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第二十話

 目を覚ますと、馬車は止まっていて、明るい空で目が眩んだ。身体を起こすと、あちこちからパキパキという音が鳴って、もっと動けと心が催促する。

 寝たふりをしていたはずが、いつの間にか眠ってたみたいで――私は寝たふりの理由を思い出して、慌てて周囲を見渡した。すると、少し離れたところで、白髪の女の人が鍋で料理をしているのが見えた。透き通るような白い肌と、綺麗で細やかな装飾の施された服装から、裕福な街の人に見える。ただ、貴族とか、そういった人たちには見えなかった。偉い人はきっと自分で料理はしないし、イェルククの傍まで来ない。

 ふと、その綺麗な人と目が合う。彼女の表情は、人形のようにあまり動かなかったけれど、こちらを見つけると、ふわりとした笑みを浮かべてくれた。

「おはよう。その様子を見るに、体調は大丈夫そうだ。ほら、こっちおいで」

「あ――はい――」

 私は荷車から降りて、急いで彼女の元へと駆け寄った。彼女は平原にぽつりと突き出た岩に座っており、対面にはあまり見ない形の椅子が置いてあった。

「そこ、座っていいよ。もう少し煮るから待ってね――」

 鍋――というにはちょっと浅い道具。その中にはスープが入っていて、名前も知らない野菜がいくつも浮いている。見たことのない茶色いコロコロとしたものも入っている。私はしばらく物珍しさで鍋を覗いていたけれど、もっと気になることを思い出した。

「あの――」

「ん、どうしたの?」

 女の人は顔を上げて、こちらに目を合わせてくれた。

「えっと、男の人たちは――?」

 聞くと、女の人は鍋に目を落とし、かき混ぜながら短く答えた。

「のした」

「えっ」

 私は思わず声を漏らした。こんな綺麗で、細い人が、男の人二人を相手に――?

「えっと、どうやって――?」

「うーん、そうだなあ」

 女の人は、顔を上げ、拳を顔の前に持ってくると、

「こう、シュッ、シュッて――」

 と、何回か素振りした。私は喧嘩に詳しいわけじゃないけれど、たどたどしい。

「まあ、あの人たちはもういないから安心して」

 私を見て、彼女は困ったように笑った。思ってたことが顔に出てたみたいだ。

「私はメルン。君、名前は?」

「ナナです」

「短い間かもしれないけど、よろしくね。これからあそこの街っぽいとこに向かってみるつもりなんだ。君を保護できる――例えば審問官がいれば――」

「あっ、いえ――大丈夫です」

 メルンさんは、身なりは綺麗だけど、それでもちゃんと旅人らしい。この辺りのことはあまり知らないみたいだ。私は慌てて説明した。

「あそこに見えるのは、収穫の街イェルクク――私の住む街です」

「収穫の街、イェルクク――そうか。イェルククってこの辺りだったのか」

「知ってるんですか?」

 結構な田舎で、他の街から人はほとんど来ないような街。でもメルンさんは頷いた。

「私がまだハウゼにいた頃だから――あまり月日を数えてないから正確ではないけど、五年くらい前までかな。イェルククからの薬草を好んで使ってたんだ。だけど、流通がなくなってしまってね。だから、イェルククがどうなったか、気に掛けていたんだ」

「そうなんですか。私、街の外から来たので知りませんでした。イェルククの作物がそんな風に売られていたなんて」

 メルンさんは首を傾げ、私の目を見つめてきた。

「今は、違うのかい?」

「は、はい。私が知らないだけかもですけど、イェルククの作物は、街長によって持ち出しが禁じられているんです。同時に、他の街、地域からの食糧の持ち込みも厳しくて――田舎の街ではあるんですけれども、関所だけはとても厳しいんです」

「ふむ、そうか――参ったな――」

 メルンさんは荷物をちらりと見て、考え込み、私はまた慌てて補足を加える。

「で、でも旅行者の人は歓迎してまして! 持ち込み禁止になってる荷物はこちらで預かり所がちゃんとあるんです! まあ、大体の方は嫌がって素通りしちゃうんですけど――」

