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第八話

 思わず零すと、ルダは苦笑した。

「そう。一応、君の第一発見者ではあるかな。運動なんて普段しないから、本当に探すのも追いかけるのも苦労したよ。泥だらけの足跡のおかげで発見は遅れずに済んだけど」

 彼の身体つきを見れば分かる。私が争ってもギリギリ勝てそうな感じだ。

「静かに話しかけてくれれば逃げなかったよ」

 若干、恨み言にも似た具合に話すと、ルダは顔をくしゅりと縮ませた。

「うっ――いや、申し訳ない。君の言う通りだな。でも、君があまりにボロボロで、その上、不衛生な状態だったものだから。それに僕一人じゃ君は運べないって思って」

 その言葉を聞いたローデスは分かりやすくため息を吐いた。

「情けない話、この男には活発的な趣味もない。そのせいで、日に日に筋肉が衰えているんだ。全く、医者の癖に運動を欠かすとは、説得力に欠けるぞ」

 ルダはローデスに肘で小突かれて、返事をする代わりに身体を縮めた。

「だが、彼の医療技術は本物だ。こんななりでこんな気の弱さをしているが、彼はハウゼ史上、最も優秀な医者でな」

「その紹介、僕はあまり好きじゃないな。神授医の試験を最年少で突破しただけだ」

「神授医?」

 私が疑問を投げかけると、ルダが説明をしてくれた。

「神授医は、神に選ばれた医者のことで、新月病を治すことを使命としている。そのせいで普通の患者を診る時間はなくなってしまうのだけれど」

「つまり、君が目指す先、というわけだな」

 ローデスが私の方を見て、にやついた。すっかり、私が医者になるものとばかり思ってる。私は反応を返すのも面倒で、顔ごと逸らした。

「ちなみに、ローデスは僕の次に早く、神授医の試験に受かったんだよね」

「ふーん、じゃあハウゼの二大巨頭が揃ってるんだ」

 からかうように言うと、ルダは眉尻を下げた。

「肩が重くなる称号だなあ。僕らは所詮、医者だよ。治すことには長けているけれど、それだけで街のトップにはなれない」

 ローデスがパイプを口から離し、ふう、と煙を吐いた。煙は私とルダの間に割って入って、会話に空白を生んだ。彼女はそこに遠慮なく言葉を刺し込む。

「なんにせよ、彼が君の治療に関わることは決定事項だ」

 結局は、そうなるのだろう。だったら話すわけにはいかない。その内心を読み取ってかローデスは強めに言葉を発した。

「治したい人がいる、というなら――急いだ方がいいと忠告しておこう。新月病は、時間がかかればかかるほど治療は絶望的になる。だから――君が医者になるのを待つ時間はないということだ。だが、もし、新月病の患者を知っているというなら、私はしばらく君の治療をルダに任せて、そこに赴いたって構わない。どうだ」

「私のは、新月病じゃないよ」

 私の言葉にローデスは怪訝そうな表情をしたが、私は構わず話を続けた。

「――その前に、ローデス、約束して。私の友人の新月病を、必ず治すって」

 いろいろと思うところはあった。私は根っからの善人などではないから。

 だけど。自分のことは、やはり投げ出そうと思った。例え、手遅れであったとして、自分の身を、これ以上可愛がるのは性に合わない。それに、この命はあの二人が繋いでくれたものだ。そしてラーネの新月病が治るのならば、それは私にとっての幸福だ。

 提示された条件にローデスはすぐに頷いた。

「ああ、約束しよう。君はそういう奴だと思ったから、準備は済ませている」

 全部、把握されてたってわけか。

「まったく――瞳をいちいち覗き込んできた成果はあったみたいだね」

 私は、息を吸い、吐く。この街の、巫女となるか、迫害者となるか、はたまた患者で居続けられるか分からない。だが、私が口を開かなければ、縁を全て失うことになる。隠し事はなし、保身は無し。あの二人のことだけを考えるんだ。そう言い聞かせないと、私は臆病にも、また自分の身を守るだろうから。

