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第三十話

 ローフェが監視の目を光らせていることもあり、以来、私を襲う者は減った。襲ってきたとしても所詮は素人で、軽くのしてやればすぐに逃げ出す。しかし、奴らのやり口はいつしかもっと陰険なものに変わり始め、宿に忍び込み、部屋に汚物を振り撒くなどの行為が出てきた頃、私はいよいよ対策を考えなければなくなった。

「さすがにまずい――というか、宿屋の主人に迷惑をかけてしまう。奴ら、そろそろ火でも放ちそうな勢いだ」

 私が頭を抱えていると、ベッドのナナも同意の声を上げた。

「メルンさんがいくら部屋を一瞬で綺麗に出来るからって、これ以上はどうしようもなくなるかもしれませんし――」

「全く、遠慮ってものを知らないな。純朴だかなんだか知らないが、ここまで来るとそれはそれで邪悪だよ。子供の残酷さで人が死にかねない、大人ならより一層だ」

 愚痴りながら、ナナの方を見る。ナナは気丈に振舞っているものの、その胴体のほとんどが麦の穂に覆われ、その間を掻き分けると、赤暗い肉やひどいと臓器までが見える始末だった。

「時間もないっていうのに――隠れ家みたいなのないかな。地下とかにさ」

「あ――一応――なくはないです」

 ナナはそう言うと、地図を持ってくるように頼んできた。彼女のベッドの上で、広げるとナナは北の方の山を指差す。

「私、街の外から来たって言ってたじゃないですか。昔は、ここにある小屋で生活してたんですよ」

 その言葉に私は首を傾げた。

「街に住まず――まさか、山に籠って自給自足で、ってことかい?」

「どう――なんでしょう。お父さんもお母さんも、今考えたら不思議な人で――」

 話しながら、ナナは私のペンダントを摘まみ、

「これと同じものをしてました。メルンさんみたいに魔法みたいな力が使えて」

 心臓がどくりと跳ね、私は思わずナナの手を握った。

「ナナ、お父さんとお母さんって、どんな人だった!?」

 ナナは目を丸くしてしばらく固まっていたが、すぐにこう答えた。

「どんな人――っていうのも、難しくて――。名前は、確か、リギエースとテジェクって名前です」

 私は彼女の手を離した。思わず、そうか、と言葉が漏れる。

「浮空の街の者――か」

 謎多い『浮空』の派閥の者。『浮空』の派閥に属する街は一つであり、浮空の街はその二つ名しか知られていない街だ。リースとラーネの痕跡を追う上で、細々とその詳細を調べてはいるものの、これといった情報もない。

 ただ、分かったのは、このペンダントは商人が取引するようなものではないことだけ。

「お父さんとお母さん、お仕事があるからって、私をおじいちゃんに預けたんです。もしかしたら帰ってこれないかも、とすら言ってました」

「それは――寂しくなかった?」

 聞くと、ナナはすぐに首を振った。

「寂しいですけど、お父さんとお母さんは言ってました。そばで見守ってるって。お父さんとお母さんは嘘を吐かないですから。それに――」

「――?」

 ナナは私の事を見つめて、笑顔を見せた。首を傾げると、彼女は続ける。

「いつか、ハウゼって街から来た旅の人が、代わりに一緒にいてくれるって」

 その言葉を、私は微笑ましいと一蹴できなかった。あまりに、あまりに予言めいた励まし。ナナの両親は、特にハウゼと指定した上で、旅人とナナに伝えている。それを、偶然として受け取っていいものか。

「とりあえず、ここに避難しましょう! 小屋なんてちょっとくらいボロボロでもメルンさんなら直せますよね」

「ナナ、私は医者でもないし、魔法使いでもない。なんでもできると思わないでね」


 行動を起こしたのは夜更けだ。魔女狩り――気づけばイェルククの街ではそう呼ばれているらしいが――が気づかないように、闇夜に紛れる必要があった。ローフェには居場所を伝えてあるので、有事の際にはどうにかなるだろう。