「じゃあ問題ない。私は行くよ。イェルククの現状も気になるし――もし、イェルククのものを薬にして持ち出していいなら、これほど幸運なことはないよ」

「メルンさんは――お医者さまなのですか?」

 薬草の話、それに医者の街として有名なハウゼの話――。私は確信を持って聞いたけれど、メルンさんはゆるく首を振った。

「いいや、私はただの旅人だよ。調べることがたくさんあって」

「それって――」

 聞こうとしたが、じゅうっと立った音にかき消されてしまう。鍋がぐらぐらと煮立ち始め、水が少し溢れており、火へと落ちていた。

「やば、少し火が強かったかな――」

 メルンさんは手袋をはめて、鍋を乗せていた網をかちゃかちゃと弄った。すると、網の足は少し延び、その上に鍋を置くと、ぐつぐつと暴れていたのが鎮まり、ほんのりと湯気が立つだけになった。

「つい話し込んでしまったね。お腹、空いたでしょ」

 メルンさんは、黒いパンと木のスプーンを私に持たせた。

「街の物より味気ないかもしれないけど、ご飯は食べないとね」


 私とメルンさんは、ご飯を食べたあと、イェルククに向かっていた。荷車がそこまで頑丈ではなく、走るのに適したものではないから、人間が走ってる程度の速さしか出ていない。私は街の方を見た。まだまだ遠く、建物の影はあまり近くなった気がしない。

「この荷車だと、速さ出せませんね」

 そう言うと、メルンさんはちらりとこちらを見た。

「ナナは旅人に馴染みがないんだったね。そうだな――この速さはどちらかと言えば、馬そのもののせいかな。馬ってそんな長く歩いてられないから」

「えっ、そうなんですか――私てっきりどこまでも走れるのかと――」

「馬も生き物だからね。いつまでも、とはいかない。馬の様子を見て休みながら進む。あの男たちもそうしてなかった?」

「そういえば、ときどき馬車が止まってた気がします――」

「そういうこと。でもこの馬はなにか祝福を受けてるみたい。それほど休まなくても動けるみたいだ。馬の身体に影響がありそうだったら解除も考えたけど、診た感じそれもなさそうだし――この馬の勝手も分かってきた。ナナ、ちょっとだけ馬の足を早めるよ。一応これを飲んでおいて」

 メルンさんは馬車を止めると、外套の内側から小瓶を取り出して私に渡してくれた。中は透き通った青色の液体で満たされてて、蓋を開けると爽やかな香りが漂ってくる。

「これは?」

「馬車の揺れとかで気持ち悪くなる人がいるんだ。私は平気だけど、ナナはちょっときつそうだったから」

「そうですね――確かにちょっと揺れは辛かったです。ありがとうございます」

 液体を飲み込むと、飲めない味ではないが、爽やかさの奥にべっとりと残る苦みがあった。思わず舌を外に出すと、妙な涼しさがある。スースーとして、変な感じだ。

「はは、ベロ真っ青。効くって感じの味、するでしょ」

「します――」

 これで効かなかったら、ちょっとメルンさんを恨みそうだ。

「他に――怪我したりとかしてない?」

「あ、いえ――大丈夫です」

 答えると、メルンさんは身を乗り出して、ずいと顔を寄せてきた。旅でそんなに身綺麗にできていないはずなのに、ふわりといい匂いがする。私は思わず目を逸らしたが、メルンさんはしばらくそのまま私のことを見つめてきた。

「ふーん――そっか」

 五秒か十秒か、メルンさんがようやく離れてくれた。私はなにか顔が熱くなって、ぱたぱたと手で仰いだ。こういうタイプの女の人、イェルククにはいないかも――。

「まあ、大丈夫ならいいんだよ。出発しよっか」  

 ガラガラと音を立てながら、馬車が走り出す。さっきよりも揺れが心地いいものに変わっている気がする。安楽椅子で揺られてるみたいな、そんな感じ。私は、荷車の前の方に身体を移動させた。

