重い床石を除けると、そこは埃の積もった図書館だった。石造りの床にも、砂埃のようなものが当然積もっており、私はいやいやながらそこに手を突いた。
身体を図書館内に入れ込んで早々、私は重苦しい感覚を得て、顔を歪めた。
「めちゃくちゃラッキー。『治安』でめちゃくちゃに固められてるよ、ここ」
「思ったより仕事は楽かもしれないっ、ねっ」
パラレルスは私の腕を借りながら、跳ねるように身体を出した。
「あの黒縄が周りにうじゃうじゃいた理由は、そもそも中に入れないからだったんだ」
「そうらしいね。なんだ、パラ一人でもどうにかなる仕事じゃないか」
「それでも黒縄がいるかもないから、警戒はしてね」
パラレルスはそんなことを口では言いながら、片っ端から本を物色し始めた。
「蔵書は大体、数百冊と言ったところでしょうか。その中でも歴史に関する蔵書は限られているとは思いますが」
「そういえば、リーゼ、あんたのその蔵書はどこから来てるの?」
「いや、元からあるものですよ。全ての本がまとまった本だと思ってくれていいですよ」
「でも、その中に黒縄に関わりそうな記述はなかったんだよね?」
「ええ、当然。一晩中、パラレルスが私の中を精査して何一つ見つかりませんでした」
昨晩、リーゼのことを聞いたパラレルスが、多くの子供がプレゼントをなりふり構わず開けるように、リーゼをひったくってページを片っ端から捲っていたのを思い出す。
「さぞ楽しい夜だったんじゃない?」
「あなたは今それを皮肉で言っているのだと思うのですが、実のところ、本当に楽しい夜でした。あなたのように学のない人間は、私の声による説明を聞きたがりますが、パラレルスは始まりの文字から結びを示す点まで、それはそれは空腹の野犬のように読み尽くしてくれるものですから、とても好ましい体験でしたわ。正に――」
「本の本分ね。もういいから、それ」
本のユーモアも惚気も独特がすぎる。
「残念です。では、話を戻しましょうか。結論は伝えた通り、黒縄に関する記述はどこにもなかった――ですから私、今日の探索は収穫がないかもしれないとも思ってます」
「ちなみにリーゼの中にある蔵書、何冊くらい?」
「そんな図書館の本をいちいち数えるなんてしませんよ。そもそも本を数えるって感覚がないんですよ、私。あなたは今まで読んだ医学書の数を覚えてます?」
「いや、まったく」
「それと同じですわ。でもあなたの中に医学書の一節は残っていたりするでしょう? それが丸々一冊の本として残っている――それが私なんです」
「なるほどね」
返答しながらも、私は少し疑いを持っていた。リーゼの情報量は確かにすごい。それは認めるが、記憶があやふやな本が、リネーハの記録を全て網羅しているのは本当か、と。
しかし、館内に掲載のある地図をもとに、あちこちの本棚をリーゼに見てもらうと、
「ああ、この本知ってます」
「これは下らない詩集です、私は好みません」
と言った具合に繰り返し、果てには、
「こちらの名作はいかがでしょう。あなた好みのラブロマンスですが」
「頼む、それ以上は黙ってて。あんたのこと叩きつけそう」
「では後程、こっそりと」
そんな様子で全部の内容を言い当てていった。最後の本棚を見ても、リーゼの様子は変わらない。私がため息を吐くと、こちらの含意を気取っていたのか、リーゼは勝ち誇ったように言った。
「ね、言ったじゃないですか。持ち運べる図書館がいるのに、持ち運べない図書館に行く意味はないって。ここで探すべきは本ではない別の何かだと」
「正しいけど、なんかむかつくな――」
リーゼと水面下で口喧嘩をしていると、本棚の後ろから銀髪が覗いた。パラレルスも大方、本を見て回ったらしく、きょろきょろと周りを見渡しながら聞いてきた。
「どう? リーゼちゃんはなんて?」
「ここにある本は、間違いなくリーゼの中にあるらしい。パラレルスから見ても、それって間違いない?」
「うん。確かに、リーゼちゃんが出してくれた内容と一致してる。間違いないよ」
「あとであなたもしっかりと読むことをおすすめしますよ」
私は鬱陶しい本をナナに投げると、改めて辺りを見渡した。
「それにしても、リーゼが擁している本を、あの一晩でよくもまあ読んだね」
「そこは――ちょっとズルをして」
