「ここですか？」

　冬治が駐車場に車を停めてそう言う。

「ええ、少し歩けばヨウマの家です」

　キジマがハキハキと受け答えをした。

　冬治が開いた扉から、俯いたまま、優香は降りた。

　総督府は、公式にはニェーズを差別していない。しかし、社会の持つ感情と、数百年前のある出来事から、ニェーズは都市の外縁部で生活しているのが現状だ。かつて、都市と田園地帯との境界線に、木と漆喰から成る大規模な住宅地が存在し、その様相は日本の伝統的な住宅を思わせるものだったという。

　しかし、入植から50年が経つ今では、そういう建物は減っていき、今では鉄筋コンクリートの高層低層の住宅が並び、本国の都市となんら変わらない光景が広がっていた。

　ローテンションで歩く彼女を、すれ違うニェーズ達は好奇と猜疑と排他の目で見る。不安に揺れる手を、ヨウマが掴んだ。

「前見てないと、迷うよ」

「……うん」

　力なく答える彼女に、ヨウマは幾許かの同情をした。

「ヨウマはさ、どれくらい……殺したの？」

「数えてない。一々気にしてたら面倒じゃん」

　入り組んだ細い道を、４人は進む。そうして５分ほど歩いた頃、

「あら、ヨウマちゃんじゃない！」

　というドスの利いた声がした。声の主は、2メートル半くらいのニェーズだ。その性別は、なんとも言えなかった。ノースリーブのニットは女ものだが、そこから見える骨格は明らかに男で、しかしその顔面は丁寧に化粧がされていて美しく──ヨウマはそのニェーズを、男と女の中間にある存在だと思っていた。

「やっほ、イルケ」

　イルケは銀色に染めた長髪を揺らしながら左手でヨウマを撫でる。その指には色とりどりの指輪が嵌めてあった。

「その子はどなた？　もしかしてガールフレンド？」

「いや、仕事の相手」

「なぁんだ、つまらないこと」

　イルケは右手の煙管を吸って、煙を吐き出した。その煙管は、ヨウマの指輪と同じ、揺らめくような赤色をしていた。

「イルケさん、こっちは仕事中なんです。あまり話しかけないでもらえますか」

　キジマがそう言うのを聞いて、イルケは細い目を彼に向けた。

「アタシはヨウマちゃんとお話してるの。割って入らないでくれる？」

「それはすみません。でも、とにかく邪魔はしないでいただきたいんです」

　渋々と、イルケは一行に背を向けた。だが、すぐに立ち止まる。

「ヨウマちゃん、女の嫉妬は怖いわよ。気をつけることね」

　きょとんとした顔で、ヨウマはイルケを見送った。

「あの人、何？」

　腐った瞳でそう問う優香に、彼は少し困ったような顔をした。

「近所の人だよ。男なのか女なのかは、聞いたことないけど」

「そして、ユーグラス七幹部の一人でもある」

　歩くことを促しながら、キジマが付け加えた。

「七幹部？」

　優香が問う。

「フロンティア７最大のニェーズ組織グッスヘンゼユーグラス、その意思決定機関です。ま、あの人は警備会社の方には滅多に顔を出しませんが」

「そんなすごい人なんですね……」

「別に大したことないよ、タバコ吸って散歩して寝てるだけだよ」

「ヨウマ、言葉は選んだほうがいいぜ」

「気に障った？　ごめん。でも、あの人が何かしてるところ見たことある？」

「賢い獣ほど静かに機会を待っているものなのさ」

「そういうことなのかなあ」

　そんな話をしている内に、一行は１軒のアパートの前で足を止める。３階建てで、真新しい綺麗な建物だった。

「ここ。僕の部屋があるところ」

「よし……冬治さんは待っていてください。ちょっと事情がありまして、俺とヨウマ以外の男が入るとトラブルが」

「承知しました」

　冬治を置いた３人は階段を登る。203号室の前で、ヨウマは財布から鍵を取り出した。

「あー、優香は僕の後ろに隠れたほうがいいかも」

「え？　うん、わかったけど……」

　彼の言葉通りにした彼女は、不思議なドキドキを感じていた。この無機質な感じさえある少年がどんな生活をしているのか、その興味が重く沈んだ心を少し浮かせた。

「深雪みゆき、ただいま」

　扉を開きながら彼はそう口にした。

「お、お、おかえりなさい！」

　吃りながら彼を迎えたのは、頬に傷跡のあるエプロン姿の少女だった。背は低く、優香と変わらない。短い髪は緊張に震え、その手にはコードレスの掃除機が握られていた。薄暗い廊下において、彼女はぼんやりと浮き上がるくらい白い肌をしていた。