「ん。ちゃんと効いてるみたいで結構」

 私の様子を見て、メルンさんはまた穏やかに微笑んだ。

「ところで、ナナ。どうしてあの人たちについて行ったの?」

「あ――えっと――」

「イェルククの外とか見てみたかった? 確かに収穫の二つ名を持つ街って、子どもには地味だし、退屈かもしれないね」

 言いづらいことを全部言い当てられて、さっきよりも顔が熱くなった。

「――はい。それに、おじ――街長に許しをもらわないといけないって言ったんですけどもう許可は取ったって言って――」

「それを信じて――いや、信じたかったってとこかな」

「はい――。それなら街長も許してくれるかなって」

 私は服の裾を握り込んだ。その後に、彼らが人攫いだということを聞いてしまって、怖くて逃げることもできなかった。――もう二度としない。

「そうだね、その方がいい」

「えっ――と?」

 メルンさんの同意に分かりかねていると、加えて言葉をくれた。

「知らない人についていく、なんてしない方がいいってこと。もしかしたら私はもっと悪い人かもしれないよ。本当は魔女で、ナナのこと薬の材料にしちゃうかも」

「脅かさないでくださいよ! 薬の材料って、ちょっとありそうで怖いじゃないですか」

「えっ――嘘――そんな風に見える? 私? マジ?」

 そうやって他愛もない話をしていると、道のりはあっという間だった。イェルククの街に到着する頃には日が沈んでいたけれども、気持ち悪くもならなかった。

 門番のケルファーガさんは、私を載せたメルンさんを見つけると大騒ぎした。

「おい、ナナ! 一体全体どこで何してたんだ! 心配したんだぞ! おい、誰か街長に伝えてくれ! ナナが帰ってきた!」

 大声で街の中に叫んでから、ゲルファーガさんは目を細めた。ガタが来てる。年だ。

「――それでお前、こちらの方は?」

 メルンさんは軽くお辞儀をした。

「この街に向かう道中で、人攫いの馬車を見つけまして。その中に彼女がいたのです。話を聞くと、彼女も丁度イェルククに住んでいるとのことでしたので、一緒に連れてきたのです」

「お前さん、親切な人だな! この辺りじゃ人攫いなんて見て見ぬ振りが多いってのに――ほら! ナナも頭下げろ! ほんと、ありがとうございます!」

 ゲルファーガさんに頭を押さえつけられて、慌てて頭を下げる。

「あ、ありがとうございます!」

「いえ――それで、街へ入りたいのですが、大丈夫でしょうか」

 ゲルファーガさんは大きな声と大きな動作で、とんでもない、と手を振った。

「大丈夫に決まってます! ああ、でもちょっと持ち物の確認はしなきゃで――」

「ええ、ナナから聞いてます。食料系の持ち込みの禁止、ですよね」

「正しくは、自生しちまう植物など、ですね。収穫の街、という二つ名はご存知で?」

「ええ」

「だったら話が早いです。うちの作物はちと特殊で――他の植物の影響は与えないようにしてるんです。ただ、加工品――よくあるのはパンとか薬とか。その辺りは平気なんですが、植物の形がそのまま残っているものに関してはちょっと厳しくなってまして」

「分かりました。荷物の中で問題があれば仰ってください。持ち込めないで困るものはあまりありませんので――」

 旅の人がイェルククにやってくるときは、ほとんど商人が多い。おじいちゃんが言うには、イェルククに繋がる街結道は長く、途中で補給などができる街は一つ、このイェルククしかない――らしい。だから、行商の人が貿易のためにここを通るのだけど、皆、検査に応じたくない人ばかりだった。メルンさんの協力的な姿勢はとても珍しい。もっとこういう人が来るなら、イェルククの街も盛り上がるのだろうけれど――。

「おい! ナナ!」

「はい! ゲルファーガさん!」

「お前なんも聞いてなかったな、今! こちらのメルンさんを宿屋まで送って差し上げろと言ったんだ! あとで街長に伝えるのも忘れるなよ!」

「はいぃ! じゃあメルンさん! こちらに!」

「ふふ、ありがと」

 笑みを溢すメルンさんの手を引き、関所を抜ける。メルンさんにはいろんなところを案内したいけれど、今日はもう日が暮れちゃう。早く宿屋に連れて行かなくちゃ。

「えっと! 宿屋はですね!」

 案内をしようとすると、困り顔をしたメルンさんにおでこをピンと弾かれた。

「うるさい、影響されすぎ」

 私はおでこを擦りながら笑った。確かに、喉が痛いかも。


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