。私の家にいた家政婦さんにも見せてあげたいくらい」

「うへへ……」


 耳の先まで真っ赤にした彼女が可愛らしくて、優香はずっと見ていたいと思った。


「深雪ちゃんはさ、どうしてここで働いてるの?」


 浅慮なままに、優香は尋ねた。


「む、昔はお母さんがジクーレンさんの家政婦をしてたんですけど、私のお父さんがオビンカから借金をして、いなくなって、お母さんが自殺して……行く場所がなかったのをヨウマさんが拾ってくれたんです」

「じゃあ、ヨウマは命の恩人なんだ」

「そ、そうですね。そういう言い方をすると、なんか不思議な感じですね──」


 こそばゆいのを誤魔化すために笑おうとした深雪は、相手の淀んだ瞳を見て思い止まった。


「ここに来たこと、どう思ってるの?」


 本を置き、外を見やる優香。その物悲しい視線が目指す先に立って、深雪は窓を閉じた。


「しょ、正直なことを言うと、私、お父さんもお母さんも嫌いだったので、いなくなってよかったと思ってます。だから、ここにいるのは、ありがたいっていうか」

「そんなに嫌いって、何があったの?」

「……言えないです」


 深雪はエプロンの裾を掴んで、俯いた。


「言いたく、ないです」

「……ごめん」


 どうしようもない気まずさが場を支配して、二人はただ押し黙っているしかなかった。それを破壊したのは、ヨウマだった。濡れた手をズボンで拭きながらやってきた彼は、ぐるりとリビングを見渡してから、口を開く。


「どうしたの?」

「なんでもないよ、私が変なこと聞いちゃっただけ」


 そう言って優香は逃げるように部屋に向かう。残された深雪が涙を零しているのを見て、彼は事情を察した。


「話したの?」


 彼女は首を横に振る。


「自分のペースで話せることから話していけばいいよ。誰も悪くなんかないんだから、泣かないで」


 そっと、彼は深雪の頭に手を乗せた。ジクーレンの真似事だ。


「優香も悪意があったわけじゃないと思うよ」

「そ、そ、そっ、そういうことじゃないんです。ただ、お父さんの顔が出てきて、怖くなっちゃっただけなんです」

「そっか。大丈夫、お父さんはいないよ。誰も深雪を傷つけたりしない」

「うう、うう……」


 凭れかかってきて呻く深雪を、彼は静かに抱いた。





「やったか?」


 裏路地の中、3本角の男が、息を切らす1本角の相手に問うた。


「ああ、確かに仕掛けた」


 1本角の男が自慢げに答える。室外機が熱い空気を吐き出す。


「行くぜ、3、2、1……」


 3本角の右手に嵌められた、揺らめく赤の指輪が光った。彼の予期するは、派手な爆発音。しかし、聞こえない。何度も念を送り、指輪を光らせても、何も起こらなかった。


「なんだ、どういうんだ!?」


 慌てて裏路地から大通りに出れば、バスから降りて不平を言う人々が彼の前を通り過ぎた。


「バスが……爆発していない!?」

「ちゃちな術ねえ」


 低く太い声が彼の背後から聞こえた。


「なんだと!?」


 振り向いたところには、イルケが右手に煙管を、左手に黒い塊を持って立っていた。ベージュのノースリーブのニットに、デニムのパンツという出で立ちだ。左胸には無線機が下げられていた。


「爆弾はアタシが無効化したわ。ヘッセで起爆する爆弾、使うならもっと複雑な術にしないとこういうことになるわよ」

「この……ッ!」


 3本角は腰背部から短刀を抜き、斬りかかる。だがするりと避けられる。煌めく煙管がトン、と首筋に当たる。すると、3本角の全身が硬直し、そのまま地面に倒れた。イルケはその傍に爆弾を置き、裏路地に入る。


「な、なんだてめぇ!」


 1本角がナイフを振り回して威嚇する。


「アタシ? ユーグラス七幹部のイルケよ。降参なさい」

「し、七幹部だと……なんでこんなところに!」

「さあ? なんでかしらね」


 話しながら、イルケは1歩ずつ相手に近づく。ランウェイを行くモデルのように。美しく。しかし1本角が付け入る隙はそこにない。細まった目が、冷徹に敵を見下す。


「2回目よ。武器を捨てて、投降しなさい」


 1本角は震える手でナイフを握りしめる。


「で、でりゃああ!」


 と声を上げながら彼は突撃をかける。が、刀身を煙管に叩かれ、軽くいなされてしまった。


「3回目。次はないわよ、早く手を上げなさい」

「うるせえ! ユーグラスも地球人も血祭りにあげてやるんだよ!」


 ナイフを構え直した相手を見て、イルケは溜息を吐いた。


「残念ね」


 そう言ったのと同時に、イルケは間合いを詰めていた。全く気付かない内に肉弾戦の間合いに持ち込まれた1本角は、驚いて後退ろうとする。だが、イルケの左手がその頭を掴んだ。