「ちょっと話があるんだけど、いい？」

「も、もっ、もしかしてクビですか!?」

「いや、ちょっと同居人ができてさ」

「ど、同居人？」

　優香がヨウマの後ろから出てきて、手を振った。

「女の人!?　やっぱり、私いらないんですか!?」

　狂ったように彼女は大声を出す。その息は浅くなり、ガタガタと瞳が右へ左へ動く。

「落ち着いて。ただ君がお世話する相手が二人になるだけだよ」

　ヨウマは靴を脱いで廊下に上がり、深雪の頬に触れた。

「大丈夫、大丈夫だから」

　優しい口調の言葉に、彼女は溶けていくように落ち着いた。

「ほら、挨拶して」

「私、深雪と申します！　えっと、えっと、この家の家事をやってます！」

　過剰なほど深いお辞儀をした彼女に、優香は軽く微笑んだ。

「出渕優香です。これからよろしくお願いします」

　玄関を上がった彼女は、手を差し出した。深雪の視線はその手と優香の目を何往復かした。そして、飛びつくように両手で相手の手を握った。

「そのぉ、ヨウマさんとはどういう関係なんですか？」

　オドオドとした態度から放たれた質問に対して、優香は一瞬言葉を選びかねた。だがすぐに持ち直して、真っ直ぐに相手の目を見た。

「私の護衛をしてくれている人ですよ」

「私から、取ったりしませんか？」　

「まさか。そんな関係じゃないですよ」

　笑い混じりに優香は否定する。

「深雪、優香と相部屋でいい？　さすがにリビングで寝かせるわけにはいかないし」

　いつの間にか奥の方へ行っていたヨウマが言う。

「は、はい！　わかりました！」

　体を強張らせて彼女は答える。

「深雪、案内頼むよ。僕は親父のところに行かなきゃ」

「ばっかお前、護衛対象から離れてどうする。団長には俺が伝えておくよ。お前はお嬢様と仲良くしといてくれ」

「確かにそうだ。キジマ、お願いね」

　ひらひらと手を振って、キジマは立ち去った。

「この家のこと教えとくね。玄関入って左手の部屋が深雪の部屋。だから、優香の部屋にもなるね。で、その隣が僕の。右手のとこがトイレで、隣がお風呂。わかった？」

「うん。ありがと」

「じゃ、お茶にしよっか。深雪、お菓子ある？」

「あっ、はい！　いっぱいあります！」

　深雪はトテトテと走って掃除機を充電する。その背中が、優香にはとても可愛く見えた。

◆

「それで、実行犯は自殺したと？」

　警備会社本部の会議室で、コの字型の机の、上座に座るジクーレン──ヨウマの親父が言った。

「ええ、捕らえる直前に頭を撃ち抜きました」

　眼鏡にスーツの、杖を突く小柄なニェーズの男がそう言った。その顔には多くの皴がある。

「オパラ、ヨウマが連れてきた奴の尋問は？」

　書類の束をスーツ男から受け取りながらジクーレンが尋ねる。オパラ、と呼ばれたのはそのスーツ男だ。眼鏡をかけ、髪を後ろで一つに纏めている。不安げな表情で、彼は席に戻った。