「街の外に出る、ということは――まあ、神に聖典なんだが、魔女狩り以外の危険も当然ある。気をつけてくれよ」

「了解。もしも何かあったらナナを優先してよ」

 門は、ローフェが静かに開けてくれた。西の湖の方向から言ってもよかったが、かなりの悪事を進むことになるらしく、大人しくこの治安官の厚意に甘えた。

「わ――この辺り、そんなに変わってないなあ――」

 ナナは小屋に向かう道すがら、鬱蒼と生い茂る森の一角を見遣ってそういった。私も試しにそちらを覗き込んでみたが、アンバランスで我の強い茶と緑の生育に、変わってないとか見たことあるとか、そんなへったくれあるか、と思った。実際、何度か足を蔓に取られ、苛立ちも増してきていた。

「この山の木も『収穫』しないもんかな」

 ぼやくと、ナナが、なんてこと言うんですか! と怒ってきた。

「ここは昔、一部神さまが住まっていたとされる森なんですよ! そんなところをあろうことか収穫だなんて!」

 彼女は立派な森の子らしい。私は軽く返事だけして、ナナはもっと怒った。

 小屋は、正直、ろくろく使えないものと覚悟していた。この鬱蒼とした森はあまりに生命力が強力で、なんだったら家を飲み込んで押し潰して養分にしてすらいそうな具合だった。しかし、意外にも小屋はまるでちょっと出かけただけでいつも住んでる家、みたいな感じでそこに建っていた。

「着きましたよ、メルンさん! ここが我が家です!」

「ナナ、ちょっとは驚きなよ。この恐ろしい森でこの小屋が無事なことを」

「もう! まだそんなこと言って――」

 むくれるナナを無視して、扉に手をかける。数回、扉を開け閉めしながら蝶番を確認してみるが、まったく問題なさそうだ。

「真面目な話、こんなに状態が良いはずはないよ、ナナ」

「それはお父さんが言ってましたよ。ナナのための特別なお家だから、いつでも帰ってきて大丈夫だよって。でも、私もここまで相変わらずとは思わなかったです」

 ナナに見えない位置で、外壁に、石で軽く傷を付けてみる。ガリッとした感触と共に少しだけ黒い線が家には追加されたが、特に変化はない。修復の術、なんてものがあったらと思ったが、そういうわけでもないらしい。普通に傷は付く。

「でも、特に気配もしないしな――」

 小屋を開けて中を確認してから、私はマスクを着けて、周りに意識を集中させたが、やっぱり何もない。ナナの父親の言説を信じるわけではないが、それは今気にしなくてもよさそうな問題だ。私は小屋の中に踏み入ると、中にあったベッドを軽く払った。

「ベッド――二つだけかい?」

「あ、はい。私、身体小さいので、お母さんが帰ってきた時は、お父さんかお母さんのベッドで一緒に寝てました」

「そっか――じゃあ遠慮なく大きい方を使わせてもらうね」

「あ、なんでですか! 私も結構大きくなりましたよ!」

 そう言って、ナナは私の腰掛けたベッドに飛び込もうとしたが、すんでのところで止めた。新月病を身体に宿しながら、ここに来てからやけに元気だ。

 改めてゆっくりとナナをベッドに転がしてやると、大皿に乗っかった小魚といった具合だ。ナナは身長もそうだが、身体の厚みや横幅もない、すらりとした子だ。私はハウゼでの贅沢で身体が多少大きくなったが――。

「昔の私も、それくらいだったかなあ――」

「え、そうなんですか」

 ナナは無遠慮に私の身体をまじまじと見つめた。

「ナナ、そういう見方はやめて、はしたない」

「えへへ――すみません。でも、メルンさん、そうは見えなくて――」

「まあ、昔は病気ばっかりだったから。病気が治ってから、身体が大きくなった」

「じゃあ私もまだ大きくなれますよね?」

 私は冗談で虐めようかと思ったが、その声はあまりに不安げで、つい頭を撫でた。

「私なんて毎日出血してたくらいだし、ナナなら絶対大丈夫。私が治すから」

「ふふ、ありがとうございます――」

 ナナは身体を丸めると、すぐに寝息を立て始め、私もマスクを着けた。

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