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第五十五話

「ただいまー!」

 身構えた瞬間、聞こえたのは少し幼い声だった。私は、小脇に抱えたリーゼと目を合わせた――気分になった。

「害意、なさそうじゃないですか? かわいらしいお声」

「でもパーウェルスは何も言ってなかった。それに自分の家で術を使う意味って何?」

「本にはよくこうあります。草葉の音だけで、その中を考えるは愚か者、と。敵味方どちらにせよ対峙してみないことにはわかりません。さ、警戒しながら、さ、さ」

「あんまりふざけるのやめてね、気が抜けるから」

 私はすぐにマスクを着けられるように構えながら、階段を下りた。

 一階はすでに明かりが灯されており、柔らかな炎の光に照らされて、銀髪の少女がこちらに深々とお辞儀をした。恭しいわけではなく、愛嬌のある礼だ。彼女が身に纏っている服は、黒地に金糸の模様――パーウェルスのものに似ている。

「急に帰ってきてごめんね。私、パーウェルスの姉のパラレルス!」

 私は一旦、目を擦って、自分の耳から入った言葉を反芻した。

 パーウェルスの姉と名乗った少女の背丈はナナと同じくらいで、肩までで短く揃えた銀髪は所々跳ねているのが見える。その目はまるでうさぎのようにつぶらで、顔のパーツ一つ一つがその無邪気さと可憐さを示している。あの猛禽類のような目をしたパーウェルスの姉だとは信じられないが――。

「嘘は吐いてないんだね――」

「え、マジですか」

 私の呟きにリーゼは驚愕した。

「どうも、こんばんは。私はメルン。パーウェルスから話は聞いてる?」

「事情は分かってるよ。ウェルったら、私のこと言い忘れたのね。おっちょこちょいな妹でごめんね」

「あ、いや――はい――」

 口調や抑揚はそのまま幼いのに、話す内容はしっかりと姉っぽいので、やりづらい。

「私のことはパラって呼んでね。あ、妹のこともウェルって呼んであげたらあの子喜ぶから! 昔から不器用で目つきも怖いけど、とっても気さくでいい子なの」

「じゃあそうするよ――えっと、パラ」

 彼女は満面の笑みで頷いた。

「それじゃあ、丁度いいし、明日の作戦でも話そっか」

「作戦――ってことは、あんたと一緒に行動するってこと?」

「うん。何せ、今回の適任はメルンちゃんと私だからね」

「理由を聞いても?」

「メルンちゃんは金糸が見えるみたいだから、実際に見せた方が早いかな」

 彼女はちょいちょいと手招きをすると、私を横に立たせた。

「私の『糸紡』の術は、歴史の糸を辿り、解き、全てを明かすの。糸を辿る代償はあるけれど、もうそれも気にならなくなっちゃったな」

 パラレルスの指先が、金色に煌めき、さらさらと解けていく。彼女の人差し指から垂れたのは糸だった。その糸は、蛇のようにゆらゆらと動き、手近なテーブルへと巻き付く。

「あら、二人ともすぐに二階に上がっちゃったのね。怖い思いをしたから、ナナちゃんの方は当然でしょうけど。それにしても、メルンちゃんはタフだね」

「驚いた、そこまで分かるもんなの?」

 彼女は得意気に鼻を鳴らした。

「分かるっていうよりは、その光景を見てるのよ。でも、その場所から動かれちゃったらそれ以上は見えない。あくまでも見れるのは場所の歴史だから」

「なるほど。それなら遥か昔まで見ることもできるの?」

「それはないよ。私の、過去の糸を使ってるから」

「過去の糸っていうのは一体何なの?」

「そうだなあ」

 パラレルスは少し考えたあと、ポケットから綿の毛玉を取り出した。彼女はそれを、器用にも素手で糸に仕上げていく。彼女は糸を紡ぎながら、話し始めた。

「人の時間は糸を紡ぐようなものなの。出来上がった糸は過去。紡がれたばかりの糸は現在。この毛玉の部分は未来、っていう風にね。私の術はこの糸を移動して、無理矢理、過去の糸を見てるのよ」

「難しい話をするね。でも、原理はなんとなくわかった。つまり、あんたは過去生きた時間の分しか歴史を遡れないわけだ。そして、あんたが戻ってくるのは現在だから、私達にとっては一瞬の出来事に思える」

「メルンちゃん、完璧よ!」

 ぱちぱちと拍手を送ってくる彼女を眺めて、私は顔をしかめた。見た目から、分からない。彼女の過去の糸の長さは知っておきたいが、彼女は年不相応な容姿をしているものだから、それをこちらで推測するのは困難だ。

「何年分動けるの?」

 年を尋ねるようで気が引けるが、ここは仕方がない。パラレルスは、この質問が来ることを把握していたのか、一度頷くと、さらりと答えた。

「十四年分ね」

 彼女の口から出た数字は、ある意味で正しく、本来の意味では間違っていた。

「――待って、おかしいな。パラ、あんたの話が本当なら、動ける年数はもっとあるはずだ。パーウェルスの年齢は少なく見積もっても二十歳。十四年なのに、彼女の姉って一体どういうことなの?」

「代償のせいなの」

 パラレルスは自らの身体を見せつけるように、両手を広げた。

「私は過去の糸を移動してる。これは比喩でも何でもない。私の身体は確かにその分の時間を遡ってる。どんなにすぐに戻ってきたとしても、私の身体も一緒に、時を戻ってしまうの」

 彼女は頭を、指でトントンと叩いた。

「私の頭の中には確かに三十年の記憶がある。でも、私の脳もまた幼く戻っている。私の背は伸びたころより少し縮む。私の手足はまた小さくなる。それが代償なの」

「なるほど、重たいね」

「でしょ。早く大人になりたいって思いから、私は未だ解放されてない。出来れば時は戻りたくない。っていうのは、もっと若かった頃の話。大人たる部分はどれだけ泣き喚かないかってだけだから。今では必要とあらば使うよ。お肌もずっとすべすべだし」

 にかっと笑う彼女の銀髪が、不揃いに揺れた。枝毛がいくつか飛び出した短い髪にからは羽毛のようにはらりと髪の一本が零れる。私は目線をふと逸らした。

「それで、こんなご大層でろくろく戦えもしない二人で一体どこへ向かうの? まさか奴らの本拠地に潜り込むわけじゃないよね」

「本拠地、なんてものが分かったら、ウェルはすぐに攻勢を仕掛けただろうね」

「ま、そうだよね。彼女、決断は早そうだし。それだったら、どうするわけ? 結局、私の願いを叶える力も、あんたの歴史の糸を辿る術も、宛先がなきゃしようがない」

 そう聞くと、パラレルスは、逸らした私の目を、下から覗き込みながら言った。

「もちろん、リネーハの歴史を暴きに行くんだよ」

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