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第四十話

 街がしっかり寝静まった頃、私は静かに民家から外へ出た。この地が新月病に冒されてから逃げ出してしまった者の家だ。話に聞いたその者が、新月病から逃れられたかは分からぬが、恐らく、無駄な足掻きだろう。

 生活に必要な物はかなり欠けているが、ベッドなどの大きめの家具や調理設備などはそのまま手付かずで、多少掃除するだけでかなり良い生活を送れそうだった。数日の滞在とはいえ、馬に長い時間揺られることになる。寝床は良質な方がいい。

 街の外――といっても門がないので、どこからか外かは分からぬが――に出ると、ガンファが、月明かりの下で書類を確認していた。私の足音を聞きつけると、こちらに軽く会釈をする。

「やはり来たか。そうだろうとは思った」

「ほんと、話が分かるようで助かるよ。ガンファ」

 私は、彼が差し出してきたカルテを受け取り、ぱらぱらとめくった。

「それはこちらも同じだ。――昼間は無礼を働いたな」

「いいよ、『医猟団』の手前、私と仲良くしてるところを見られるとやりづらいでしょ」

「ああ。俺にも、ルダやローデスといった者のような、人望があればよかったが」

「あんた、人付き合い昔っから苦手だったもんね。不器用なりには、器用にやってるみたいだけど。感心しちゃったよ、ああいう立ち回りどこで覚えたの?」

「お前の減らず口からだな」

 憎まれ口も相変わらずのようだ。

 私がカルテを捲ると、新月病についての記載と、その治療の遍歴が記載されていた。

「かなり長い間やってるんだ――半年前から、かな?」

「ああ。だが、問題はそこじゃない。問題は――」

 ガンファがカルテを捲り、指で示した文章にはこうあった。

 ――治療法を確立。

「――なのになんでまだやってるの。これ、もう四ヶ月も前のことじゃん」

「どうやら、俺達はこの新月病の根幹にたどり着けていないらしい。一度はこの地から新月病が根絶されたのだ。しかし、いざ出発の日となったとき、全ての民が例外なく、この症状を見せた。そう、例外なく」

 ガンファが次に示したのは、奥の方に隠れてたカルテだ。

「待って。新月病の症状、変わってるの?」

「その通りだ。最初は寝ている間に勝手に身体が動き、様々な虚弱症状を起こすものだったが――今の新月病は、その症状に加えて、日中に気を失ったり、我を忘れたりする。現状、患者の夢遊に対しては、『掟』の治安の術が、鎮静に有効だと分かっていて、今でこそ静かだが――」

「それが分かるまで、この街は叫んだり暴れたりのやりたい放題だったわけだ。あまり考えたくない状況だね」

 ガンファは頷き、大きなため息を吐いた。

「『医猟団』の中でも、多少精神の参っている奴が出ている。だから、お前の姿を見たときには癒しのラーゲリーゼが使いを寄こしたのかと思ったほどだ」

「ハウゼの一部神の使いは、さすがに大げさでしょ」

 私は肩をすくめたが、ガンファは頭を掻きながら首を振った。

「治療に使うための薬草も祭事に使うための神具も不足していてな。おまけに無駄遣いもひどい。半ばやけくそで治療をやるもんだから、供給と消費のサイクルが崩壊しかけてる」

「でも、もしかしたら私が来たの、間が悪かったんじゃない? 参ってる精神状態で、『医猟団』が怨むべき対象が現れちゃあさ」

「阿鼻叫喚だ。今から顔でも見せに行くか?」

「あんたの胃に穴が開きそうだからやめよくよ」

 私はカルテを閉じ、ガンファに返した。

「それで――どう思う。この新月病」

「この街の民から話を聞いて、軽く診た結果だけど――あんたの思ってる通り、『医猟団』は根幹にたどり着けていない。そうだ、私が出会った新月病の前例を共有しよう」

 私はイェルククで起きたことを話し、ガンファは唸った。

「私もあまり、あの街で起きたことは整理できてない。けど、神との繋がりがあるからこその新月病。私はそう思っている。祭事が必要なのもそのせい。そして今回のように手強い新月病の場合には、きっと、病をばら撒いている原因があると、そう思ってる」

「あまり考えたくない話だが、ある意味では救難信号とも捉えられるわけか」

「そう。結局、イェルククの街で起きていたことは、世界の存続に関わるような大事件だったんだよね。惜しいのは、その当事者達から話を聞けなかったこと。それに、ナナのことも、詳しいことは結局分かってない」

「あの少女か。――見事な手際だな。心臓の共有か」

「ルダ先生みたいな大手術じゃないよ。ただあれは、あの子の父親の願いを使っているだけ。でも、私から離れればその効果は薄れる。だから、いずれ彼女が一人でも生きていけるために、彼女の心臓の代わりを探してる」

「心臓を補完する方法は、ルダが行った心臓の置換くらいのもの。それ以外の成功方法はなく、あれもまた祭事の側面が強かったから、再現性ある治療法としては記録に残っていない。神話に近しいものだな。あと数十年もすれば、彼の偉業も御伽噺に変わるだろう」

「あんな手法、遺さなくていいよ。また誰か真似するかもしれないから」

 私は石を蹴り飛ばした。手のひらほどの石は少しだけ宙を舞い、地に落ちた。

「話は戻るけど、結局、この街にそれらしい人はいないわけだよね」

「ああ。ここに住まう一部神もなさそうだ。だから様々な祭事をやたらめったら試すしかない――ヒントのない状況だからな。それにさっきも言った通り、『医猟団』には人手がない。だから――」

「安いもの、か。私にリネーハの方に調査に行ってほしいわけだ」

 ガンファは頷く。

「俺はあそこに新月病の根幹があると睨んでいる。しかし、他の者はそうは思わないようでな。病気を駆逐する熱意はいいが、冷静さに欠いている。何か証拠たるものが見つかれば、『医猟団』も惜しみない支援をできるはずだ」

「狼に要るのは、言葉じゃなくて獲物の匂い、ね。よく言ったもんだ」

「頼めるか」

 私はため息を吐いて、空を見上げた。ぼんやりとした満月が見下ろしている。

「しょうがない。医者じゃないけど、仕事だからね。報酬分は働くよ」

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