悪友との間で、そんなやりとりもあったのを思い出して、筧二は心拍数が上がるのを感じた。
今はイタリアンレストランの軒下で、望夏の到着を待っている。雨はやみ、頭上のビニール製の屋根から、しとしとと雫が落ちるのを眺めていた。
一台のタクシーが、視界に停まる。薄手のスカートが翻り、両方白のブラウスとカーディガンを羽織った望夏が、支払いを終え降りてきた。
「安城先生、お待たせしました」
「待ったなんて、全然。今日は来てくれてありがとう」
「頼まれていた疎明資料は、デスクに置いてきましたので」
「悪かったな、急ぎで揃えてもらって」
疎明資料とは、明日の裁判に持ち込む写真や文書の総称だ。仕事の早い望夏は、翌朝でも構わないと指示した作業を、こなしてから退社してきたようだ。
軽く彼女の肩に手を添え、周囲を見回してから二人は、店の扉の奥に消えていった。
店内には、料理や調理場からの、良いにおいが充満していた。時刻はもうすぐ十九時を迎える。席はほとんどが埋まっていて、たのしげに話す女性グループの姿が目立った。
筧二は予約済みである旨をそばにいたボーイに伝え、壁際のテーブル席へと腰を落ち着けた。向かい側に、望夏が座る。
へえ、と、彼女は装飾品のポスターなどを見渡してから、言った。
「オシャレで素敵なお店ですね。よく来るんですか?」
「まあー……ね」
なんだか会話のおかしなところで背伸びをしてしまった。
「うわあ、デザートもお酒も種類が豊富。先生のおすすめを教えてください」
(おすすめ? 弱ったな)
独り身のさびしい男だと思われたくなくて、見栄を張ったツケがさっそく回ってきた。筧二はがさつにメニューブックを開く。
「……どれもおいしそうだな」
挙句の果て、素直に出た言葉がそれだ。
筧二の様子から、察しはついていたようで、望夏がくすくすと鈴を鳴らすように笑った。
「なら、いろいろ頼んでシェアしましょっか」
「乾杯」
食前酒には二人でシャンパンを頼んだ。フルートグラス内のピンクのロゼは、肌の白い望夏によく似合った。幸せそうに双眸を細めグラスを傾ける彼女に、筧二は手を止めてただただ見とれていた。我に返り、白の辛口を勢いよくあおる。
少々むせて、ボーイたちの姿が厨房側に集中しているのを横目で確認し、筧二はぽつりと話し出す。
「どうも、いけないな」
「先生?」
「君といると、年齢相応の、スマートな男を演じようとして、逆に格好悪いところを見せてしまう」
この店の存在も、宮下部から教えてもらい初めて来たのだと打ち明けた。その上で、はは、と自嘲気味に笑う。
「御蔭くんには気楽に食事して、笑っていてもらえたらと思えるのに。肝心の自分が、一番不自然っていうね」
(我ながら背伸びなんかして、どうしようもない奴)
こんな独白さえ、己の格好悪さに拍車をかけているのかもしれなかった。でも、望夏には不思議と、些末なことさえ聞いてほしくなる。
キスで結ばれた相手であるとか、一切関係なく。
ひとくち、ロゼでのどを潤してから、望夏は切り出した。
「私はね、むしろうれしいんですよ」
「うれしい?」
「ギャップ、なんて言葉で括るのは簡単ですけれど。弁護士のイメージとは違った先生の像に、まさに今、触れているんですから」
望夏の唇がゆるみ、天井から差す、暖色の光を跳ね返す。
「格好悪いと一人で決めつけずに。本当の安城先生を、もっと見せてほしいです」
年下女性に甘えていると言われればそれまでだが、うれしさが勝った。
ふと、心にあたたかい風が送り込まれているのに気づく。
(彼女の持つ、凪いだ湖のような空気を。今夜、この瞬間から、共有していけたらいい)
筧二は息を吸い、迷いなく告げた。
「君が、構わないと言ってくれるのであれば。先日から伝えようと、考えていたことがあるんだ」