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第十話

「ねえ、そういえばどこに行くか聞いてないんだけど」

 そう聞くと、ルダはあっけらかんと答えた。

「そりゃあ、特に行く場所も決めてないからね。君が興味あるもの見かけたら、呼び止めてくれて構わないよ。あ、でも、そうだな――画材は買い足したいかも」

「画材? 絵とか書くの?」

「ああ。それこそローデスが言うところの、活発的でない趣味、だね」

「絵、好きなの?」

 そういったことに関しては、ラーネの好物だ。お世辞にも上手いとは言えないが。

「うーん、まあ、そこそこ?」

 だが、ルダの歯切れの悪い回答に、私はなんだかムッとした。

「何それ、そうでもないの?」

「いや、うーん――こう、白黒つかないことってあるよね。例えば、豚の腸詰とか、たまに食べたくなるんだけど、脂がしんどかったりして、好きかって言われると微妙でさ」

 私は首を傾げた。

「何その――猟奇的な料理」

 レーチヤでは、せいぜい家畜を屠殺して、内臓は肥しに、残った肉は切り出して、煮たり、焼いたり、塩漬けにしたりする程度のものだ。ルダは顎に手を当てた。

「確かにやってることを冷静に考えると、結構えげつないね。うーん、豚の気持ちになったらたまらないものがあるな。自分の腸に砕かれた肉体を詰め込まれるのだからね」

「それも自分のでしょ? うわ、なんか変な方向に興味湧いてきた」

「怪談とか奇談を人々が好む理由だよね。ちなみに他人――他豚? の肉体を詰め込まれることもある。腸って結構長いからいっぱい入るんだ。ちなみに人間の腸も長くて――」

「ストップ、人間の臓物のことをウキウキで話さないで。あと、他豚の話で完全におぞましいものだと思ったから、この話はここで終わり」

「なんだ――おいしいのに」

 ルダは残念そうな声を出した。人間の腸が? ――ああ、豚の腸詰か。

 砕いた肉、というのもあまり食べたことがなかった。肉は砕いたら、どんな感じなんだろうか? ボロボロと、パンの破片のようになるのだろうか? そしたら、物は小さいから食べやすそうではあるけれども、腸――? 腸に詰めるというのがピンと来ない。

「――ねえ、それってどこにあるの?」

 聞くとルダは嬉しそうな声を出した。

「お、興味が湧いてきたかい?」

「うん――って、待って。まだ連れ出された理由を聞いてないよ」

 言うと、ルダがはっとして、足も止まった。私はルダを見上げながら、ねめつける。

「ねえ、ルダ先生、すっかり忘れてたでしょ」

「は、はは――すまない。ちゃんと説明するよ」

 ルダは大きく咳払いをして、背筋を伸ばした。大人がよくやるかっこつけだ。

「君を連れ出した理由はね、君に幸福の貯金をすることだよ」

「幸福の貯金――? 何の宗教?」

 素直な質問だったが、ルダは苦い顔をした。

「メルンはたまに大人より抉ったことを言うよね――。君は不幸を吸い上げてしまう性質があるだろう? その性質と悪夢には関連性があると思わないかい?」

「まあ、そうだね。亡者が私を削るほど、不幸は降りかかったから」

「それ。じゃあもしもだけど、それが君から幸運を奪うって行為だとしたら、どう?」

「言いたいことわかった。身代わりを増やそうって話ね。幸福を貯めておいて、それを亡者に奪わせる。そうすれば、私の肉体は削られない――」

「あくまで仮説だけどね。だから実験。それに、患者の心も満たせなければ医院としては二流だからね。ここには君の興味を引くものもたくさんあるよ。豚の腸詰のようにね」

 それの興味の向き方は、怖いもの見たさではあるのだが。

 ルダの言う食事処は、やはり家屋の中に、紛れひっそりと佇んでいた。看板には、「エッセルのバーレストラン」――要は酒場のことであった。隣の大人を怪訝に眺める。

「昼間からお酒――?」

「僕がそんな駄目な大人に見えるなら心外だなあ。忘れたかい、ここは医者の街。ハウゼのお酒は薬効の方が強いし、皆、健康のために飲んでいるんだよ」

「つまり、昼から飲んでるじゃん。いろいろかこつけて」

 そんな説明ではぐらかされるほど、子供じゃない。ルダは頭を掻いた。

「厳しいなあ、メルンは。じゃあ、お酒は控えるかな――」

 だが、諫めてはみたものの、確かに酒場の雰囲気は私の知ってるものではなかった。酒場なんて、酒が飲めればいい、と大人が集まる場所だと考えていた。だから、内装なんてガタガタの台とカウンターしかなかったし、椅子は空いた酒樽だった。時折、酒樽の蓋が抜けて、尻が抜けなくなった人もいた。それで大騒ぎになっているのを子供の頃、馬鹿だなあ、と思いながら眺めていたのを覚えている。