パラレルスは指先から伸びる糸をちらつかせて、片目を閉じてみせた。
「過去に行って、過去に開いたページを読んだわけだ。代償の事を考えると、そんな気軽にやっていいことじゃないでしょ。また身体の時間が戻って、使える過去の糸が短くなるんじゃない?」
「十四年分は切らないように使ってるから平気だよ」
「あんたがいいなら別にいいんだけど。それにしてもこの状況、どう見る? 流石に黒縄がただたむろしてるだけとは思えないんだけど、やっぱ本以外の何かがあるってこと?」
「そうかもしれないけど――歴史を暴くことに強い反発を示す彼らに、『治安』の術が強固に掛けられている図書館――流石に本と関連がないと思うのは難しいね」
「だよねえ――」
願いは宛先がないと、どうにも強い力を発揮できない。誰かがここで秘密を暴きたい、などと願っても胡乱すぎてそれは叶わない夢と落ちるだろう。
「不遜な本を投げ飛ばす輩に朗報です!」
後ろからリーゼを掲げたナナが近づいてきた。
「なに、リーゼ。なんか関係ありそうな本、見つけた?」
「いえ。しかし、あの黒縄どもが、このちっぽけな図書館を如何しようとしている理由が分かるかもしれませんよ」
開かれたリーゼのページには不可解な見取図が書かれていた。
中央にある四角と丸の複合図形が、今いるリネーハ大図書館の全体図だろう。だが、その所々から直線が外側へと引かれており、他の部屋への廊下に繋がっているようだ。
「なんだこれ、地下道――にしては繋がる先が小さすぎるし、断片的すぎる。まるで見取図でパズルでも作ってるみたいだよ、これ」
「中央から伸びてるね、この線――調べてみよっか」
パラレルスが中央に行き、床の丸く描かれた模様をなぞる。模様は金色で描かれ、その形は鷹が二羽、空を旋回しているようなイメージだ。
「そっか。これ、ルオーメで昔使われてた移動方法だよ」
「移動方法――これが?」
「糸を辿っての移動は、昔はそんなに特別じゃなかったみたいなの。でも、この糸を繋ぐ術、その術者が亡くなってから機能しなくなっちゃってね」
「インフラとしては致命的だね。それで使われなくなったわけだ」
「うん。でも気づかなかった。なにせ、この印自体はデザインいいから未だに使われてるし――なにせルオーメ以外の地域にその仕組みがあるだなんて思わなかった」
「でも、結局使えないってことでしょ。となると、このどこにあるか分からない部屋には力づくで行くしかないってことか。この図書館の天井に風穴ぶち開けてみようか?」
「それができたら苦労しないよ。メルンちゃん、ここに何の術が張られてるか、忘れた?」
「『治安』――はあ、忌々しいなあ、ほんと。黒縄から守ってくれてなかったらもっと忌々しかった」
「メルンちゃん、『治安』嫌いなの?」
「いや、嫌いってわけじゃ――治安官の知り合いいるし。堅苦しいのが苦手ってだけ」
私は、床へと膝をつき、マスクを着けた。注意深く、床の周りを探してみるが、
「ダメだ。流石に願いの残滓もない。私の力で復旧するには時間がかかりすぎる」
「だよね――」
パラレルスは埃塗れの床に思い切り座ると、両手を押し当てた。
「『紡がれた糸、伝う糸。私は雫で貴方は導き。染み込み進み、其が道である理由』」
「それが移動の詠唱――うわっ!」
身体が突然に押し出された感覚に襲われ、危うく転倒しかけた。慌ててバランスを戻すと、そこはリネーハ大図書館のようだったが、明らかに今までいた場所とは違った。
「まさかまだ動くなんて――びっくりした」
「結構荒々しい感じなんだね、これ。あれ、ナナたちは?」
「遅れてくると思いますよ」
足元の印を見ると、糸は鷹の形から蓮の形に代わり、足元に美しく花を咲かせていた。
「ってことは――ここら辺か」
数歩くらい身体をずらして、手を出して構えていると。
「うゎわわあああ!」
「あぶなっ」
案の定、顔面からこけそうになっていたナナを受け止めることができた。
「大丈夫?」
「はい、なんとか――ありがとうございます」
「私も助かりました。このままナナが転んでいたら、おそらく私が身を挺してナナの顔を守る役目を負っていたことでしょう」
「枕にされるのは本にとって誉れに入る?」
「この際なので断言しておきます。いいえ、私は本ですので」