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第二十一話

「なんだか賑やかな街だったな――」

 夕暮れ時だというのに、街の通りに人が溢れていた。こういう田舎――レーチヤに風土も文化も似ている街は、夕暮れ時には人通りが少なくなるものだと思っていた。

「いや、レーチヤは酒があったせいか」

 清らの水のせいで、少し前までは酒が特産の一つであったレーチヤ。それは膿垂症が流行ったとして抜け出せる文化ではなかったし、私の力があるのをいいことに酒をバカ飲みしてた連中もいただろう。

「まあ、ナナを連れ帰ってきたから、っていうのもあるだろうな」

 少し、懸念していたのは街でのナナの扱いだ。ナナ自体からそのような感情は読み取れなかったから、それほど心配していなかったが、ナナは街から除け者にされているわけではないし、むしろ、街全体の繋がりが強い。特に問題もないだろう。

「心配しすぎ――」

 分かっていても、ナナと自分の境遇を重ねてしまう。親もおらず、街の外からやってきた者というのは少なからず迫害される。私は巫女になるまでそうだったし、巫女じゃなくなった瞬間、私のことを守ってくれたのは、リースとラーネだけだった。

 だけど、ナナはこの街で可愛がられているし、ナナもそれを受け入れている。

「なんか――変な気分だ――」

 私は、窓を開けてイェルククの空気を吸い込んだ。やっぱりレーチヤの土の香りを含んだ感じに似ている。そんな場所で、ナナは――。

「やめよう、これ」

 私は外套を壁に引っかけ、白マスクだけを腰に取り付けた。

 明日からのことを考えよう。まずは先生――ルダのことだ。これは最優先。だけどあまり期待はできない。『神秘』にも『信仰』にも属している雰囲気がない。閉鎖的なのも加味すれば、恐らく『掟』の派閥。得られる情報はないだろう。となれば、薬草だ。薬草を買い集めて、薬を精製して――それで早めにこの街を抜けてしまおう。

 ああ、また、胸が苦しくなってきた。ここは息苦しいな。

 ――コンコン。

 部屋のドアが叩かれたが、私はしばらくそのまま動かなかった。が、

「メルンさん、メルンさーん」

 こうも呼ばれては流石に動かざるを得ない。

「はいはい、今行くよ」

 ドアを開けると、ナナが満面の笑みで立っていた。彼女の汚れていた服は新しいものに着替えられて、ボサボサだった髪は、洗えてないにしろ、漉かれて綺麗に整っている。きっと、街長や街の民に世話を焼かれたのだろう。それを思うと、また胸の奥が痛んだ。どうして――それでいいじゃないか。それがあるべき姿なんだ。

 私は、胸の内を悟られぬうちに笑顔を塗り重ねた。

「どうしたの、ナナ」

「えっと、街長が一緒にご飯でもどうかって、お礼も兼ねて」

「街長が直々に? わかった。それじゃあお言葉に甘えようかな」

 快諾すると、ナナはほうっと息を吐き、胸をなでおろした。

「よかった。もしかしたらメルンさん、断るんじゃないかって思ってた――」

「そんなことしないよ。旅人たるもの、受けられる施しは受けないと、だし」

「そっか! メルンさん、皆が挨拶してるとき、暗い顔してたから――」

 私はまた胸に痛みを感じた。だけれどそれは先ほどよりも質の悪い痛み。

 実際は痛んでいないはずなのに、膿垂の痛みよりも、鋭く、短く。全身を蝕もうとするだるさに、深く息を吸い込んで対抗した。

「おじいちゃんもメルンさんのお話聞きたいって。前に来た二人は――まあ――」

「人攫いなんておべっかを使うばかりでまともに話さなかっただろう」

 言葉を先取りすると、ナナはわかりやすく驚いた顔をした。

「メルンさんって話さなくても思ってること分かってるみたい。魔法?」

「そんな便利なものがあったらいいね。単なる推測だよ。よくある話」

 実際、人の考えていることも思っていることも、予想しているだけだ。それをただ感覚的に行っているから、ちょっと魔法じみてるだけ。予想を口に出して反応を見て、さらに精度を上げて――結局は練度を高めた、ただのテクニックにすぎない。

