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第五十四話

 情報をいくつか共有している内に、日は暮れてしまい、パーウェルスの店はすっかり暗くなっていた。パーウェルスは慣れた足取りでドアまで歩き、こちらへと手招きする。

「詳しいことは明日から始めよう。今日は、まだ動けない」

「了解。それじゃ、明日ここにまた来ればいい?」

 パーウェルスは、しばらく考えてから頷いた。

「宿は――ううん、私の家を使うといい。どうせ今日はこの工場から出る予定はないからな。何もない家だが、自由に使ってくれ」

「悪いね、それじゃ街長気分でも楽しんでおくよ」

「勝手にしたまえ」

 パーウェルスの唇の端がほんの少しだけ上がった。

 パーウェルスと別れた後、カランドと共に商店通りを抜け、右へ曲がった先。カランドに連れられて向かった家は、想定よりも大きく、ナナは目を丸くした。

「おじいちゃんの家と同じくらい大きいのに、教会みたいに綺麗な壁ですよ!」

「そうだね、夜風の忙しなさに心を乱すこともなさそうだ」

「ですよね、私も静かな方が好きです」

「怖がりだもんね」

 ナナが眉間に皺を寄せてこちらに首を振ったので、私も顔をすぐに逸らす。

「そんな顔したら、かわいいお顔に皺が残るよ」

「余計なお世話です!」

 やいのやいの言っている間に、カランドは扉の鍵を開けた。

「明日の昼頃に、向かえの者が来ると思います。それまで、身体を休めてください」

「それはあんたこそだよ。口塞病は過度な運動で悪化する。あまり無茶しないように」

「それは前の診察の時も聞きましたよ」

 カランドは苦笑しながら答えた。

 家に入ると、ナナは気が抜けてしまったのか、うつらうつらとし始めた。

「ナナ、明日も大変な一日になるから、もう寝な」

「はい――」

 そう言って、着の身着のままベッドに飛び込もうとしたので、服を無理やり引っぺがして、寝間着に着替えさせてから、マットの上に転がした。シーツを被せると、すぐにむにゃむにゃと言い始めて、思わず笑みが零れた。

「今日はお疲れさま」

「あなたこそお疲れさまです」

 唐突に頭に声が響いた。リーゼの声だ。

「投げ飛ばされたり呼びかけたりと、本日は本としては貴重な経験ばかりでした」

「悪くなかったでしょ」

「危険がなければもっと良かったと思います」

「本らしい意見だ。生きるっていうのは危険っていうことそのままなんだよ」

 私は、寝室を出た先の窓辺に座り、リーゼを膝の上に置いた。

「さて、ようやく落ち着いた。『浮雲』の話を聞かせてもらおうか、リーゼ」

「是非とも読んでほしいのですがね」

「昨日、読んでから気づいたんだ。本は夜読むものじゃないって。文字がバラバラだったのもあるけど、暗い所で目を凝らしたから、今日は目の奥が痛かった。一階はランプ多いから明るいけれども、ナナがぐずって起きたときに私がいなかったら、とうとう漏らすだろうし」

「一理ありますね。わかりました、では夜話がてら。どこから聞きたいですか?」

「気になるところから行くか。『浮雲』の術に、私の力が似てるって言ってたよね」

「ええ、その通りです。これを説明するにはメルネポーザの話からした方がよいでしょうね。『浮雲』というのはメルネポーザの率いた信念の形だとされています。メルン、なんて名前が付いているくらいですから、あなた、メルネポーザの力については知ってますでしょう?」

「知ってるよ。メルネポーザは人々と縁を結び、そしてそれにより願いを叶えた。メルネポーザが縁の強さを媒介にしていたなら、私が媒介にしているのは想いの強さ。つまり執着ってところだね」