「さよなら」


 いくつもの指輪の内、くすんだ赤のものが発光した。すると、西瓜が割られたように、1本角の頭蓋が吹き飛んで、薄暗い道に血液と脳味噌が飛び散った。


「この術、汚れるから嫌いなのよね」


 血に染まった左手を見ながら、呟いた。


「イルケさん、こいつですか?」


 裏路地の外から声がする。


「そうよ。体が動かせないからなんとか運んでね」


 ポケットから黒いハンカチを取り出し、左手の血を拭う。


「さ、行かないとね」


 駆けつけた人員に全てを任せ、走り出した。





「でも、イルケさんが遅れる以上、無理はできませんよ」


 揺れる車の中で、キジマが一人の、防刃ベストを付けたニェーズを前に言った。壁沿いの長椅子に、似たような装備の隊員がヨウマとキジマも含めて10名が座っていた。刀、短剣、斧、槍。それぞれが得意とする武器を携行し、静かに時を待っていた。七幹部の不在に不安を懐く隊員達を見渡して、彼は笑ってみせる。


「ま、そう暗い顔しないでください。なんとかなりますよ。俺とヨウマがいますからね」


 言いつつ、彼は帽子の位置を直す。与えられた任務は、アジトに潜むテロリストを制圧すること。


「ニーサオビンカが出てこなきゃいいけど」


 ヨウマが不意にそう口にした。


「悪い方に考えたって仕方ねえさ。やれることをやろうぜ」


 車が止まる。扉が開く。


「行くぞ、突入だ」


 放たれた猟犬のように、彼らは走り出す。古びたアパートの階段を上り、一室の前で止まる。後ろから前へ、肩を叩くリレー。それがヨウマから先頭のキジマに至ると、キジマは扉を蹴破った。


「ユーグラスだ! 武器を捨てて手を上げろ!」


 踏み込んだ先は、2LDKの部屋。玄関から上がって左の戸を開けば、ダイニングだ。しかし、そこには誰もいない。四角いテーブルに、椅子が1つ置いてあるだけだ。


「ガセネタを掴まされた……ってことか?」


 キジマが口にする。


「いや、人の気配がするよ」


 ヨウマが言った。


「多分、あの部屋だ」


 彼が指差した扉が、ゆっくりと開かれる。


「なんだ、騒がしいねえ」


 出てきたのは、上裸のニェーズの男だ。しかし、顔以外の全身を覆う傷だらけの赤い甲殻のせいで、そういう印象はあまりない。長い髪は腰の辺りまで伸びている。ジーンズの両腰には手斧が下げられている。そこに当てられる両手にはヨウマのものと同じような指輪。側頭部に角が1対、左右対称に長いものが生えている。その容貌は若々しく、獰猛な獣を思わせるものだった。


「誰?」


 刀を向けて、ヨウマが問う。


「フランケ」


 男は軽く答えた。


「フランケ……ニーサオビンカ第8席」


 キジマが拳を構えながら言った。


「よく知ってるな。そうだよ、ニーサオビンカの下っ端さ。それで? 何の用だ?」

「ここが夜明けのタルカの重要なアジトの一つだと聞いた。まさか、ニーサオビンカが関わってるとはな」

「ん? ああ、タルカの件で来たのか。ここは単なる俺の寝床だよ。タルカの連中はここを使っちゃいない」

「なんだと?」

「ま、ここのことをゲロった奴の狙いはわかるけどな」


 眠そうな顔で淡々と受け答えをするフランケは手斧を抜いた。それを瞬時に投げ放てば、2本の斧は二人のニェーズの頭に突き刺さった。


「ここでユーグラスの戦力を減らさせたいのさ。退屈させるなよ」


 どす黒く赤い刃を持つ斧がふわりと浮き上がって、指輪が輝くフランケの手に帰っていった。


 フランケがキジマに向かって床を蹴る。両の斧を振り上げる。キジマは腕の甲殻で防御する。少しばかり食い込んだところで、斧は止まった。


「ニェーズにしちゃ小さいが……ハーフだな?」


 ニヤリ、フランケは微笑む。斧を引き抜き、キジマを蹴飛ばす。そこにヨウマが来る。逆袈裟を受け流し、上段からの振り下ろしを受け止める。フランケが得物から手を放す。浮いたまま切り結ぶ斧。彼はヨウマの頬を殴り、腹を蹴り、頭を掴んで投げ飛ばした。


 槍を持ったニェーズが突っ込んでいく。フランケは斧を回収しながら刺突をすり抜けるように避け、その首を刎ねた。吹き出た血が壁と床を汚す。


 怖気づいた隊員が、逃げ出そうとする。その後頭部に斧が直撃し、倒した。


「逃げるなよ……」


 コツコツと歩いて斧を拾い上げながら、フランケは呟く。


「楽しもうぜ、殺し合いをよお!」


 敵に向き直り、彼は大声を上げる。


「遊びのつもりなら、さっさと降参したほうがいいんじゃない?」


 いつの間にか立ち上がっていたヨウマが言う。


「地球人のガキが、ニーサオビンカに勝てるわけないだろう?」

「オビンカならだいぶ殺したよ。アンタもそんなに変わらないんじゃない?」

「生意気なガキだな。名前は?」

「ヨウマ」

「ヨウマ? へえ、お前が……楽しめそうだ」

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