「おはようございます!」
「あ、ああ。おはよう、御蔭くん」
既に到着していた望夏から、にこりとほほ笑みかけられた。筧二もつられて、不器用に笑う。
筧二たちがいるのは、弁護士ひとり一人に与えられている小部屋。大小のデスクが一つずつと、本棚、書類整理用のボックスなどが置かれている。
望夏は朝の日課として、今日も濡れ布巾を片手に掃除をしていた。あいさつが済むと、せっせと、ローヒールの足で床の上を移動してゆく。
「まだ始業前だし、疲れない程度に頼むな」
見とれていた筧二は、我に返ってやっと、そんな風に声を掛けた。はいっ、と、はりきった返事が聞こえた。
(まったく、普段からこうも真面目で。美人で感じも良くて。俺は幸せ者だよな)
同じ部屋に勤められる幸運に、改めて感謝した。同時に、自分もそろそろ気を引き締めなければと、胸に拳を置き深呼吸する。
「あのぅ、『筧二』先生」
「なあっっ?! もう、名前……!」
「あ、ごめんなさい。名前呼びは、お嫌でしたか?」
目の前にやってきた望夏が、丸い瞳を向けてきていた。筧二は何度も、首を左右に振りたくる。
「嫌じゃない。けども、とりあえずまだ、苗字に先生付けで頼む」
(俺の心の準備ができてないから)
気を引き締めると誓ったばかりなのに、情けない。ぎくしゃくした面持ちで告げると、
「わかりました。安城先生」
対照的に歌うような声で、さらりと望夏は答えた。
筧二の心臓は今も、ドキドキいっていた。しかし、あわてている姿ばかり、彼女に見せるわけにもいかない。
「ところで御蔭くん。さっき僕に、何か言いかけやしなかったか」
「はい。その、私たちって、先生がおっしゃっていた仕来たりによると、既に結婚の話をしていくべき仲なんですよね」
(やはり同じことが気になってたか)
気持ちを確かめ合ったばかりで、二人はまだ何も始まっていないのだ。職場以外で話す機会がほしいと思っていた。筧二は真面目な顔つきになり、尋ねた。
「君はあすの夜、予定はあるか? もし何もなければ、いっしょに食事でもどうかと思って」
今後の、つまりプライベートの話もしたいし。小声で付け足す。女性を私用で食事に誘うなんて、何年ぶりだろうと考えていた。
「よろこんでお供します!」
望夏がぱっと、笑顔になる。それを見た筧二も表情をやわらげ、店の場所や待ち合わせの詳細は追って連絡すると伝えた。