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第十一話

 それからというもの、ルダはことある毎に、私を外へと連れ出した。

 例えば、ハウゼの北の方で行われる演奏会に、馬車で連れていかれたことがあった。ハウゼの街は医者の街であるが、もっと正しく言えば、神授医の街である。神授医の治療と神事は、切っても切り離せない関係にあり、また、神事と音楽も切り離せないものだ。

 その道の帰り、魂がまだ音の波に揺れている頃、ルダがこんなことを尋ねた。

「そういえば、メルンは何か弾けたりするのかい?」

 ハウゼ特有の美しい舗装の道、そこを走る馬車の中は、まるで揺れを感じさせない。私はカラカラという音と共に流れていく白い街並みを、ぼんやり眺めながら答えた。

「笛を少し、かな」

「それはすごい。僕、楽器の才能はからっきしなんだ。もしかして、巫女をやっていたことと関係あるかい?」

「まあそれも。結局、神事の真似事でしかないけれどね。神の一部を呼び出すこともなければ、会話することもない。ごく普通の笛の吹き方だよ。でも――ちょっと大げさに吹いてたかも。息を長く揺らしたりして、それっぽく」

「さすが、プロっぽいじゃないか」

「やめてよ、大げさ」

 適当にやっていた笛をそんな風に言われると、頭を掻きたくなる。

「ごめんごめん、茶化したつもりはないんだよ。何せ、まったく出来ないのだから」

「そんなに下手なの?」

「うん、こう――両手を別々に動かすってすごく難しいじゃないか」

 ルダが笛を吹く真似をしてみせた――が、指はバタバタとせわしない動き。笛の演奏というよりは、馬の走る脚を表しているようにしか見えない。適当を言っているだけかと思ったが、ルダの表情は至って真剣だ。

「笛の練習をしたことは?」

「もちろん。二年ほど」

 これは本格的に才能がないらしい。

「神授医って、医者の一番えらい人みたいなものなんでしょ? 器用な人達と思ってたんだけど、そういうわけでもないんだ」

 う、とルダが声を漏らした。

「神授医も万能ではないってことだよ。結局は人間だからさ、得手不得手があるんだ」

 確かにそうかもしれないが――

「医者が器用さに欠けるって、致命的じゃない? 私の治療、不安になってきた」

「それを言われると手痛いな――えっと、しかしね――」

 少し、からかったくらいだったのに、ルダは本気で弁明を始めようとした。

 相変わらず生真面目な性格。冗談に真剣に返すいつもの調子。私は思わず吹き出した。

「大丈夫だよ。ルダが優秀なのは分かってる。実際、この私がここまで怪我も病気もなく過ごせてるんだから、治療の効果は実感してる」

 すると、乗り出していた身を引き、彼は心の底から安堵したような声を漏らした。

「そうか。それならよかった」

 彼はしばらく、そのまま馬車の背もたれに身を預けて、目を瞑っていたが、身体を軽く起こすと、窓の外と私の顔を交互に見てくる。段々と、身体の動作も大きくなっていく。

 何の意図だろうかと観察していると、彼は考え込んだあとに、

「でも、笛の練習ぐらいはもう一回してみようかな――」

 そう呟き、御者に楽器屋へ向かうよう頼んでいた。


 また、他の日。私がバルデル医院の庭で笛を吹いているところに、ルダはやってきた。

「やっぱり今日もやってたね」

 その後ろには、ぞろぞろと幼い子供たちがついてきていた。丁度、私が孤児院に入った時くらいの年頃だろうか。女の子の一人と目が合い、軽く笑いかけてみたが、彼女は逃げるようにルダの後ろに隠れてしまった。

「なに、先生。どうかしたの? こんなに子供引き連れちゃって」

 聞くと、ルダは片手に持っていたものを見せた。演奏会のとき、買った笛だった。

「この前の演奏会の話をしていたら、楽器の演奏を強請られてしまってね――僕の笛じゃ力不足みたいだから」

 この頃、暇さえあれば、ルダは笛の音を響かせていた。庭もそうだし、当直室もそうだし、私の前でもそうだった。全く下手の横好きと言った具合の音色ではあったが。

「練習はあまり役立たなかったみたいだね」

「やっぱり才能ないんだよなあ――」

 ただでさえ、情けない調子で喋っていたのに、いよいよ力の抜けた声で嘆いた。申し訳ないけれど、本当にそうだと思う。治療や神事はあんなに淀みなく、身体に刻まれた動作の一つのように行えるのに、笛の運指は寂れた機織り機みたいな動きだった。

「それで、私の所に来たってこと?」

「そういうことだ。でも、それだけじゃない。賞賛も一種の幸福だと思ってね」

 一応、治療の話なんだよ――ルダの調子は軽い。私はくすりと笑った。

「なにそれ、テキトーっぽい。建前っていうか、大義名分っていうか」

 ルダは否定せず、私につられてか、笑いながら答えた。

「そう言われると返す言葉がないね。で、どうかな。子供があまり得意じゃなければ、僕の方からみんなに言い聞かせるけれども――」

「安心して。孤児院でたくさん面倒見たよ。年は子供でも、私とリースがほとんど大人みたいなものだったから」

 私は笛をベンチに置き、子供たちの前にしゃがんだ。

「私ね、前に居た街でたくさん笛を吹いてたんだ。それもたくさんの大人の前で。さ、聞きたい人、手を挙げてみて」

 縮こまっていた子供たちの手が、一斉に上がる。子供は敏感で臆病ではあるけれど、自らに素直な、自然な存在だ。これが、私とリースにはなかったもの。欠けていたものである。大人になるとは、何も我慢が必要なわけではない。だけれど大人という型を通り抜けるのには、これが一番楽なのだ。楽で、味気ない道。

 だから、子供たちがそうならないことを願うために、私は願いを叶えるのだ。

 それから、その日は一日中笛を吹かされた。実のところ、子供たちに聞かせるようなものは、バルデル医院に来てから――もっと言えば、演奏会の後に笛を買ってもらい、その暇つぶしに習得したものだったけれども、彼らはとても喜んでくれた。

 ちゃっかりルダも楽しそうに聞いていた。前に、私の笛が聞きたいと言っていたことを思い出す。治療とか言っておきながら、調子のいい医者だ。医者の癖に、病気を重い文脈で語らない。なんだかそれは腑に落ちないし、たまに苛立つ。

 でも、こういう流れの全てが――他人に小さな感想を抱き、小さな感情を抱き、人のことを、隙あらば茶化してやろうとほくそ笑むことを、恐らく平穏と呼ぶのだろう。

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