「は? 嘘を吐くならもっとまともな嘘にしなさい」
朝一番で辺境伯様との婚約を父に報告した。その反応がこれだ。
自分で婚約者を決めるための夜会にねじ込んでおきながら信じようとしないのは何故なのか。
「はぁ。ではキール様から婚約についてのお手紙が送られるはずですので、そちらを見ていただければ」
「キ、キール様だとっ!? 随分と気安い仲になってのは間違いないようだが……。娘よ、頼むから本当のことをいっておくれ」
「だから本当ですって。指輪もいただきましたよ?」
そういって私は人差し指に嵌った指輪を見せつける。
「確かに素晴らしい品のように見えるが、随分と古ぼけているな」
「ええ。これは婚約の指輪ではなく、私の刺繍をお渡しした返礼として頂いたものなので」
「お前の刺繍なんかと?」
「ええ、私の刺繍
私は返事も聞かずに立ち上がると振り返ることもなく部屋を出る。
「また嫌味をいわれちゃってましたねー」
そこにはメイドとは思えないほどニヤけた顔をしたメリンダが立っていた。
「はぁ、嫌になっちゃうわ」
父が刺繍を嫌っているのには理由がある。
我がエヴァンス家は三代前の当主が隣国との争いで功を上げたことで拝命した男爵位だった。
ただ男爵家とは名ばかりで領地すら持っておらず、ここ王都での商売で生計を立てている小さな家だ。
扱っている商材は布生地。
多種多様な素材や色の布を国中のテーラードに卸したり、小口で量り売りをしたりもしている。
うちは王家御用達のテーラードにも卸していたんだぞというのが父の口癖だけど、過去形であることから現在の様子が伺えるというものだ。
ちなみにウチでは作れない天絹という新しい布を作り出した商家が、今はそれらを一手に引き受けているらしい。
王家御用達の冠がとれた現在の我が男爵家は、というと客足が遠のき、没落寸前になったのだ。
そんな中で、私が刺繍をした商品を売ってみようと提案したのだ。
「旦那様もお嬢様の刺繍には随分と助けられてると思うんですけどねー」
「きっとお父様はそれが嫌なのでしょう」
父は最初、売り物の布に加工することをひどく嫌がった。
布自体が素晴らしい品なのだからそのままの姿で売りに出すのだ、と。
けれどそんなことをいっていたらたちまち青息吐息、我が家の家計は火の車となった。
そんな状態になってようやくハンカチ程度のものなら、という条件でお店の片隅に私の刺繍を置かせてもらえるようになった。
きっと父としては破れかぶれだったのだろうけれど、それは売れた。
私一人の生産力はたかがしれていたけれど、新しいものを用意するたびに商品はたちまち消えていった。
刺繍を目当てにした客足が増えた結果、メイン商品の布を手にとってもらえることも増え、このところようやく安定した経営状態に戻りつつあるといったところだ。
それでも父は私の刺繍のおかげで没落せずに済んだ、という事実がとにかく気に入らないらしい。
私としては家のために当然のことをしただけで、それを誇ったり恩を着せたりするつもりは全くないのだけれど。
「まー旦那様の刺繍嫌いはもう仕方ないかもですねー。そんなことよりも!」
メリンダはニヤけた顔を指で引っ張ることでどうにか引きしめると、姿勢を正した。
「ローゼリアお嬢様、ご婚約おめでとうございます」
「な、なに? そんな改めて。気持ち悪いんだけど」
「いやー婚約なんてのは多分メイビーおそらく一生に一度でしょうから、こんな時くらいはちゃんとしようかと思いましてー」
「多分メイビーおそらくって何よ……まったく。でもメリンダ、ありがとう」
一番身近なメイドあり、長年一緒にいる大事な友だちともいえるメリンダとハグをした。
「いやーこれで私も肩の荷がおりたってものですよー。私も結婚しちゃおうかなー」
「え、もしかして私荷物扱いされてる? そんなことよりメリンダ、あなたまさか相手がいるの? 初耳なんだけど」
「相手はこれから探すんですよ! 私くらい美人で器量よしだとすぐ見つかっちゃいますねー」
「そっか。そうだよね……」
幼い頃からずっと一緒だったから。
これからもずっと一緒なんだって、勝手に思ってた。
でも結婚したら私はキール様の領地に行ってしまうわけで。
そうなったらきっとメリンダともお別れだ。
「ちょ、そんな寂しそうな顔しないでくださいよー」
「だって寂しいんだもん」
メリンダはやれやれといった顔をしながらメイド服のポケットに手を入れた。
少しくたびれたハンカチを取り出すと、私の目元を拭ってくれる。
「はいはい、泣かない泣かない」
「……ずずっ。それ、まだ持っててくれだんだっ……」
「ふふ、当たり前でしょう」
メリンダの手にあるそれは私が刺繍を始めたての頃に作ったものだった。
1つ目は母に、2つ目は父にあげたけれど使っているところを見たことがない。
おそらくとっくにゴミとして燃やされていることだろう。
3つ目に作ったハンカチもとっくにゴミになってると思っていたけれど……メリンダは今でも大事に使ってくれていた。
「これは私にとってかけがえのない宝物ですからね。だからボロボロになっても使い続けますよー」
「……ありがと」
「まぁボロボロになる前にまた作ってくれてもいいですけどねー」
なんて軽口を叩きながら、メリンダは大事そうにハンカチを折りたたむとポケットにしまった。
「じゃあ、……きてよ」
「え、なんですって?」
「キール様の、辺境伯様の家についてきてよ!」
きっと断られる。
メリンダにはここでの仕事もあるし、なによりこの王都が故郷なのだから。
「えー。お嬢様がメリンダ離れしないと私の結婚はどうなるんですー?」
「相手もいないし予定もないでしょ! ほら、向こうに運命の人がいるかもしれないし」
「はぁ、困ったお嬢様ですねー。ま、考えておきますよ」
そういって笑うメリンダは何故か嬉しそうで。
あとでメリンダのための新しいハンカチを作ろう、そう決めた。
その日の夜——。
辺境伯様から早速正式に婚約をしたいという旨の手紙が届いた。
それを読んだ母の目は涙で濡れ、父の目は丸くなった。
近い内に挨拶へくるという添えてあったことで、屋敷は辺境伯様をお迎えする準備で大騒ぎになったのは言うまでもない。
*・*・*・*・*・*・*・*
「ふむ、やはりこの刺繍は……」
辺境伯ことキール・ヴァンティエルは婚約を交わした令嬢からもらったハンカチを凝視していた。
それどころか匂いをかぎ、舌先で味わってさえいる。
「これは魔法の類か。それならば……」
キールがハンカチに魔力を込めるとまばゆい光が部屋中を照らす。
「まだ足りないか」
軽く息を吐いてからさらに魔力を込めていくと——。