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第十三話

 私は急いで、君が言うリースとラーネ兄妹のもとへ、医師団を連れて向かった。知っての通り、レーチヤへの一番の近道は、盆地であるハウゼを囲んでいる山の一角だ。あの山には幸い詳しかったから、近道を知っていた。二日ほどの旅路、進捗は良好だった。

 ただ、問題はそこからだ。

「リースとラーネならこの街を出たぞ――あの棄却されるべき胎児が燃え尽きた翌日に」

 私があの街で、人々から得ることの出来た情報は、これだけだ。

 レーチヤの現状は酷いものだった。膿垂症を代わる者がいなくなり、最低限の医療知識も、あの街にはなかった。そして、新月病はとてつもないスピードで人々の身体を蝕んでいた。私は医師団にレーチヤの惨状を任せ、彼らの家だった場所に向かった。

 彼らの家は、かなり荒らされていた。当然のことだ。家主が捨てたものに集るのは、滅びかけの街ではよくある話で――それで済んでいるなら、良心的ですらある。

 彼らは必要以上に略奪を働かない。故に、リースの書き物がいくつか見つかった。

『成功の確率は非常に低い』

『だがラーネは決心した。俺も覚悟を決めなければならない』

『上手く行けば、またメルンと家族のように過ごせる。耐えるべき冬だ』

 断片的なものが多く散らばっていたが、私が、特別に拾い上げた情報はこれだ。これだけで十分だった。メルン、君にこの山の近道を教えたのはリースだろう? 彼の筆跡、言葉選び、そして君を特別に思う者――そういう人間は、レーチヤで彼しかいない。

 彼の計画は、ラーネを連れて、ハウゼに向かうことだった。彼の言う成功率の低さ――それは、ラーネに原因があるだろう。君に教えた山の道は愚か、平坦な道ですらラーネには厳しい――はっきり言って無謀だ。

 私は、彼を追いかけるような形で道を行った。君に知識を与えた同年代の者であれば、どれだけ困窮しようと、全くの無謀さに夢を見るはずがない。彼は、恐らく、商人の通りが多い街結道まで出ることを考えたはずだ。通りかかる馬車持ちの商人に運よく拾われれば、長い陸路も一週間も経たずに終わる。リースは恐らく、その可能性に賭けたのだ。

 しかし、街結道をどれだけ探そうとも、どれだけ追おうとも、兄妹の姿はなかった。どこかの街へたどり着いたかもしれないし、遭難したかもしれない。私はそう考え、道ではなく、道沿いにある森などをしらみつぶしに当たった。

 ――結果から話そう。リースは成功した。商人に拾われていたのだ。しかし、経緯は分からぬが、商人一人とリースとラーネの死体が発見された。それぞれに荷物がなかった状況を鑑みるに――強盗に遭った、と考えるのが筋だろう。損傷と腐敗の激しい遺体であった。故に私が、森に丁重に埋葬してきた。


「どうして――」

 リースは、賭けに勝ったのに。その勝ちは、ただ一つの希望の糸は、横入りした傲慢な鋏に容易く断たれてしまったなんて――信じられるものか。リースはハウゼで最も賢い頭を持っていた。ラーネはハウゼで最も強い心を持っていた。その二人が――そんなふわりと浮かんできた胡乱な悪意に――侵されてたまるものだろうか。

「メルン、これを」

 ローデスが、私の掌に、何かを落とす。

 ――血を濾したような赤いネックレスだった。

「リースは――このような事態を少なからず危惧していたようだ。彼は遺言を書に残していた。――曰く、『自分に不幸があったとき、これをハウゼの街にいるメルンという少女に届けてほしい』、と」

 ――メルンもペンダントあれば、お揃いなのにね。

 ――ラーネ、これは両親の形見だ。それをお揃いにするというのは難しい。

 ――わかってるってば。ただ、そうだったらいいなって。メルンはもう家族じゃん。

 ――それを言うなら、セオ院長の遺したこの孤児院の者全て、だ。

 ――相変わらず、真面目なんだから。

 耳鳴りのように聞こえる。世界の音が遠のき、懐かしい話し声がする。

 ――だが、そうだな。このペンダントには願いを込められる。証としてはほしいものだ。

 ――そう! 私達でメルンに願いを込めるの! お父さんとお母さんみたいに!

 私は、はっとして、ペンダントを月光に透かした。

 ――このペンダントには、不思議な力がある。

 赤く彩られた光は宙に浮き、雪のように文字を降らせていく。

 ――月が想いを照らしてくれるのだ。

 その文字は、やがて、意味ある文章として並び変わった。

『メルン――俺達の願いを、幸福を諦めないでくれ』

 リースが言い終わる時間。ラーネが言い終わる時間。それで文字は消えた。

「浮空の街の、月涙のペンダントだ――。所持者の想いを文字に表す聖具」

 私はペンダントを握り締める。このどこまでも赤いペンダントが、リースとラーネの心臓のような気がして。その暖かさを感じるような気がして。だが、冬も深まったこの季節では、掌から得られるそのような錯覚も無意味だ。私は、ペンダントを首にかけた。

「私は酷い悪夢を見たんだ。命を狙われるような悪夢を」

 あれは私の自殺を、予告していたのだろう。しかし――。

「でも、私がこの程度で死ぬと思ったら大間違い。悪夢の啓示を嘘っぱちにしてやろう」

 ローデスは、私の手を取ると、膝をついて、その甲を額に当てた。

「――ああ、君は幸福になるべきだ。それを私達で証明する」

 あの日、燃え盛った炎に、もう一度、薪をくべる。

 私の命は軽い。だけれど、あの二人の命は重い。なら私の天秤が出す答えは容易い。

 メルンという存在は幸福でなければならない。

 そのために『今』は積み上がってきたのだ。

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