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第二十四話

 ナナに手を引かれ、やってきたのは、食堂だった。朝から昼のなんとも言えない微妙な時間帯なため、客は少なかったが、それでもこの食堂の独特のシステムには気づけた。

「ナナ、あの人達、農作物を抱えてきているけど――あれは?」

「イェルククの食堂では、ああやって野菜とかを持ち込んで料理してもらうんです。他の街みたいにお金とかは特になくって。その代わりに野菜を多めに持ち込んだりするんです」

「つまり野菜そのものが貨幣、って話か」

「そうなるのかな? メルンさんのいた街ではお金払ってました?」

「ハウゼのこと? そうだね、ハウゼはお金とかあったし、かなり裕福な街だったと思うよ。でも、私の生まれた街は、貧乏だったけど貨幣を使ってたな。近くに他の街があるかどうかも関わってくると思うよ」

「そっかあ。いろんな街があるんですね」

「ところで、ナナ。私、野菜なんて持ってきてないんだけど――」

 ナナも特に野菜を持っている様子はない。私は不安になって聞いたが、

「いらっしゃいませ! おや、ナナちゃんに旅人さん! 今日は何を食べに来たんだい?」

 人の良さそうな笑顔と、耳心地のよいトーンで話しかけてくる中年の女性。その大きな声に私の疑問は途切れてしまったが、丁度いい、この人に聞こう。

「あ、えっと、こんにちは――あの、ここって野菜を渡さないといけないんですよね」

 すると、女性はナナにも似た身振りで、しかし、少し控えめに両手を振った。

「いやいや、旅人さんはそんなこと心配する必要ないよ! なんせ旅人さんはナナを助けてくれた、いわばこの街のヒーローだよ! お代なんていらないけど――旅人さんのお口に合うかは、ご容赦してくれよ?」

「それ、街長にも言われました。大丈夫です。旅の食事は想像を絶するような粗食ですから」

「えっ、あれ、粗食って感じじゃなかったですよ!」

 私の言葉にナナが口を挟む。

「こら、余計なこと言わないで。あれは運良く食べられる野草が生えていたから。あと、ナナが弱ってると思って栄養のある食事にしたの。奮発したんだから」

「それじゃあ、より一層、お返しに豪華なものを振舞わないとね!」

 言われて、私は慌てて付け加えた。

「いや、でもそんな大したものではないので――」

「いいの、遠慮しない! 旅人だったらもっとがめつくなきゃ!」

 私の肩をバンバンと叩き、女性は厨房の奥に消えてしまった。叩かれた肩が、痛むわけじゃないがじんじんする。血流が活発になるくらいの衝撃ではあった。どんな表情をすべきか困りながら、肩を擦っていると、ナナがくすくすと笑っていることに気づいた。

「ナナ、なに? そんな滑稽だった?」

「いえ、そうじゃなくて――メルンさんもあんな風に、手をぶんぶん振るんですね」

 私は自分の両手を眺め、否定の時に大振りなジェスチャーをしたことを思い出した。

「――そんなこと言うと、旅の話してあげないよ」

 不貞腐れ、仕返しのつもりで言い放つと、ナナは慌てて謝罪し、平謝りを繰り返した。


 食事の後は、ナナに様々なとこへと連れていかれた。

 巨大な水車の前ではナナは飛び跳ね、自分と水車との差を見せつけながら説明をする。

「ここの水車! これがイェルククに大事な動力です! もうシンボルみたいなもので!」

「確かに大きいな。私の三倍はある」

 言葉に同意すると、ナナは満面の笑みで応える

「でしょ!」

 また、街の建造物を見て回るうちに、畑に通りかかると、ナナは興奮した様子で、

「あ、メルンさんの気になってた薬草畑ですよ! あっちの方が乾燥庫になっていまして――メルンさんなら、もしかしていくらか譲ってもらえるかもしれませんよ!」

「やめなさい、そんな乞食みたいな真似。私はそんな驕りたくないんだから」

 ナナはイェルククの街を楽しそうに案内して回る。畑の種類や、独特の建造物について、時に跳ねたり、こけそうになりながら、なんとも大げさな説明をするものだ。そんな賑やかなナナの周りにはすぐに人が集まってきて、何かと理由を付けては、私に農作物を渡してきた。

