皿に載せられた不幸への報酬が、みすぼらしくなったように思えた。例えば、食料のうち、白く柔らかいパンが、少し茶色がかり始めている。精練不足の生地から焼き上げられた、少し硬いパンだ。台所を覗くように、鉄格子の取り付けられた窓から、外を覗いてみれば、畑にたなびく穂は少なく、不作続きなことが見てとれた。
私が巫女となる前、孤児の頃には、これより粗悪な食事をしていた。レーチヤの街を襲った流行病、『
私の一番古い記憶は、山の中で、生まれたままの姿で座り込んでいたところだ。そこに大人達が何人もやってきたのを覚えている。後から聞いた話では、彼らは『清らの水』の源泉を調査しに来たらしかったが、当時、まだ幼かった私には分からぬ話だ。
「おい、こっちに来てくれ! 子供が捨てられてるぞ!」
男の大きな声も、当時の私にとっては何ら意味を持たなかったものだったと思う。大人達が走りくる足音が、ぺたりと座った地面から伝わったが、私は、ぼんやりと木々を眺めて、空を仰いでいた。何も気にしていないというよりは、何かを気にする能力が備わっていなかったと言う方が正しいと思う。
「なんだってこんなところに――おい、誰か服を着せてやれ!」
「いや、待てよ。俺たちは膿垂症の調査をしに来たんだ」
「だからってなんだ! お前の家もガキがいんだろ! 同じ年だ!」
「そいつは――そうだがよ――」
大人達は何かをいがみ合っていて、大人の一人が私に大きな声で呼びかけた。
「おい、大丈夫か!」
耳が痛くなるような声だった。私は少し不快に思いながら、頷いた。私が無事か、そんなことは私にも分からない。私は自分の名前も、自分の身体も、何も知らなかったのだ。
ただ、先ほど聞いた言葉を咀嚼して、私は初めて自分の状況が分かった。
私は捨てられたらしい。
私は山に捨てられて、だからこんなところで裸でいるんだ。意味を理解すると同時、全く平気な顔をしていたのに、私は急にやるせない気持ちになって、うずくまった。このまま小さくなって、木の種にでもなれたらいいのに――などと思った。
これが、私が覚えている中でも、最も古い絶望である。
「いいか、この子を急ぎで街へ下ろす! 残った奴は先に進んで調査を始めろ!」
私は実際、植物の種子になろうと身体を丸めていたが、この大きな声の男に抱えあげられてしまった。地面から離された私は布巻きにされて、街へと連れていかれた。
私が運ばれたのは、孤児院であった。昔は教会であったのだろう、立派な石造りでありながら、色とりどりの花が咲く庭、そこで楽しそうに遊ぶ子供たちの声が、あまり知らない暖かみを感じさせた。山の中の土が、生い茂る木々が、空が冷たかったことを知った。
「山の中で拾ったんだ。恐らく捨てられたんだろうよ」
私を抱えてきた屈強な男がそう伝えると、初老の男が唸った。
「山の中、ですか。うーん、見たことない子ですね――。皆さん、見覚えは?」
初老の男は一人一人に私のことを問うたが、誰もが首を横に振った。
「困りましたね――」
私は、静かになった大人たちの顔を見上げ、ぽつりと呟いた。
「それなら、あのまま木になっちゃえばよかった」
大人達の表情が固まったのを覚えている。孤児院の方から、愉快な笑い声だけが聞こえ、ここだけ時間が止まってしまったかのようだった。私は、それを見て、ここは私のいるべき場所ではない、いよいよ木になるべきだろうと決心を固めた。大人の手をすり抜けて、地面へと降り、布をローブのように纏って、山へ戻るべく、来た道を戻ろうとした。
「お、おい――」
大きな声が出せるはずの彼の口から、絞り出された呼びかけ。それは制止の意味を持たないだろう。私が歩き続ける中、ひそひそと話す声だけが微かに聞こえた。
「待て。セオ院長以外に君を受け入れてくれる寛容な人はいない」
私はその声に、制止の意味を感じて、立ち止まった。やけに大人びた喋りで、それはとても幼い声――当時の私からしたら同年代の親しみやすい声だった。私が振り返ると、初老の男性の足元に、男の子が立っていた。首元には、血を濾して固めたかのような、真っ赤なペンダントがぶら下がっている。
「君が生きられるチャンスを、ここで捨てることはない。セオ院長。彼女、放っておくと本当に木になるため、自らの身体を土の中に埋めてしまいそうだぞ。この場で決めねば」
「おい、子供が口を出す話じゃ――」
「では、彼女にみすみすと土に還るよう促せと言うのか。若輩で申し訳ないが、俺もセオ院長の苦境は心得ているつもりだ。だが、目の前の命を軽んじることはできない」
彼は、私と同じくらいの体格であるのに、毅然とした態度を崩さず、しっかりとした喋りで周りの大人を圧倒していた。私を連れてきた男は、何か物を言おうとしたが、上手く言葉が見つからなかったのだろう、そのまま話の流れに耳を傾けた。セオ院長と呼ばれた初老の男性は、少し唸った後で、ふと柔和な笑みを浮かべた。
「――そうですね。彼女には、うちに来てもらいましょう」
そうして招かれた孤児院での食事もまた、記憶に残る中では、最も古い食事である。カチカチの黒いパン。レーチヤの街は『清らの水』に全てを依存していた。その水が使えないとなれば、レーチヤ内で料理はできず、既製品は街の共有倉庫の奥へしまわれた。
だから、それはレーチヤの外から仕入れた、貴重な黒パンであった。私はそれに歯を立てたが全く噛み切れず、歯茎と両手で綱引きをする羽目になった。
「おい、貸せ」
見かねたのか、男の子が私の口からパンを取り上げ、両手で小さい破片に千切った。私はしばらくその様子を眺めていたが、破片とパンを渡され、慌てて受け取った。
「さっきの子?」
「ああ、リースだ。このパンは固いからな。小さく千切って、唾液でふやかすといい」
初めて覚える食事の方法。言われた通りにパンの欠片を口の中に放り込んだ。舌の上を布にも似た感触が転がり回り、思わず顔をしかめた。奥歯で噛んでみるが、押しつぶすにはあまりに力が必要で、歯形でも取られているのかと思うほどだった。唾液もほとんど出ずに、不満げな顔でリースを見ると、リースは口の中をしきりに動かしていた。
「舌の付け根を刺激すれば、唾液が出てくる」
私の表情を読み取って、リースはそれだけ言った。舌を折り曲げ、舌根に付いているひだのようなものを刺激すると、わずかだが、掘り立ての湧き水のように、ちょろちょろと唾液が出てきた。と言っても、それは液体と言うより、水分と形容されるものであり、舌に纏われた程度で、渇望した水は希薄になっていった。
「まあ、最初はそんなものだよ」
再び不満げな顔を向けると、リースは軽く口を歪めていた。