「それが分かっているなら話は早いです。では、メルネポーザに端を発した『浮雲』があなたと似た術を持っていることも、すんなり納得がいくことでしょう」

「納得はいく。それにしてもメルネポーザが始まりだったのは意外だったな。メルネポーザの親しみやすい感じと『浮雲』の得体のしれなさが全く結びついてくれないよ」

「そうですね。私もスラスラ説明してやろうと思ってメルネポーザについての記述を調べていたんですけど、彼女のいる話は神話というより童話。それも教訓を残すタイプ。余談ですが、あなたがメルンという名前なの、あまりピンときません」

「本だから人の心ないのかな? でも私もそう思うよ。メルネポーザの願いの叶え方の方が自然だし、頷ける」

「まあしかし、本と縁を結べる人間はそういないので、その意味ではありがたいですね」

「あんたはイレギュラーすぎるでしょ。今後やることないと思うよ」

 リーゼの背表紙をコンコンと叩くと、彼女は猫が喉を鳴らすように唸った。

「結構、心地いいです、それ。人間でいうところの肩叩きみたいな」

「あんた、人間に詳しいね、ほんと」

 私は惰性で彼女への肩叩きを続けながら聞く。

「それで『浮雲』の術はどうやって願いを叶えるわけ?」

「その詳細、知りたいですよね。私もです。『一つの糸が確かに紡がれるように、混沌から糸車を回し続けるのが、浮雲に属す者の定めである』――実にリネーハらしい記述の仕方ですが、記号性に乏しく正確な記述ではありませんね。『人の願いを叶えた先、メルネポーザはその力を浮雲へ分け与え、この地を去った』――私が述べたのはこの一文からです」

「つまり、それ以上の収穫はないと」

「ええ。でも、大収穫でしょう? あなたと同じような使い手がいれば、それは『浮雲』の者と見て間違いありませんよ」

「おーえらいえらい、お祝いにふんぞり返らせてあげよう」

 リーゼの身体を傾けてやると、彼女はない鼻を鳴らした。しかし、私がそのまま黙っていると、やがてリーゼは、ええと、と声を漏らした。

「いや、あなたが『浮雲』じゃないのにその力を使えている時点で、正直なところ、無為な話だなって思ったんですよ。なのであの時、私は隣について回る吟遊詩人のように、この話を披露しようと思い。期待させてしまい申し訳ないです」

「ううん、十分すぎる収穫だ。リーゼが思ってる以上に『浮雲』は謎めいた組織で――それがメルネポーザと繋がりがあると分かっただけでも、前進だよ」

「メルン――。それでは私の角度をもう少しつけていただけますか。もっと高貴さを演出したいので」

「ちょっとフォローしたらこれだ」

 私はリーゼから手を離した。パタンと膝の上で本が倒れる。

「浮雲の街――それが分かればなあ」

 ナナが心臓を持っていない理由が分かれば、彼女を治療する糸口が見つかるかもしれない。もちろん、ルダ先生のように心臓をどこかから持ってくる方法もあるだろうが――他人の心臓は論外だし、自分の心臓はルダ先生の物だ。それに、そのやり方は、病の駆逐ではなく、ただの急場しのぎ。私の目的はそれではない。

 窓の外の月を見ると、少し暗い満月が浮いていた。私はふとダンヘルグと酒を交わした夜のことを思い出した。ダンヘルグを燃やし尽くした夜のことも思い出した。彼のあれは病気であった。だが、私は燃やすという決断をした。それに何一つとして感じていないのは、私が生来より、人間とは違い、化物じみてしまっているからだろうか。

 月夜に金糸が煌めき――私はようやく我に返った。

「リーゼ、あれ、見える?」

「――? 何のことですか?」

 彼女を持ち上げてみせるも、やはり見えていないらしい。

「金の糸が見えた。パーウェルスのに似てたけど、力の気配は違う」

「よくそんなこと分かりますね。で、害意はありそうですか?」

「糸だけ見て、そんなこと分かると思う?」

 悪態を吐いた途端、階下の方から、ガチャリという音が聞こえた。

「害意、あるかもしれませんね」

 リーゼは、本だからか、呑気そうに欠伸混じりに言った。

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