「清水の街レーチヤ。そこにラーネという女の子がいる。彼女が新月病の患者。彼女が見つからなければ、リースという男を探して。彼は、ラーネの兄。もう二人ともレーチヤを出てるかもしれないけど、街の人間に聞けば足取りは分かるはず。それと『清ら水』の源泉は汚さないこと。レーチヤで作られた食べ物は口にしないこと」

「膿垂症だな。安心したまえ、心得ているよ。ラーネとリース、確かに覚えた」

 ローデスはそれだけを確認すると、病室をすぐに出ていった。まるで、資料を探しに軽く席を外すかのように。私は喋っていた口がそのまま塞がらなかった。

「はや――もう少し言うことあるでしょ」

 ルダは驚いていなかった。いつものことのようだ。

「仕方ないよ。新月病は時間との戦いでもある。ローデスからも聞いたね」

「聞いた。言いたいことも分かるよ。けど――彼女は私の症例のことを聞きたくて、こんな条件を出したんじゃん。でも私がここで自分のことを話さかったらどうするの? 交渉決裂じゃん」

 私は焦ってまくしたてたのだが、ルダは優しく微笑んだ。

「つまり、最初から交渉ではなかったってことさ。ローデスは君から嘘偽りない情報を聞きたかったんだと思うよ。せっかく得た情報で騙されちゃ、救えるものも救えない」

「そっか――」

 ローデスは、いい意味で病気にしか興味がないと思っていた。彼女は治療を楽しんでいるかのような言動をするし、私のことなど結局見ていないと思っていた。だから、今回も言い方は悪いけれども、人質を取って話を聞くつもりだと思ってたのに――。

「まあ、彼女は医者だからね」

 ルダが突然そう言って、私は非常に不服そうな顔を作って見せた。

 これだから大人は嫌いだ。カッコつけるし、全部言い当ててくる。

「まだ何にも言ってないんだけど。なに? ハウゼの医者って瞳から思考を読み取る能力とかあるわけ? もう目隠しでもしとこうかな」

 私が目を逸らすと、ルダは笑いながら謝った。

「ごめん、ごめん。ほら、僕らは病気を察する仕事をしてるから、人の機微には敏感じゃなくちゃいけないんだ。じゃないと、信頼もしてもらえないし、誰も救えない」

 誰も救えない――柔和な口調から重い言葉が、当然のように現れた。私は、ばっとルダの方を見たが、相変わらず気の弱そうな笑顔。言葉が雰囲気と合致しない。それが、なにか恐ろしいものを感じさせるものだから、私はシーツを手繰り寄せた。

「それで、どうだい? そんなことを聞いたってことは、やっぱりまだ話したくない?」

 話すつもりではあった。あったのだが、もしかしたら話さなくてもいいかも、などと薄く考えていた。しかし、ルダの寄り添うような――気遣うような言葉にカチンと来た。

「子供だと思って舐めないで。私は交渉のつもりだった。言うよ」

「それじゃあ、君の敬意に甘えて、聞かせてもらおうかな」

 すると、彼は簡単に引き下がり、私の言葉に耳を傾けた。私は身を乗り出していたことに気づいて、身体を戻した。もしかしたら、今のは上手く乗せられたのかもしれない、と思ったが、癪なので考えないことにして、話を始めた。

 私は悪夢のことをまず、話した。次にレーチヤでの来歴や、ハウゼに来た理由、体重減少に関しての推測まで、洗いざらい全てを話した。ルダはそれらの話を遮ることなく、目を細めて聞いていた。たまにメモをしながら、だが話を聞き逃すことはなく。

 ――医者というより、狩人のようだ。それが、彼の纏う印象だった。

「確かに、新月病とは違うかもしれないな」

 ルダは、長い沈黙の後、そう呟いた。

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