 それに、人の心が分かるなら、できれば自分に使いたいくらいだ。

 宿屋の階段を下り、外へと出る。それほど時間が経っていないはずなのに、日はすっかり沈んでおり、黒い空には穴を空けたような星々が浮かんでいる。牧歌的な雲は歓迎すべき代物だ。この地に厄災を運んでこないことを意味する――すればいいと思う。

 宿屋から一区画進んだ程度の場所に、街長の家は構えられていた。その隣に規模の大きな倉庫があり、漂ってくる枯草の匂いから、収穫物はここに集められているのだろうと予測できた。

 ナナがドアをノックし、街長を呼ぶと、かなりの歳月を生きたのだろう、顔の皺の深い老人が現れた。彼の皮膚はすでに潤いを失っており、その喉から出る声はガラガラだ。だが、その背筋は曲がっておらず、招き入れる手から、岩のような腕が覗いた。

「よく来てくれたな、メルンさん。話はナナから聞いている。私がイェルククの街長、ダンヘルグだ。さ、中へ」

「失礼いたします、街長様」

 その受け答えに、ダンヘルグは穏やかな笑みを浮かべたまま、首を振った。

「よい、そのようなかしこまった態度は要らぬ。ただの田舎街の長だ。それにここは『掟』の派閥ではないぞ、メルンさん」

 私の態度の意図を見透かされたらしい。

「街長からそう言っていただけるのは助かる。私も堅苦しいのは苦手だ」

「だろうな。そのような顔をしておった。もちろん、この先の礼儀も不要だ。むしろ礼を尽くすのはこちら側。私の家族を救ってくれた恩人だからな」

「じゃあ、お言葉に甘えさせてもらうよ」

 部屋の中は、絢爛豪華ではなかった。ゲブールを思い返すと、細かな装飾の施された調度品に、意味もなく飾られている絵――見ただけで高貴さを演出する代物で、一部屋が埋め尽くされていた。玄関から見ただけでそうだったのだから、あいつがどれだけの私腹を肥やしていたかは想像がつかない。

 ダンヘルグの家は、むしろ質素なくらいだった。必要なものを必要なだけ。ただ、部屋の隅に数個、趣味なのか、木彫りの像が飾ってある程度だ。それに加えて、彼の目は、過去に見たことがある。セオ院長と同様だ。

「メルンさん、こっちに座ってください!」

 ナナは相変わらずの元気の良さだ。――って、何をまた心配しているんだろう。

「はいはい、ありがとうね、ナナ」

 頭をぽんぽんと撫でてやると、ナナは嬉しそうに目を細めた。

「はは、こやつはすっかりメルンさんに懐きおって。メルンさん、我々、収穫の街の民は肉や魚をあまり食さぬ。故に少し淡泊な料理となるかもしれぬが――」

「とんでもない。旅の飯に比べれば、なんでもご馳走だよ」

 私は、旅先での話をナナにも伝わるように話した。ダンヘルグは静かに頷きながら食を進め、ナナはあっちこっちから質問を飛ばしてきた。温かい家庭での会話。ハウゼで過ごした日々をふと思い出し、私はローデスに手紙の一つでもやろうかと考えていた。

 私が、鍛冶の街であった出来事を話していた辺りで、ナナがうつらうつらと船を漕ぐ。

「ナナ、もう疲れたろう。今日はお休みなさい」

「はい――おじいちゃん――」

 家の給仕に連れられて、ナナはダイニングをあとにした。

「本当に、感謝しているよ、メルンさん」

 ダンヘルグの言葉に偽りはない。誠実な老人で――だからこそ聞かなければならない。

「ダンヘルグさん、あなたは――」

 しかし、この堅牢な老人は右手一つで私の言葉を制してから、給仕を呼んだ。

「メルンさん、酒は嗜むかな。酒が好ましければ好ましいほど、ここからの時間は良いものになる。なにせ――長い夜になるだろうからな」

 給仕がボトルを一つ持ってきて、テーブルの上に置いた。

「麦から作った酒を樽で熟成させたものだ。気に入るといいのだが」

「――なら、お言葉に甘えて」

 グラスを差し出すと、琥珀のような色合いの液体が注がれ、独特の香りが漂う。

 琥珀の湖には、窓から覗いたのだろう、十時を指す月が浮いていた。

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