「思いの外口が固いそうです」

「拷問だ！　痛めつけて吐かせてやれ！」

　肩幅の広い、オールバックのニェーズの男がそう叫んだ。若々しさと荒々しさを備えた彼は、拳を強く握っていた。

「オーサ、下手なことを言うな。拷問で得られた情報の確度は低い。オパラ、どうにか懐柔してくれ」

「わかりました」

　オパラは深々と頭を下げる。

「イルケは今回も欠席？」

　扉を開けて、気怠げな声で言ったのは、若い女のニェーズだ。天然パーマの彼女は欠伸をしながら空いている椅子に座った。

「七幹部会議に出ないなら、やめさせてもいいんじゃない？」

「しかし、グリンサ、アナタではイルケに勝てない」

　作務衣に白仮面という奇天烈な出で立ちのニェーズが、淡々とした、そして嗄れた声でそう言った。

「あーあーあー、そういうの嫌いなんだけど。ナピ、あんまり舐めてると幹部やめることになるよ？」

　ジクーレンはそういう会話をじっと聞いていた。

「揃ったな」

「団長、シェーンは？」

　二つの空席を見たグリンサが尋ねる。

「急患だそうだ。それなら仕方がないだろう」

　立ち上がった彼は、発言を待つ幹部達の顔を一つずつ見ていった。

「今回のテロ、オビンカ・グッスヘンゼとの繋がりがあるやもしれん」

「へっ、実行犯がオビンカって時点でわかりきってたことだ。今更言われるまでもねえよ」

　オーサが苛立ちを隠さずそう言った。

「最悪の事態を想定すると……オビンカ最悪にして最強の集団、ニーサオビンカが出てくるかもしれない、ということでしょうか」

　そう訊くナピの態度はフラットなもので、言葉以上の情報を読み取るのは不可能だった。

「ああ。故に、幹部諸君には備えていてもらいたい。我々が率先して対処しなければ……１日のうちに２桁の死人が出ることになる」

　空気がピリっとひりついた。

「娘さんを襲ったのもオビンカだったと、キジマとヨウマの報告にあります」

　オパラが言う。

「何か、良くない方向に事が進んでいるように思えます」

「臆病だなお前は。ニーサオビンカの一人や二人、千切ってやるよ」

　大声で彼を嗤ったオーサは、ひとしきり声を出した後、ジクーレンに向き直った。

「団長、俺たちが常に戦場にいられるわけじゃねえ。その辺りの戦略ってのは考えてあるのか？」

「ニーサオビンカは常に８人。しかし、いつどこで出てくるかはわからん。吾人としては、ガサ入れに七幹部を一人付ける程度のことしかできんよ」

「じゃあ誰が行くんだ、俺か？」

「アタシが行くわ」

　深く、低い声がして、皆扉の方を見た。イルケが煙管を持って立っていた。

「珍しい。イルケが会議に出てくるなんて」

　グリンサがクスクスと笑う。

「ちょっと気分が乗ったのよ。ジクーレンへの伝言も受けたことだしね」

「伝言だと？」

「ヨウマちゃんが地球人の女の子を連れ込んだの。父親として気になることでもあるんじゃないの？」

「地球では、英雄色を好むという。女の一人や二人囲ったところでなんとも思わんさ」

　コツコツと歩いて、イルケはジクーレンに最も近い席に着いた。

「しかし、どういう心境の変化ですか？」

　ナピは静かな口調で問う。

「自由を愛するアナタはこういうことを嫌うと思っていたのですが」

「ジクーレンはきっとヨウマちゃんを使うわ。なら、七幹部で一番の仲良しのアタシが行かない理由はないでしょう？」

「団長、ヨウマにやらせるおつもりなのですか？」

「戦闘になるなら呼ぶかもしれんな。だが捜査には使わんよ。地球の言葉に、餅は餅屋というのがあるが、そういうことだ」

「でも、捜査部だけじゃ無理。制圧のために必ず戦士を付けるはず。実力で言えば、ヨウマちゃんとキジマくんのコンビがいい感じじゃないかしら」

「敵わんな。イルケには」

　ジクーレンは小さく口角を上げた。

「そうだ。テロ組織の正体とアジトが分かり次第、捜査部を動かすが、その際に警備部からも人手を出す。人員の選定はまだだが、俺個人はヨウマとキジマが妥当だと思っている。お前たちはどうだ？」

「団長が言うなら、従うぜ」

「私も。あの二人ならヘマはしないでしょ」

　幹部から同意の声が上がったのを聞いて、ジクーレンは何度か頷いた。

「それでは、次の議題だが──」