「イェルククの薬草もそのまま持ち出しは禁止だけど、薬にすれば問題ないぞ!」

「ウチの薬草を広めてくれ! 皆めんどくさがって生のまま傷薬にしやがる!」

「ハウゼに帰ったら、移住したいお医者さんとかいたら、呼んでくださいね!」

 そうして道行く人から譲ってもらえた薬草で片腕がいっぱいになったころ、ナナのお気に入りだという鐘塔に連れていかれた。

「結局、裕福な乞食になってしまった――」

 自嘲でぼやいた言葉は全く聞こえてないらしく、ナナははしゃぎながら説明をする。

「この鐘塔が、イェルククの朝と夜を告げるんです! なんせ朝は早くて――メルンさんは鐘の音、聞こえました?」

 私は塔の階段を上りながら、今朝方の悪夢のことを思い出したが、すぐに振り払った。

「いや、ぐっすりだった。そんなに鳴ってた?」

「うーん、イェルククの人は慣れてるので、一回だけですね。それでみんな起きるんです」

「すごいな。イェルククは収穫の街でもあるだろうけど、習慣の街でもありそうだ」

 展望場まで上ると、地平線に呑まれる赤々とした太陽が見えた。

「綺麗だな――。旅の途中でも何度か見たけど、高いところから見る日没、それも地平線に沈んでいく夕焼けは、特に綺麗だね」

「でしょ! 私もここ、お気に入りなんです」

 しばらくそのまま夕陽を眺めていたが、ふと、ナナの方に目線を向けた。ナナの目はずっときらきらとしていて、濁ったような瞳をしている私とは大違いだ。私の視線に気づいて、ナナは、微笑みかけてきた。

「ところで、話戻っちゃうんですけど、ハウゼでは、習慣はしっかりしてなかったんですか? お医者さまってしっかりしているような気がしているんですけど」

「しっかりしてる人もいたけど、しっかりしてない人もいた。そうだ、ナナ、これ知っているかい?」

 私が懐から煙管を取り出すと、彼女は興味深そうに顔を近づけた。

「これ、なんですか?」

「先端に窪みがあるでしょ。ここに草を入れて火を点けて、その香りを吸い込むの」

「香りを――こう、食べちゃうんですか?」

「はは、そうだね。そういう感じ。私のね、母代わりになってくれた医者はね。ここにミントの、それもとびきりきつい奴を押し込んで、目が覚めるや否やその煙を肺に押し込んでたんだ。それでようやく起きていた、とんでもない人だよ」

「なんか、身体に悪そうですね――」

「本人曰く、朝の数時間の私が犠牲になる程度で、患者が救われるなら安いとか言ってたけど――単純に寝起きが悪すぎるだけで心配してなかった。またな言ってるって感じ」

「面白いお医者さんですね」

 ナナのくすくすと笑う瞳に、先ほどと違う煌めきを見た。その目から、ナナの外への強い憧れが伝わってくる。外に出て、旅をしてみたい。そんな願いが伝わってくる。私は昨日の街長の話を思い出して、ナナに聞いてみた。

「ねえ、ナナ。私と一緒に旅に行けるとしたら、どうしたい?」

「えっ――」

 私は屈んで、ナナの目線に顔を合わせると、その目を見つめたまま、続けた。

「街長と昨日話しててさ。街長は、ナナが望むのならそうしてやってほしいって。イェルククの街に訪れる人間は少ない。街の中までやってきて滞在するとしたら、それはほんの一握りしかいなくなる。それに、自分で言うのもなんだけど、幼い子を連れて旅に出てくれる変人はあまりいないと思うんだ。だから――どうだろう。ナナは、どうしたい?」

「私は――」

 言いかけて、ナナは首を傾げた。

「メルンさんは、それでいいんですか? 私は――ただの街の娘ですよ?」

「そうだな――ナナは、あまり他人とは思えなくて。昔、私を助けてくれた友人によく似ているんだ。あと、一人旅は、気楽だけど、気が滅入ることも多くてね」

 ナナは、そうですか、と応え、顔を伏せた。やはり、見えている通り――。

「でも、私は、イェルククを離れることは考えたことないです」

「――どうしてか、聞いてもいいかい?」

 ナナは顔を上げて、私を真っ直ぐと見据えた。

「イェルククは――その――なんて言ったらいいか分からないけど。何を言っているんだって思うかもしれないですけど、私が守らないといけないんです」

 強い瞳だった。私はその目を覗き込んで、首を横に振って、目を伏せた。

「そうか。そうだね。ナナは旅に出たいけど、この街が大好きなんだね」

「――はい」

「それじゃあしょうがないなあ」

 私は伸びをしてから、深呼吸した。

「ほんとはね、どうしても街長から連れ出してほしいって言われてたんだ。もっと広い世界を見せてやりたいから、それがきっとナナに合った道なんだって」

「おじいちゃんがそんな風に?」

「意外だった?」

「だって――おじいちゃんはいつも危ないから外に出るなんて考えるなって」

 戸惑いを隠しきれないその表情に、私はそっと手を添えた。そのまま頭を撫でる。

「いつだって、大人は――子供が伸び伸びと成長してほしいと思ってる。できるだけ苦しい思いはしない方がいいって思ってる。同時に――願ったことができるだけ正しい形で叶ってほしいと思ってる。それは私もそう。だから私は、ナナの考えを尊重するよ」

「――すみません、本当は行きたい気持ちもあるんですけど」

 ナナは、そこまで言って、押し黙ってしまった。というより、まるで悪い物でも吐き戻そうとしてるかのように苦しげな表情を浮かべ、何度か喉に力を入れている。

「いいよ、無理に言わなくて。思ってることは、なにも全て言葉にしなくていいんだよ」

 私は赤々と沈んでいく太陽をじっと見つめた。

 この牧歌的な街、イェルククに夜が来る。私はこの夜を、一つ目と数えた。

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