数分後、ツバメの胸で泣いていたヒストリアが落ち着きを取り戻した。
「……落ちつきました?」
ヒストリアは頷き、ゆっくりと離れる。
「……ずび……はい……すみません……えっと……あっまだ……お名前を……」
「あっ!」
ヒストリアの言葉にツバメが慌てて答える。
「すみません! 名前を聞いておいて名乗ってなかったですね! 私はツバメ、ツバメ・クラウドです」
「……ツ、ツバメさんですね……えと、ありがとうございました……気が楽になりました……」
ヒストリアは小さく頭を下げた。
「いいえ、気にしないでください」
ツバメは笑顔のままベッドのわきに座った。
「……えと、あまり踏み込んだ事は言いたくないのですが、大切な事なのでお聞きますね。その様子だと、行く当ても頼れる人もいない……そう考えても?」
ヒストリアが首を垂れる。
「……はい……」
「そうですか………………では、冒険者になってみませんか?」
「…………へっ? ぼ、冒険者?」
ツバメの思いがけない言葉にヒストリアが顔を上げた。
「はい。私、ここの職員をしていますのでサポートできます。後、冒険者の皆様は様々な理由や目的で活動していますので、詮索してくる人はいませんから普通に生活するより楽だと思いますよ」
「……で、でも……ワタシが冒険者なんて……出来るかどうか……」
「何言っているんですか、ヒトリさんは相当強いですよね?」
ツバメが真っ直ぐヒストリアを見つめた。
「え……? あっ……」
その視線に耐え切れず、ヒストリアは目を逸らしてしまった。
「……その……そんな事……無いです……」
「誤魔化しても無駄ですよ~。こう見ても私、目にはかなり自信があるので」
ツバメが誇らしげに右手で自分の眼に指をした。
「……」
ヒストリアは何も言えず黙ってしまった。
「……まぁ強制ではありませんし、1つの道と思ってください」
ツバメはベッドから立ち上がり、床に落ちていた果物ナイフを拾って元の場所へと戻した。
「あ、ヒトリさんって嫌いな食べ物ってありますか?」
「あっ……いえ……特にないです……」
「わかりました。じゃあ改めて何か作ってきますね」
ツバメはニコリと笑顔を見せ、部屋から出て行った。
ヒストリアは体の力が抜け、ベッドの上で仰向けになる。
「……どんな辛い事があっても……苦しくても……今を生きているんだから生きなきゃ……か」
ツバメの言葉を反芻し、パティの言葉を思い出す。
連れ去られた日の夜、身を寄せ合って交わした約束を……。
『……だから……この先……何があろうと、どんな辛い事があっても生きて……生き抜いて……絶対に2人で教会に帰るの……』
パティ、ツバメ共に生きろと言葉。
ヒストリアは右手を見つめた。
「……パティ……ごめんね……2人で一緒に教会に帰るって約束、破っちゃった……けど……」
ヒストリアは右手を強く握りしめた。
「……けど、何があろうとワタシは生きて……生き抜く……! この約束だけは絶対に守るから!!」
そして、強く握った右手を突きだした。
「お待たせしました~」
野菜のスープを持ったツバメが部屋へと入って来た。
「あっ……ツバメさん……ちょっといいですか」
生気のあるヒストリアの声に、ツバメは安心した様子で椅子に座る。
「……その様子だと、決めたみたいですね」
「はい、ワ………………ボク、冒険者をやります!」
ヒストリアの言葉に、ツバメは微笑んだ。
「……わかりました。よろしくお願いいたします、ヒトリさん」
「はい!」
この瞬間、ヒトリという名の冒険者が誕生した。
※
全てを話し終え、沈黙が流れる。
その沈黙の中、最初に口を開いたのはシーラだった。
「……なるほどねぇ……ヒトリも随分と重い物を背負ってたんだねぇ」
シーラの隣の椅子で座っていたフランクが頷く。
「だな、人に歴史ありってのはヒトリ……じゃなくてヒストリアも同じだわな」
「あっ……ヒトリでいいですよぉ。ヒ、ヒストリアの名前は捨ててはいませんけど……ここでは冒険者ヒトリですから……」
「そうか? ならヒトリで呼ばさせてもらうが……」
フランクがツバメの方を見る。
「ヒトリって名前、ツバメの聞き間違いだったはどうかとは思うぜ?」
「うっ!」
フランクの言葉がツバメに突き刺さった。
「だ、だって! ヒトリの声が小さくて、そう聞こたんだからしょうがないじゃないですか!」
ツバメの反論に対してフランクが目を細める。
「だとしてもよぉ……」
「何ですか! その目は!?」
「あっ……えと……あ、あの!」
2人の言い合いに、ヒトリが慌てふためきながら間に割って入って来た。
「ちゃ、ちゃんと言わなかったボクが悪いのでツバメちゃんを責めないで下さい。それに、むしろ間違えてくれた事……感謝していますし……」
「感謝?」
ツバメが不思議そうな顔をする。
ヒトリはその顔を見て、少し微笑みながら続ける。
「うん……ヒトリという名の新しい自分として再出発を出来た……ヒストリアのままだったらここまでやれてなかったと思うんだ」
「ヒトリがそう言ってくれるのは嬉しいけど……なんか複雑な気分だわ」
ツバメは苦笑いを見せつつ頬を掻いた。
そんな和やかな空気の中、シーラが口を開く。
「ヒトリ、1つ聞きたい事があるんだけどいいかい?」
シーラの真剣な声に場が一瞬にしてピリついた。
「あっ……はい……」
「ジョーカー時代、自分の意思ではなかったとはいえ大勢の人の命を奪った……それに関してどう思う?」
シーラの言葉にヒトリはビクリと体を震わせ、ツバメとフランクが驚きの顔を見せる。
「ちょっシーラさん!」
「おいおい、姐さん。いくらなんでもそりゃあストレートすぎるんじゃねぇか?」
「2人は黙ってな。これは大切な事なんだよ……で、どうなんだい?」
俯いていたヒトリが顔を上げ、シーラと目線を合わした。
「……ボクの犯した罪は消えませんし、消したいとも思っていません。ですから、この命尽きるその時まで罪を背負って生きていく覚悟はあります」
ヒトリは全く目を逸らさず答える。
「…………ふふ」
シーラは満足そうに口角を上げた。
「自覚していなかったら、今すぐ騎士団に連れて行こうと思っていたけど大丈夫の様だね」
椅子から立ち上がり、ヒトリの右肩に手を置いた。
「今の話を聞いて納得する人、しない人、色々いるだろうけど……少なくともアタイはヒトリの味方だよ」
フランクも立ち上がり、シーラ同様にヒトリの左肩に手を置いた。
「オレもだぜ」
「もちろん私もだよ!」
隣に座っていたツバメがヒトリの両手を握りしめた。
「…………ありがとう……ございます……」
両肩、両手の温もりに、ヒトリの瞳から自然と大粒の涙がこぼれ落ちるのだった。