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キスの国のピアニッシモ
ぽなせ市歌
恋愛オフィスラブ
2024年08月29日
公開日
20,634文字
連載中
 一度でもキスをした男女は、必ず、結婚しなければならない。キスの国。
 そんな一見ふざけた、法律のある国が、世界のどこかに存在するか否か。

 ――あるんだ実は。だから答えはyesだ。

 なんで断言できるかって? それはまぎれもなく、その慣習のある国が俺の出自であり、
 避けてきたキスをいわば【なりゆき】で、憧れの女性に今、ありふれた日本の路上でしているせいで
 俺は人生史上最大の、混乱の極みにいる――


※15歳以上を推奨とした作品です※


・登場人物・
安城筧二(34)
【向井法律事務所】所属の弁護士。他社から移籍して5年。独身。
黒髪に髭づら、メガネの男性。真面目な性格で、会社のOLからは『渋オジ』認定されているが、
その点について本人は気づいていないという天然さも持ち合わせる。
キスした男女同士は結婚、と定められた血すじに雁字搦めになっており、やや不器用な生き方をしている。

御蔭望夏(28)
【向井法律事務所】秘書課に勤める独身OL。
選りすぐりの万能事務員のみが配属される第一秘書課に籍を置くものの、
プライベートでは明るくほがらかな、平凡に生きてきた女性。
ある夜、上司である筧二から突然キスされてしまい――…

・本書の歩み方・

各章の冒頭にだけ、望夏の心情をつづっています。
このページ以降は基本、筧二サイドで話が進行します。互いを思いやる故に迷う、二人の恋物語をおたのしみください。

望夏のきもち.1

 安城あんじょうさん。安城筧二あんじょうけんじさん。私より、5歳くらい上の男性弁護士。付けるべき呼称は、先生。

 本人からの依頼で、私は次の裁判が終わるまで彼の助手をしている。契約が始まったのがおよそ2か月前。4月の終わりのこと。

 その安城先生から、昨晩いきなり、キスされた。人影のまばらな路上。同僚たちとビアガーデンに行った帰りだった。

 春から初夏のこんにちまで、向こうも私も特に思わせぶりな言動はしてこなかった。関係は至って良好。指示の的確な弁護士と、過不足なく動き回れる秘書兼助手。それ以上でも以下でもなく、働きやすさに私は感謝していた。


(だったのに)

 夜が明けて、日の光を浴びながら、私は自分の唇に人差し指の腹をそっとすべらせた。

 毎日、ハンドクリームでケアを怠っていない指も柔らかいけれど、先生の唇はもっと柔らかかった。私の肩に触れ、振り向かせた時の手の厚み、口元に伝わる熱もありありと思い出す。やだ、顔が熱くなってきた。男の人とキスとか、数年ぶりだったからなぁ。


「……それにしても」

 キス直後の安城先生、目を見開いて『自分からしたけど、めっちゃ驚いてます!』と言わんばかりの硬直ぶりが印象的だった。職場では想像できないくらい狼狽していた。私だってあわてていたけど、逆に冷静さを取り戻していったくらいだ。

 弁護士といえば通常は、ザ・金! 女! 遊び! ってイメージじゃない?

 まぁ安城先生からは、あんまりその手の香りはしないけれども。一夜限りとか、苦手なタイプなのかな?


「なーんちゃっ、て」

 実直な仕事ぶり通り、ワンナイトや遊びの恋、しない人だといいなぁと思っている。むしろそう願っている。

 私自身が地味で実は奥手だからだ。女の子中心だけど友達も多いし、性格は暗い方じゃない。でも心では平凡、普通を望んでいる。

 現在、彼氏はいないけれど(というかいた時期の方が少ない)、30歳を目前にして誰かのお嫁さんになれるのなら願ったりだ。

 白く四角いテーブルに覆いかぶさるようにして、私はたまらずにやけた。軽く手足をバタつかせる。


 今は平日の午前9時。ファミレスの大きな窓際は、晴天で少し暑い。

 普段なら出社して既に業務に就く時間だけど、昨夜の別れ際、安城先生きってのお願いでここに集まることになった。

『いきなり、こんなことしてすまない。あすの朝、できるだけきちんと説明するから』

 本人が謝っている行ないに対する、釈明を聞かせてもらう。会社のタイムカードは2人分、先に出勤して切ってきてくれるそうだ。


 そう。どうして急に口づけなんてしたんだろう。きっとよっぽどのことなんだ。私から何か行動を起こすにしても、そのあとでいいはず。

(教えて。安城先生)

 ほんのちょっとでも、私を異性として『いいな』と思っていてくれたの? だとしたらうれしい。

 だって私も、近くで働く日々の中で、先生に惹かれ始めていたのだから――


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