 ここの酒場は、看板に書いてあるから分かったものの、上品な貴族がやってくる茶屋のようであった。木と布が組み合わさった椅子や、丁寧な彫刻が成された机。暴れ出す酔っ払いの相手を毎回させられるなら、こんなにコストのかかるものはないだろう。

「おや、ルダさん。お久しぶりです。今日はお暇で?」

「いいや、患者さんの治療の一環だよ、これも」

「それは大変なことで――。そちらのお嬢さんが?」

 ここの店長らしい男性が、恭しくお辞儀をする。私も慌てて会釈をした。

「大変なんてとんでもない。とりあえず、パンと豚の腸詰のセットを貰えますか?」

「ええ、かしこまりました。お好きな席にどうぞ」

 ルダは丁寧な所作で、椅子を引くと、私に譲った。すごいそわそわする動きだ。私は思わず、整えるところもないのに服を払い、髪を軽く手で漉いた。

「ねえ――なんかやりづらいって」

 正直なところを伝えながら、席につくと、ルダは微笑んだ。

「まあ、ハウゼ一の医者にエスコートされるのは幸運かもしれないけどね」

「それには、素直に頷きづらいかもなあ」

 ルダはこういう肩書は苦手らしい。

これから制圧するときはこれを使ってやろう、と思いながら椅子に背を預けた。

 そう言えば、こんなに自由に身体を動かしているのに、どこも身体が痛まないことに気づいた。膿垂症特有の、腹を針で刺しながら、穴を空けられるような、小さいが、無数に走る痛み。ときに感染して、腫れぼったくなった内臓が訴える、熱にも似た痛み。人と話して、時を忘れる。確かに、幸福は今この時、蓄積されているのかもしれないと思った。

 ああ、こうやって浸って黙り込んでたら、ルダはきっと瞳を覗き込んでくるんだろう。私は考えが読まれるのが癪で、私は意図的に会話を重ね続けた。

「ねえ、なんでルダは医者になろうと思ったの?」

「なんで――いや、医者というのは気づいたらなっているものだよ」

 真顔でそんなことを答えるルダに、ブーイングを飛ばした。

「そんなんいいから。理由、あるでしょ。人を助けたいとか」

「そうだなあ――」

 だけど、簡単な質問なのに、ルダはそのまま考え込んでしまった。

「いや――うーん――生まれた時から、そうだったというか。人を救うのは自然なことだった。人を治すのも自然なことだった。未来というのは、選択するものではなくて、今が勝手に重なっていくものだと思う。だから、生きていたら、医者になったんだ」

「よくわかんない。なろうと思ってなるもんでしょ。勉強だって試験だって、自分から受けに行ったものじゃん」

「そうだね。でも、それ以外は考えられなかった」

 ルダは、私に目をやると、ゆっくりと話を始めた。

「ねえ、メルン。今までは未来を選ばされるばかりだったろうけど、いずれ君には自由がやってくる。何にでもなれる日がやってくる。でも、その時こそ、君の本来の姿が未来に勝手に写されるんだ。選択肢はない。人生を何回も繰り返しても同じ結果になる。だから自分の心の中の天秤に従えばいい。君が信じる道を行けるように。君が比べて、君が決めて、君が天秤の皿を地に着けるんだ」

「――想像つかないし、私に天秤の話する?」

 そう言うと、ルダは慌てた。

「あっ、いや――すまない、ほんと――失念してた――。僕がいつも使う例えだからついそのまま喋ってしまった。申し訳ない」

 両手を合わせて、頭をぺこぺこと下げる姿は情けなくて、私はつい吹き出した。

「楽しそうでなによりでございます。こちら豚の腸詰と付け合わせのパンです」

 豚の腸詰は思ったよりも、整った見た目だった。ナイフで切ると、香草と豚の肉らしきものがぐちゃぐちゃに混ざっているようだった。そこで私はまた、見た目以上に猟奇的なことが起きていることを実感した。

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