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第二十八話

「ローフェさんに相談しましょう!」

 ナナの治療を終え、今日の事を話していると、彼女は勢いよく顔を近づけてきた。だいぶ良く眠ったようでいつもの快活さが戻ったのはよろしいことだが、おでこをぶつけかねない力で来るのはいかがなものだろう。私は腰をやや反らして、顔を離しながら答えた。

「でも、事が起きたのはイェルククの外だし、いろいろと説明が面倒でもある」

「ローフェさんなら力になってくれますから! ね!」

「人間と関わるの疲れるんだよな――どうせ無理そうだしさ――」

「なんでこんな大事な時にそんなこと言ってんですか!」

 ナナに腕を引っ張られ、立ち上がりを強制される。

「この時間から――? 明日でもいいんじゃないかな――」

 文句を垂れてはみるのだが、ナナはお構いなしに私を引っ張り上げる。私は引き上げられる腕にだるさと不快さが溜まり、観念して立ち上がった。ナナがやれやれといった具合に肩をすくめて、私の手を引く。

「メルンさん、結構、内向的だったりします?」

 私は頭を掻きながら、自分の感情の理由を探った。

「いやあ――なんか――ただ気が進まないだけなんだけど」

 目を逸らしながらそう答えてはみるが、顔を見なくてもナナに呆れた目を向けられているの分かる。私は彼女から目線を外したまま、宿の外まで引っ張り出され、ローフェがいるという監視塔まで連れていかれた。

 監視塔は時計塔ほど頑強な作りではなかったが、石造りで出来ており、そこそこの強度を担保しているらしかった。らせん状に敷かれた階段、その中央の空間には棒が一つ通っている。恐らく有事の際にはこれを使って急速に降りるのだろう。

 階段を歩き終えると、夜空を背景に、男の姿が現れた。治安官と呼ばれる彼の服装は私には馴染みのあるファッションだが、このイェルククに馴染んでいるようには思えない。

 彼は、よく手入れされた黒の服に身を包んでおり、そのジャケットについた真鍮製のボタンや腰から覗くベルトの金具の装飾は、騎士に近しい高貴さを汲み取れる。さしずめ彼の被った黒い帽子は兜の代わりだろうか。

「なんか――なあ――」

 詰まる所、苦手なタイプである。

「どうした、ナナ――に、旅人か。こんな時間に、事件か?」

「こんばんは。ローフェさん」

「ああ」

 ナナがそう挨拶して、ローフェが返答し――そのまましばらく沈黙が流れる。

 なんだろう、この時間は――。

 退屈を感じて、空を見上げようとしたところで、ナナに脇腹を肘で小突かれた。といっても、彼女の身長では、届くのは腰だが。なにかと思いナナの方を見ると、彼女の睨みが私の目に入る。ああ、そういうこと。

「こんばんは。ええっと――実は今日、街からちょっと出た辺りのところで襲われて」

「どの辺りだ?」

 ちゃんと聞いてきた。管轄外だとか言えばいいのに。

「あの、西の方の小さい湖」

「時間は、どのくらいか覚えているか」

「夕方も終わり時だったかな――」

「人相や背格好、その他特徴があれば教えてくれ」

「それが分からないんだよね。多分、『信仰』に由来する術で秘匿してた」

 ローフェは眉根を顰めた。

「この街の者である可能性は?」

「ある。武器は農具で、この街で流通してるものに形が酷似してた。それに戦いはめちゃくちゃに素人だったよ。一人だけ昏倒させたら全員逃げてったし」

 彼はしばらく黙り込んで、こめかみの辺りを、指先でトントン叩いた。

「覚えた。その者どもは必ず罰する――と言いたいところだが、痕跡も消滅しているだろうな。すぐにの対応は難しい。それに――」

 言いかけて、彼はナナに目線を向けた。

「ナナ。少しの間、監視塔の部屋で待っててくれないか」

「えっ、でも――」

「いいから。ここはあまりに冷え込む。ナナには健康でいてもらわないと」

 そう宥めると、彼女はしぶしぶ頷いて、階段を降りていった。

「――で、アンタはどこまで知っているの、ローフェ。さっきから目の奥が見えない」

 ナナの姿が見えなくなるや否や、私は言葉を投げた。このタイプは感情の表出が少ない故に、考えていることも分かりづらい。治安官、などと明らかにお堅そうな名前の奴はなおさらだ。それゆえに――敵味方の判別が付きづらい。私の左手は、ずっとマスクに添えられている。

「そう警戒しなくていい――と言っても、君は警戒を解かないのだろう。だが、君の宛ては外れている。私は確かに、この街の者ではなく、また、文明の度合いは術を使えるほどにあるだろう。しかし、私の派閥は『掟』であり、それは崩すことのできないものだ」

 目に、感情が現れる――どうやら嘘はないらしい。私はマスクから手を離して見せた。

「悪かったよ。でも、ごめんね。あけすけに言ってしまえば、あんたみたいなタイプは私の天敵だからさ」

 彼は頷き、愚直に私の目を見つめたまま言った。

「構わない。君の推測も警戒も、そしてその慎重さも、ハウゼの者たる所以だろう」

「どうも。それで、どこまで知ってるの?」

「昨日の晩のことを言っているのであれば、君が新月病に冒された街長を燃やし尽くしたことは把握している」

「やっぱり分かってたか。で、この状況、治安官さんはどう見る?」

「全てが推測の域を出ない。考えるべきは情報の収集だ。だが、君にはそんな暇はないようにも思える」

「まあ、いろいろね」

 私の言葉少なな返事に、彼はまた頷いた。

「それでいい。その慎重さが、重篤な事態を避けるのだ。そして、これは秘密の類ではないから君に共有するのだが――イェルククはここ最近、妙なのだ」

「妙?」

「街の者の習慣がずれている。ある者は日が昇ってから一時間後に起きるようになり、ある者は麦の刈り入れを三十分早めた。こんなことが、ここ最近ずっと起きている」

 ローフェは眼下に広がるイェルククの街を見下ろした。

「これがいかに重大なことがわかるか、旅人。イェルククは収穫の街だ。外的な要因に左右されず、農耕を安定して行い――だからこそ、その安定は人々の習慣に係っている。しかし、それがずれているのだ。一人、また一人だ。これはとてつもない異常なのだ」

「作物は月の終わりを待たずに育ち、刈り入れは決まった時間に始まって――」

「イェルククの穂苅歌だな。ダンヘルグに聞いたか」

「うん。まあ、そうでなくても、いずれ聞くことにはなってたと思うけど」

 私も、ローフェに倣ってイェルククの街を見下ろした。数日過ごしただけで、彼らの習慣の徹底ぶりには舌を巻く。だからこそ、彼の違和感も当然のことだろう。

「最初の夜、ダンヘルグと君はかなり長い時間、話し込んでいたように思える」

「監視してたってこと?」

 茶化すつもりで言ったが、彼は大真面目に頷いた。

「ああ。外から来る要因は、良くも悪くも治安に影響を与える。特に君は因子として強い影響力を持っていることは見たら分かることだ」

「冗談通じないって言われない?」

「よく妻にも言われる。だが、これが私なりの心の通し方なのだ」

「あっそ――そういうのは嫌いじゃないけど、やっぱ苦手だわ」

 私は監視塔の柵に頬杖をついて、ため息を吐いた。

「そうだね。ダンヘルグと話してたよ。あんたなら話してもよさそうだ」

 さして形が変わらぬはずなのに、月はあの夜よりも光を失っている。

「どうしてダンヘルグが、ナナを人攫いに渡したか、それが気になってね」

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