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第七話

 ローデスは、それを気取っているのだろう、それで構わん、と蹴りをつけ、話を続けた。

「詰まる所、新月病の治療とは神意をなぞることが可能であり、医療に精通していることが条件となる。医療的な側面の解消のため、研究は必須だ」

「神意をなぞるって――それって神職者の仕事じゃん。だから、治せないんだ」

 ラーネの体調については、私は多くを知らない。けれど、動かした身体の部位から内出血を起こして、それが肺に溜まっていく――ということは知っている。彼女の身体の内部はボロボロのはずなのに、私と違って、彼女の身体はまっさらで白魚のようだった。それが、やけに不気味だった。

 ローデスは煙を吐くと、治せないわけではない、と諭してきた。

「新月病は治せる。ただし、あれらの病は原因が難解だ。傷は縫えば塞がるし、病は薬の処方で解決ができる。しかし、新月病にはそれら医療行為にすら意味を持たせる必要があるのだよ。つまり――独特の儀式が必要になるというわけだ。これが神意をなぞるということに値するのだが、神意は当然、人間がおいそれと触れられるものでも、理解できるものでもない。一つの治療法は一つの新月病しか治せない」

「よく分からない。学がないんだよ、こっちは。もっと簡単に言って」

「つまり、知らぬ他人の機嫌を直すようなもの、というわけだ」

「なるほど、めんどくさそうだ」

「その通りだ、メルン。だからこそ、進んで治したがる人間が必要というわけだ」

 ローデスは、医療のことと人をからかうときは、楽しそうに話し、いつもの気だるげな表情は消えるのだった。だが、散々そうやって楽しんだ後は、流れをほっぽりだすようにどこかへ行く。今回も、そのまま本の返却へと席を外してしまった。私は再び本を取り出して、続きを読み進めた。恋愛に興味がある、というわけではない。しかし、この本はハウゼのように発展した街の普段の生活が垣間見えて、それが好きだった。私も、このようなところで生まれていたら、と考えを巡らせている。

 まず、ハウゼで生まれたのなら、きっと私には両親がいるのだろう。私を捨てることのない、温かい家庭だ。たまには喧嘩をするだろうけど、そんなことは問題にならない。それに家族と喧嘩したって、きっと友人もいる。だから問題はない。学校で授業も受けてみたい。きっとたくさんのことを学べるだろうし、セオ院長が言っていた縁もたくさん結べる――。巫女のように歪んだ縁ではなくて――。

 そこまで考えて、私はふと気づいた。私が望んでいるのは、生まれ変わりじゃない。私は、不幸の象徴である巫女から、距離を取りたいだけなのだ。こんな身体に生まれたくないだけだ。普通の身体であればよかっただけだ。

「馬鹿馬鹿しいな――」

 私は本を閉じて、枕に頭を預けた。


 気づけば、私の眼前には、吐き気のする極彩色の空が広がっていた。いくら病が治療されたところで、私の特性は変わらない。削られた私の身体は元には戻らない。いくら治療を重ねたところで、悪夢の中の負債は精算されないのだ。

 私は、土気色の亡者たちの頭を数えた。一つ、二つ――亡者の数はとうとう七つに増えており、動きは緩慢ながら、自分の肉体が消えていく速度は上がったように思える。昔は指で掬うくらいのものだったのに、それが今では手の平まで使われている。

 そろそろ寝たら、死ぬのかもしれない。そう思っても、気づいたら悪夢の中にいるのだから、私の意思はもはや関係ないのだろう。悪夢の中、この気色悪い感覚が蠢く中、私は目を閉じて、朝が来るのを祈ることしかできないのだ。


「起きたまえ、メルン。重要な話がある」

 私が目を開けて声の方を向くと、やはり、いつも座っている椅子にローデスの姿があった。彼女は相変わらず、パイプの先で薬草を燻らせながら、書類をめくっている。

「どうしたの、ローデス先生」

 私が聞くと、こちらに視線をよこし、いつものように淡々と話し始めた。

「君の病はほとんど取り除かれた。合併症を引き起こしてなくて幸運だったね。あと一日診るのが遅ければ、君の切創、病創――まあなんでもいいが、そこから壊死が始まっていてもおかしくなかったぞ、よく助かってくれた」

「――そう」

 ローデスの言う診断には、あまり興味が向かなかった。

「なんだ、嬉しくなさそうだな。死にたかったわけでもなかろうに」

 当然だ。生きたいに決まっている。私は、不幸のない生活を望んでいる。だけど――。

「助かったとして、どうせ生きられないとしたら?」

 こんなこと言っても、どうしようもない。わかってはいても、口走ってしまった。この数日で、たった数日でローデスに心を許している自分がいる。彼女はすぐにこちらを見透かすし、デリカシーもない。だけれど、彼女は誠心誠意、私と意思疎通を図るのだ。

「君の最後の病――どうやら気づいているようだな」

 そして、ローデスは、そのサインを見逃さない優秀な医者だ。これ以上、言葉を重ねたらリスクの方が大きい。私は口をきつく閉じて、押し黙った。

「君が喋りたくないならそれでいい。それならそれで、話を続けるだけだ。君の身体に妙なところがあった。入院した時よりも体重が落ちているのだ。それだけであれば問題はない。君の栄養管理を行えばすぐに改善される代物だからね。だが問題なのは、君の身体をどう検査しても、君は正常な体型をしている――つまり君の今の体型は標準なのに、体重は君の身体が一種の飢餓状態であることを警告している」

 体重の減少――恐らくあの亡者に奪われた肉体の分だろう。ということは、やはり悪夢の中の身体の欠損は、現実にも影響を及ぼす、ということになる。いずれ、身体が無くなった時――いや、全て無くなるまでもなく、私は死に至るかもしれない。その予感にうすら寒い感覚が背中を走った。動かなくなるのは、まずは腕から、だろうか。

「心当たりがあるようだな。――どうだ、信頼して話してみる、というのは」

 ローデスはいつも通りだ。だが、私は病室のドアを睨みつけ、ローデスを見つめた。

「――あんただけならいいよ。でも、ドアの前にいるそいつはどけて」

 ローデスは目を見開いてから、にやりと笑った。

「驚いた。君はきっと、神事にも優れている。楽しみがまた一つ増えたよ」

 彼女がドアを開くと、長身細身の気の弱そうな男がいた。彼は気まずそうに頭を掻いている。身に纏っている白衣の煌めきが、ローデスと同じ立場であることを示している。

「重要な話というのは、彼のことなんだ。ルダ、自己紹介――」

「あ、追っかけてきたやつ」

 私はこの男に見覚えがあった。この街で一番初めに出会った男だ。

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