ヒストリアとして生きていれば15歳の誕生日を祝われる日の夜。
ルノシラ王国より離れた林の中に、とある貴族が住む大きな館が建っていた。
その館の前の林の中に、ジョーカーとジャックの姿があった。
「今日は、この館の主を始末してもらう」
ジャックの言葉にジョーカーが小さく頷く。
「ここは大量のゴーレムが配置されている為、騒ぎになると色々厄介だ。故にジョーカー、お前の出番という訳だ。頼んだぞ」
「……了解……」
返事と同時にジョーカーは闇に溶ける様に姿を消した。
ジャックはその場に座り込み、ジョーカーが戻ってくるのを待った。
「それにしても、エイゴトス家も落ちたものだ。先代は積極的に奴隷を買い取り、帰郷させ、出来ぬ者には自分の館で使用人として雇い、独立できるまで支援をする立派な人物だったというのに……病死し、跡を継いだ息子があまりにも傍若無人すぎて我等に依頼が来る……実に哀れなものだな」
目標対象がいると思われる部屋の窓をジャックは見つめた。
大きな部屋の中。
バスローブに身を包み椅子に座った小太りの中年の男、チック・エイゴトスが苛立ちながら貧乏ゆすりをしていた。
「ええい、酒はまだか! 遅すぎる!」
チックはおもむろに立ち上がり、壁に掛けてある鞭へと近づく。
「これはきついお仕置きが必要だな……グフフッ」
そして鞭を手にすると、勢いよく床に何度も叩きつけた。
「んー……我ながらいい音だ。ここに苦痛の声が入ればより……グフフフッ」
ニヤニヤと薄ら笑いを浮かべていると、コンコンと扉からノック音がした。
「おっ? ようやく来たな。おい! 遅いじゃないか! さっさと入れ!」
チックが扉に向かって怒鳴り付ける。
ところが、扉が開く様子は無い。
「……んん? 入れと言っておろうが!」
再度怒鳴るが、それでも扉は開かなかった。
「ったく! 何をしておるのだ!」
チックは苛立ちながら扉を勢いよく開けた。
「おい! 入れと……あれ?」
扉を開けた先の廊下には誰もいなかった。
「おかしいな? 確かにノックが聞こえたんだが……」
廊下を覗き込み、左右を見ても誰1人いない。
チックは首を傾げつつ扉を閉めた……その瞬間――。
「――むぐっ!?」
いつの間にか背後にいたジョーカーが、チックの口を素早く左手で塞いだ。
そして、即座にナイフを首に当て……かき切った。
「――っ!!」
チックは何が起こったのか分らないまま、力なく床に倒れる。
血だまりが大きくなり、ピクピクと動いていたチックの体は完全に止まった。
「…………」
チックの最後を見届けたジョーカーが部屋の窓から外に出ようとすると、廊下の方からパタパタとこの部屋に向かって走ってくる足音がとワゴンの車輪の音が聞こえて来た。
「……」
ジョーカーは出るのを止め、静かに様子を伺う事にする。
すると足音は部屋の前で止まり扉をノックした。
『チック様、遅くなり申し訳ありません』
女性の声だった。
このままでは騒ぎになると判断したジョーカーは壁に張り付き、ナイフを構えた。
『チック様? ……おかしいな、もう寝たのかな…………チック様、失礼いたします』
声の主が確認の為、扉を開けて部屋の中に入ってくる。
入ってきたのは、メイド服を着たウサギの獣人だった。
「チックさ……え?」
ウサギの獣人が倒れているチックの姿を見て立ち止まる。
その瞬間、身を潜めていたジョーカーがウサギの獣人の胸元めがけてナイフを突き立てた。
「――うっ!」
ウサギの獣人は崩れ落ちるように床に倒れる。
と同時に身に付けていたネックレスがナイフで切れ、ジョーカーの足元に転がった。
それはジョーカーの見覚えのある『貝殻』だった。
「…………あうっ!」
突然ジョーカーは鈍器で頭を殴られたような激しい痛みに襲われ、両手で頭を抑えた。
「あがっ! ……な……に……? 頭が……いた……い……!」
ジョーカーはふらつき、倒れているウサギの獣人が視界に入った。
そのウサギの獣人は白髪で、右耳は半分くらいの長さしかない。
貝殻と右耳が短いウサギの獣人……ある少女の笑顔がジョーカーの脳裏に浮かび上がった。
「……パ……ティ……? あ、あああ……あああああああああああ!!」
さらに頭痛が酷くなり、たまらず大声をあげるジョーカー。
もはや立っていられず、四つん這いの姿勢になってしまう。
「ああああああああああああああああああ!」
頭痛の原因が仮面、そう感じたジョーカ―は何度も床に向かって仮面を叩きつける。
次第にヒビが入っていき、仮面の左上半分が砕け散った。
それと同時にジョーカーは頭痛が収まり、ピタリと動きを止める。
「……あう……ワ、ワタシは………?」
ジョーカーの虚ろの瞳には光が戻り始めていた。
仮面が割れた事により、ヒストリアは自我を取り戻したのだった。
「……………あっ! パ、パティ!」
ヒストリアが顔を上げ、パティの方を見る。
その先には3人の鎧を着た男の兵が立っていた。
「なっなんだこれは!?」
「チック様!!」
「おい、お前大丈夫か!」
先ほどのヒストリアの叫びに、館の兵が集まって来ていた。
「貴様何者だ!!」
1人の兵がヒストリアに向かって怒鳴り、剣を抜く。
後の2人も同時に剣を抜いた。
「……パッ……パティ……」
ヒストリアがパティに向かって右手を伸ばす。
「貴様がチック様を!!」
「うおおおおお!」
だが襲って来た兵達にその手を遮られ、ヒストリアは斬撃をかわし後ろへと逃げる。
「大人しくしろ!」
「っ!」
ヒストリアは倒れているパティを一瞬見たのち、窓を割って外へと脱出する。
「あっ! くそっ! 外に逃げたぞ! 追え! 追うんだああ!!」
窓が割れる音と同時にジャックが顔を上げる。
「むっ! ジョーカー!?」
窓からヒストリアが飛び出し、ジャックとは別の方向へと走って行った。
ジャックは慌てて立ち上がり駆け出す。
「おい! ジョーカー! 何があったというんだ!」
必死にヒストリアの後を追うジャック。
ようやく追いついたのは崖の上で、下には濁流が流れている場所だった。
「はぁはぁ……追いついたぞ……どうしたというのだ、ジョーカー」
「……っ」
ジャックの言葉に、恐る恐る振り返るヒストリア。
「仮面が……! そうか、そういう事か……」
仮面が割れている事に気が付いたジャックはハルバードを構えた。
「あっあの……ワ、ワタシ……」
「実に残念だ」
ジャックがヒストリアを睨みつける。
「ひっ!」
「ジョーカーの仮面が外れる、もしくは割れてしまった場合は即処分せよと言われておる!」
ジャックが踏み込み、一気にヒストリアとの距離を詰める。
「せめてもの情けだ! 一瞬であの世に送ってやろう!」
「っ!!」
ジャックの鋭い突きに対して、ヒストリアがとっさに回避行動をとる。
しかし、足に力が入らなくなりうまく回避が出来なかった。
「――うぐっ!」
ハルバードがヒストリアの脇腹を切り裂く。
そして、その勢いでヒストリアは崖から落ちてしまった。
「きゃああああああああああああああああああああああああああ!」
ヒストリアは濁流へと落ち、飲み込まれてしまうのだった。